紅瞳の秘預言13 発動

「カーティス大佐」

 低い声で名を呼ばれ、振り返る。白い詠師服は、闇に近い風景の中にあってもその存在を浮かび上がらせていた。

「おや。ここにおいででしたか、グランツ謡将。何かご用ですか? ルークでしたら、先ほど部屋に戻りましたが」

 感情の無い、冷えた声で答えるジェイドの表情は、すっかり元の貼り付けられた笑顔に戻っていた。後々敵対することが分かっているヴァン・グランツを相手に、己の感情など露わにしてはいられない。
 対するヴァンは、熱を込めた両の瞳でジェイドを見据えている。普段ルークたちの前で見せることの無い、露骨に敵愾心を込めた視線を『死霊使い』に向け、怒りのこもった口調で言葉を吐き出す。

「貴公が何を考えているのかは理解しかねるが、ルークに余計なことを吹き込むのはやめていただきたい」
「おやおや。私がいつ、彼に余計なことを吹き込んだと?」
「あの子に、超振動の詳細な知識はまだ早い」

 くすり、と肩を揺らして微笑みながら問うジェイドを、ヴァンは数歩歩み寄りながら睨み付ける。確かに、この時点で超振動の何たるかを朱赤の焔に理解されては、アクゼリュスの崩壊にも影響が出よう。

「曲がりなりにも扱えるのですから、早いことはありませんよ。自身の持つ力について正しい知識を持っておかねば、いつ暴走するかも分かりません。そしてそれには、研究者であった私が教えるのが一番適している」
「貴公はマルクト皇帝の懐刀だ。キムラスカの王位継承者を、マルクトの兵器として利用しようとしているのかも知れぬからな」
「我が皇帝陛下と、ファブレ公爵のご子息を侮辱することは許しませんよ。それにそんなもの、この『死霊使い』1人で十分です」

 くく、と喉の奥で笑う。冷えた真紅の瞳で見据えると、ヴァンはほんの一瞬片眉をひそめた。ジェイドがピオニーを侮辱されて怒るのは理解出来ても、同じようにルークを挙げるのは理解出来ないのだろうか。それとも、ルークをレプリカであることをジェイドが知らぬと思い込んで内心ほくそ笑んだか。

「私はね、グランツ謡将」

 いずれにせよ、ヴァンに己の思考など読まれたくは無い。ジェイドは表情を笑みのまま凍らせ、言葉を続けた。

「あの子には、私のようにはなって欲しくないんですよ。感情を動かすこと無く敵を屠ることの出来る、ただの人間兵器には」

 ピオニーがいなければ……先代皇帝の御代が今に続いていたならばジェイド自身は、とうに人の心を失っていただろうという自覚はある。
 命じられるままに街を滅ぼし、地を割り、抵抗の力を持たない人々をも平然と殺戮出来る存在になっていた可能性は高い。
 そうならなかったのは先の皇帝が崩御し、後を継いだピオニーの采配によるものが大きい。無闇な戦を避け、人々の平和な生活を守るために政治的手腕を振るう今代の皇帝は、晴れやかに笑いながらその手を幼馴染みにも差し伸べた。彼の手を躊躇いつつも取ったからこそ、皇帝の懐刀であり部下に慕われる師団長でもあるジェイドが今に存在する。
 今でも彼のためならば、ジェイドは兵器となれる。当の皇帝はそれを許さないであろうけど。
 けれど、ルークにはそのような道を辿って欲しくない。ルークという名前の1人の人間として、幸せに生きて欲しい。
 それが、5年の年月を遡ってきたジェイドの思いの全て。
 そのためには、ヴァンデスデルカの悪意からルークを守らねばならないのだ。

「……もう1つ、尋ねたいことがある」
「大譜歌ですか?」

 ジェイドの言動からこれ以上情報を引き出すことは無理と悟ったのか、ヴァンは話題を切り替えた。もっとも、この状況で彼が尋ねたいことなど知れている。故に、ジェイドは表情を変えること無くそれを当ててみせた。

「その呼び名も知っているのか。何故だ」

 ユリアの譜歌……7つに分かたれた歌を順に歌い上げることで成立する大譜歌の名は、その歌と共に表に出ることはほとんど無い。その名をさらりと挙げたジェイドを、ヴァンは眼を細め睨み付ける。

「ルークとの会話も聞こえていたのでしょう? 私は歌詞と旋律を知るのみですよ。歌うことは出来ても意味はありません」
「その歌詞と旋律を、貴公は何処で知った? あれはユリアの子孫にのみ伝わるもの、そこかしこで聞けるものでは無い」
「それも、ルークに答えた通りです。遠い昔に、一度だけ聞いた。なまじ記憶力はありますから、その一度で覚えた。それだけです」

 ジェイドが嘘をついている訳では無い。『遠い昔』どころか未来の時間ではあるけれど、たった一度ティアが奏でた歌を聞いて覚えたということだけは事実なのだから。
 故にジェイドは、ルークに話したのと同じ言葉を繰り返すだけに留めた。
 余計な知識を、宿敵に与えるつもりはまったく無い。

「……お話は終わりですか? それでは失礼させていただきます」

 言葉を返すことも出来ず黙り込んだヴァンを前に、ジェイドは冷たい笑みを浮かべ軽く頭を下げると踵を返した。


 無防備にも己に背を見せ去っていく『死霊使い』に、思わず刃を抜きかける。が、ヴァンの手は剣の柄に掛けられたところで動きを止めた。
 ジェイド・カーティスが第七音素を操れないであろうことは、その著作のほとんどを読破しているヴァンには容易に推測出来た。彼の著書に挙げられている研究に使用されている音素は、第一から第七まで多岐に渡っている。が、第七音素を利用した研究成果が掲載されている場合は、必ずと言って良いほど使用された音機関の種類が付記されていた。これはつまり、音機関を使用しなければ彼が第七音素を扱えないことを意味している。数多く存在する『死霊使い』の目撃譚にも、彼が第七音素を利用した譜術を使ったという情報は一切出ていない。
 それなのに。
 歌い踊る音素たちが、彼の行く手を阻む。それらは全て『死霊使い』には操れるはずもない第七の音素であることが、その使役を可能とするヴァンにははっきりと感知できる。
 それ単独では意思を持たぬはずの音素たちが、まるで自ら進んでその背を守るかのようにきらきらと煌めいている。守られているジェイド自身は、まったく気づいていないにもかかわらず。
 先だってもそうだった。
 ルークに鉱山の街を滅ぼすための暗示を仕込むはずであったその場に、ヴァンは足を踏み出すことが出来なかった。何かに促されるようにジェイドが歌い始め、その歌に引き寄せられるように音素の淡い光が甲板を取り囲む力場を形成する。ヴァンの足は震え、立ちすくんだまま身動きのひとつも取れなかったのだ。それはルークが超振動を放ち、ジェイドがその力について少年に説明し終えるまでずっと続いていた。そしてヴァンがルークの後を追うことすら、音素たちは拒絶してみせた。
 ばたん、と扉の閉まる音がした。それと共に、ヴァンを阻んでいた音素たちは役目を終えたとでも言わんばかりに散っていく。光が消え去ってやっと、ヴァンは足を踏み出すことが出来た。全身が強張っていたせいか一瞬バランスを崩し、がくりと膝が落ちかける。

「──馬鹿な」

 ぎりと歯を噛みしめながら、低く足元を這うような声でヴァンが呻く。
 意思の無い音素が、あのような動きをすることなどあり得ない。
 だとすればあの音素は、何らかの譜術により『死霊使い』を守護することを命じられたのか。
 誰が命じたのか。
 その理由は、何か。
 彼には分からない。

 ユリアの血を引きし、栄光を掴む者よ。何故、道の過ちに気づかぬのだ。

 嘆く声は、誰の耳にも届かない。

「あの男に、譜歌が歌えるはずは無い。第七音素を操れるはずが無い」

 大譜歌を一度だけ聞いたという、その場所は何処なのか。
 それを歌っていたのは誰なのか。
 何故『死霊使い』の歌と共に、音素が蠢いたのか。
 彼には、分からない。

 我とユリアとあの者の祈りは、そなたには届かなんだ。
 それが、残念でならぬ。
 故に、我は。

 悲しむ声は、誰の耳にも届かない。

「始祖ユリアよ。貴方の詠んだ滅びの預言は、私が覆すのだ。邪魔をしないでいただきたい」

 ぐっと拳を握りしめ、吐き捨てるようにヴァンは呟く。預言を消滅させるためにスタートさせた計画を、成就が目に見えてきた今の段階で止めるわけにはいかない。

 ──だからといってわたしは、ひとをほろぼしてほしいなんておもっていないのに。

 ティアに良く似た女性が、空の彼方で呟いた。


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