紅瞳の秘預言13 発動

 やがて、ふうと大きく息をつくとルークの腕がだらりと垂れ下がった。それに気づき、ジェイドはルークを振り返らせて手すりにもたれかけさせる。少年の表情はどこか怯えたもので、それも当然だとジェイドは小さく溜息をついてから口を開いた。

「お疲れさまでした。落ち着きましたか?」
「……あ、ああ……何だったんだ、今の」

 自分の掌を見つめながら、半ば呆然とルークが呟く。ジェイドは一度目を閉じ、小さく息を吸うとルークに視線を戻した。乱れた赤い髪を指先で梳きながら、ゆっくりと唇を動かす。

「今のは、超振動ですね」
「超振動? それって、確か俺とティアが飛ばされてきた……」
「ええ。貴方とティアを長距離移動させたのは疑似超振動と呼ばれるものですが、今貴方が放ったのは疑似ではありません。真の超振動ですね……疑似超振動よりもずっと破壊力の高いものです」

 いつものように、言葉を選んで話す。超振動は今後重要になる力でもあり、またルークが上手く扱いきれないうちは危険な力でもある。その重要性と危険性をルークの心に刻んでおくためには、彼に理解出来るように説明をしておかねばならない。

「破壊力?」
「はい」

 目の前にいる少年の身体が、小刻みに震えているのが分かる。そっと両肩に手を置いて、宥めながらジェイドの言葉は続く。

「……第七音素同士が干渉し合って物質の分解、再構成を行う力です。貴方がたがタタル渓谷まで飛ばされた時は幸い再構成が行われた訳ですが、もし分解のみで反応が停止していれば恐らく、貴方のお屋敷くらいは軽く吹き飛んでいたはずです」
「そ、そんなにすげえのか?」
「ええ」

 怯えた少年の視線に痛みを感じながら頷く。一度唇を噛みしめて、ジェイドは覚悟を決めた。
 罪を告白するということは、こんなに苦しいことなのだ。

「故にマルクト軍は、私に命じて超振動の軍事利用をもくろみ研究を重ねました。今は技術を封印してありますが、私と一緒に研究していたディストが一部を持ち出しています。ですから、ローレライ教団の一部で使われている可能性が無いとは言えません」
「軍事利用……そ、それじゃ俺のこれもっ……」

 ルークの両手が、かたかたと震えている。己が理解できぬ力を持ち、それが軍事利用されるかも知れないという可能性。ついこの間まで住まう屋敷の外にすら出たことの無かったこの少年には、それがどれほど恐ろしいことか。

「利用される可能性は大いにあります。……幼い貴方を拉致した勢力も、もしかしたらこの力を欲したのかも知れません」
「……っ!?」

 息を飲むルーク。ジェイドは僅かに顔を伏せ、少年から視線を逸らす。
 『欲したのかも知れない』では無く、『欲した』のだ。
 まだそれを告げることは出来ないけれど。

「それにね。本来超振動というものは、第七音譜術士が2人揃わないと起こせないものなんです。それを貴方は、1人でやってのけた。これはとても特殊なんです……分かりますね?」

 そうして、狙われたもうひとつの理由をゆっくりと、分かりやすく語る。正直なところ、過去ホドで研究を進めていた頃のジェイドであれば申し分の無い実験体として扱っていただろう。そう考えて、ジェイドはかつての己の愚かさに背筋を震わせた。

「……2人でしか出来ないことを、1人で……」

 一方ルークも、小さく身体を震わせていた。少年が理解できるように砕かれて語られた言葉の意味を噛みしめ、思わず自分の腕を抱え込む。それがどれだけの影響を周囲に与えるのか、までは分からなくとも、自身が特殊な力を持つのだということは身にしみて感じていた。
 ふと視線を上げると、真紅の瞳が真正面からルークを見つめていた。あまり光の無い場所でその瞳は深い色を湛え、優しくルークを映し出している。

「気をつけてください。今の貴方は、第七音譜術士としてはあまりにも未熟です。超振動はそうでなくともコントロールが難しいはずですから、今の貴方に扱わせようとする者がいるとするならばそれは、暴走を前提としていることになります」

 が、彼の口から漏れ出た言葉は周囲の気温をすうと下げるような、冷たい意味をその中に含ませていた。

「暴走?」
「ええ」

 不安げなルークの疑問符に頷きながらジェイドが思い出すのは、おぞましい惨劇の瞬間。

 不気味な地響きが鳴り、ぐらぐらと揺れ続ける地の底。
 砕けたパッセージリングと、地面にぐったりと横たわる赤い髪の少年。
 そして、己が道具として暴走させた愚かなレプリカを嘲笑する、『栄光を掴む者』。

 アクゼリュスは為す術もなく砕け、魔界へと落下した。ティアの譜歌に守られた自分たち以外は全て屍と化し、唯一生き残っていた子どもも魔界の海に沈んでいった。
 あれは、全てがルークの罪という訳では無い。例え実際に行動を起こし、パッセージリングを破壊したのが彼であったとしても。
 暴走させたヴァンの、知識を与えなかったキムラスカの、そしてジェイド自身の罪。
 あの惨劇を少しでも回避するために今ジェイドに出来ることは、超振動についての正確な知識をルークに与えること。
 そして、少年は1人では無いのだと伝えること。

「何、俺……兵器扱い、されるのか?」

 怯えた眼を向けてくる少年の髪を、ジェイドの手がそっと撫でる。まっすぐに見つめる瞳はいつもより少しだけ濃い色をしている、とルークは感じた。

「……私は、マルクト軍の人間兵器です。超振動こそ操ることは出来ませんが」

 真剣な眼差しでルークを正面から見つめながら、ジェイドは言葉を紡いだ。『死霊使い』という二つ名を冠され、敵国ばかりか自国内にても恐れられている彼は、確かに人間兵器と呼ばれるには相応しい存在なのであろう。
 そんな二つ名を持つとは思えないほどに今のジェイドは優しい眼差しをしているのだが、彼自身がそれに気づくことは無い。

「貴方は、私のようにはならないでください。自分の力に溺れないで。強すぎる力に溺れた者は、いつかその力によってしっぺ返しを食らう時が来るんです。……私はそれで、間違った道に踏み込んでしまった」

 溺れたその結果、大切な人を失った。自身は罪を重ね、同じ道を歩んだ友は自身を救うためにさらに多くの罪を重ねた。
 赤い髪の少年には、同じ思いをして欲しくない。

「私のことは信じてくれなくて構いません。私は貴方を拉致しようとした可能性が高い敵国の人間兵器で、貴方の国の人々を数限りなく殺しています。けれど、どうか」

 信じてくれとは、とても言えない。
 『記憶』の中の自分は少年を捨て、冷笑し、挙げ句の果てには死に追いやったのだから。
 この世界では未だ来ない時間の物語ではあるけれど、ジェイドにとっては一度通り過ぎた現実。
 その経験がジェイドの中から消えない以上、彼はルークに自分を信じて欲しいなどとはとても言えなかった。

「貴方の傍にいて、貴方が何者であろうとずっと見守っていてくれる人を、信じてあげてください。貴方が血に塗れぬよう、貴方が貴方のままでいられるようずっと見ていてくれる人を」

 だから、それは自分では無い。
 青いチーグルの仔、金の髪の幼馴染み、ユリアの血を引く少女。

 それでも構いません。
 貴方の生命は、私が全てを賭けて守り通してみせます。

「さ、もうお休みなさい。扱いきれない超振動を放ったことで、身体はかなり疲れているはずです。グランツ謡将には、私からお話ししておきますよ」
「……う、うん、分かった」

 そっとジェイドに髪を撫でられて、ルークは小さく頷いた。


 部屋の扉を音を立てないように閉める。同室であるガイは既に眠りに落ちているらしく、寝床の中で小さな寝息が聞こえた。カーテンを閉めた窓の隙間から差し込む月の光を透かして見ると、空の寝床の枕元でミュウが丸くなって眠っているのが分かる。

 今の貴方は、第七音譜術士としてはあまりにも未熟です。

 はっきりとジェイドに告げられた言葉を頭の中で反芻して、朱赤の髪の少年は小さく溜息をついた。

「……ティアに勉強習うことにしたの、正解っぽいな」

 ルークは1人呟く。自身としては治癒譜術を修めるためにと考えての結論だったが、超振動などという訳の分からない強い力を持っていることが分かった今、その道を選んだことは間違っていなかったのだと理解できた。
 あんな力、何の前触れも無しに発動していたら今頃どうなっていたか分からない。ジェイドが一緒にいてくれなければ二度、三度と解き放たれた力が船を沈めていたのかも知れない。ジェイドが超振動について教えてくれなければ、自分はいつかその力を暴発させて恐ろしい結果を招いてしまっていたのかも知れない。そう考えてルークはぞっと身を震わせた。

 私は、マルクト軍の人間兵器です。

 不意に耳の奥で、ジェイドの言葉が蘇った。優しい眼をしながら彼は、自身を兵器だと言う。
 ルークに、自分のようにはなるなと。

「……兵器じゃねえよ」

 ぼそりとルークは呟く。そんな言い方はまるで、ジェイドが自身の人間性を否定しているようで。

 私のことは信じてくれなくて構いません。

 自分を守ると言ってくれた時と同じ、泣きそうな顔をしてジェイドは言った。
 本当は自分のことを信じて欲しいのだと、その顔ははっきりと物語っていた。
 信じて欲しいけれど、言えない。自分は兵器だから、信じるな。──それでも、守る。
 ルークは、ジェイドの言葉をそう理解した。理解はしたけれど、納得出来る訳が無い。

「何であんたは、そうやって自分を貶めるんだ?」

 吐き出すように呟く。少年には、彼の言動はそうとしか思えないのだ。そんな言葉、納得出来るはずも無い。
 エンゲーブで初めて会った時から、ジェイドは何かとルークを気に掛けてくれていた。
 知らないことを細かく教えてくれて、危ない時は守ってくれた。
 ……そのせいで傷を負わせ、さらわれてしまったけれど。

 あんただってずっと、俺のこと見ていてくれてるじゃねえか。
 どうして自分を信じてくれって言わないんだよ?
 自分は信じるに値しない存在だって、そう言いたいのか? 馬鹿野郎。

 閉ざした扉にもたれて、少年はぎゅっと眼を瞑った。そうしないと、悔し涙がこぼれてしまいそうだったから。


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