紅瞳の秘預言14 転回

 そっと手を外してやり、胸元を整えてから改めてアッシュの顔を正面から見つめるディスト。アッシュはじっと自分を睨み付けながらも口を開かず、まだ言うことがあるのだろうと碧の瞳が問うている。
 この青年もルーク同様、ダアトに封じ込められてから知識を制限されている。『レプリカ計画』はアッシュの知らぬ所でその形を具体化させ、赤毛の青年はその鍵として大切に育てられた。いずれは自身も消されてしまうことを知らされずに。
 僅かに顎を下げて、ディストは再び口を開いた。

「同調フォンスロットの開放は、互いのフォンスロットを直に結びつけるのとほぼ同意義です。貴方の構成音素をレプリカルークに流し込む道を固定させてしまう。つまり、大爆発を促進させるだけなんです。まあ、その前にオリジナルである貴方が死んでしまったらどうなるかは、私には分かりかねますが」

 ジェイドからもたらされた音譜盤に記されていた『結果』には、ディストは敢えて言及しなかった。
 未来の『記憶』の中では、アッシュが先んじて生命を落とした。だが、肉体に負担を掛けすぎたことで音素乖離を始めていたルークが彼と一体化し、2年の時を経てアッシュの人格を持った『ルーク・フォン・ファブレ』として再構成され、帰還したらしい。
 ルークを食い潰してまで己が蘇ったことを、アッシュは悲しんでいたという。
 そんな未来、口になどしたくも無い。その結末に辿り着かないために、ジェイドは歳月を遡ってきたのだから。

「それだけならば良い……というわけではないんですが、貴方がたの場合はもうひとつ問題があります」

 人差し指を立て、その細い指先をくるくると回す。少し顔をそむけたのは、顔に表れた感情を目の前の青年に読まれたく無かったから。彼と彼の複製体にとり、とても厳しい現実を突きつけねばならないのだ。

「貴方とレプリカルークは完全同位体です。そして、貴方はローレライと振動数を同じくしている。そうなると貴方がた2人は、揃ってローレライと完全同位体と言うことになりますね。つまり」
「……俺とレプリカ、そしてローレライの間でその大爆発が起きる?」

 ディストの言葉を引き取り、アッシュが呟いた。この青年は生まれついての才覚か、頭の回転がかなり速い。必要な情報を与えればそこから結論、その先の推測を即座に弾き出すことが出来る。だから、ディストの言葉の先を捉えることも出来た。会話が早くて助かる、と銀の髪を揺らしながらディストは薄く笑む。

「相手が意識集合体なんでどうなるかは分かりませんけれど、可能性はあります。レプリカルークが死んだとしても、残る貴方とローレライで起きないとも限らない。その場合どなたがオリジナル扱いされるかは、ま、推測の域を出ませんが」
「……まず、ローレライだろうな」
「ですよね」

 アッシュの言葉に頷きつつ、ディストは自身の癖の無い髪を掻き上げた。研究にかまけてあまり手入れをしたことが無いせいか、指先に枝毛が絡む。ぷつんと切れた髪は、ジェイドと袂を分かった頃の自分のように頼りなげに落ちて消えた。

「何しろあっちは2000年から存在してる訳ですしねえ。そうなると、貴方もレプリカルークも記憶だけを残しローレライに食われて消滅することになります。ほんの数年ばかりの記憶なんて、意識集合体から見ればちっぽけな欠片に過ぎないでしょうね」

 感情を極力含ませないように、軽口を叩くような口調で言ってのけるディスト。だがその瞳には冷徹な光が宿っており、それを感じ取ったアッシュの背筋を一瞬ぞくりと震わせる。
 ルーク・アッシュ・ローレライの3存在間で大爆発が起きた場合、アッシュも口にしたようにローレライをオリジナルとして再構成される可能性が一番高い。その場合人間としてはオリジナルであるアッシュ、アッシュのレプリカであるルークは2人とも、ローレライの中に記憶だけを残して消え去るだろう。そこに残るのは、赤毛の青年の姿を奪った第七音素意識集合体。その内にルークの7年、アッシュの17年の記憶が残っていたとしても、2000年以上を誇るローレライの前にはほんの僅かなものでしか無い。
 恐らくは、ジェイドがもっとも望まぬ形での結末となる。実際に起きるかどうかは分からないが、少なくともそんな終わり方を許すわけにはいかない。

「ま、その辺は私とジェイドで解決策を考えてみますよ。ジェイド、個人的にだいぶ研究進めてたみたいですからね」
「……頼む。俺はそう簡単に死ぬわけにはいかん」

 唇の動きだけが、微かに名を刻む。この青年が誰の名を呼んだのか、読唇術など使えずともディストには理解出来た。
 バチカルの王城で、『ルーク』が過去を取り戻すことをずっと願っている金の髪の王女。
 民のために働き、民もまた好意を寄せる王女。
 ──キムラスカ王族の血など、その身には一滴も受け継いでいない少女。

 そう考えると、キムラスカ王族の容姿へのこだわりが如何に愚かなものか分かりますよねえ。
 赤い髪じゃなくても碧の瞳じゃなくても、ナタリア王女は立派に王女じゃないですか。
 ああ、馬鹿らしい。機会があったら、いっぺんあの王族どもに文句付けてやりましょうかね。
 ええ、そうしましょう。決めました。

 ディストは小さく溜息をつく。ナタリアの出自もいずれは知れることになるだろうが、それは今どうこう言う問題では無い。
 それよりも、まずは目先の問題を解決せねばなるまい。差し当たっては、友の願いを叶えなければ。
 穏やかな笑みを浮かべた友の口から詠われた、大切な願いを。

 もうひとつ……私には出来そうにないことをお願いしたい。
 アッシュを、ヴァンの呪縛から解放してあげてください。彼には、バチカルでずっと待っているひとがいる。

 そのためには、まずアッシュからヴァンへの心理的依存を断ち切らなければならない。幸い、その絆が既に揺らぎ始めているのは分かっていたからディストが行うのは、最後の一押しだけ。

「ちなみに完全同位体ですから、レプリカルークも単独で超振動を使えるようですよ。威力は貴方より弱いとは思いますけどねえ。主席総長はあの子を使ってアクゼリュスを崩壊させるつもりらしいですね」

 平然とした顔で、その一押しをさらりと明かしてみせる。と、露骨にアッシュの表情が変化した。一瞬ぽかんと呆けた後、眉間にしわを寄せぎりと歯を噛みしめる。

「……何のことだ? あいつを使ってアクゼリュスを崩壊させる、だと?」
「ああ、やっぱり教えられていませんでしたか。ええ、そうですよ。主席総長はねえ、レプリカルークに超振動を使わせることでアクゼリュスを破壊させる気なんです。あの街は自然災害で滅ぶんじゃない、人の手によって滅ぶんですよ。現実を無理矢理預言に沿わせるためにね」
「モースの意図で、預言を成立させるということか」
「ええ。もっとも、その先主席総長が進めるつもりの計画はモースの思惑とは違いますよ。そうでなきゃ、わざわざ貴方をバチカルからさらってくる必要なんて無かったんですから。モースにしてみれば、預言でアクゼリュスを破壊すると詠まれてる貴方がさっさと吹き飛ばして死ねばいいんですし」

 この際、隠しておくことなど何も無い。
 ディスト自身が知っている事実とジェイドの『記憶』は、共にヴァンの目的とそのための手段についてほぼ同一の答えを語っている。
 その答えを秘匿していては、オールドラントの未来はヴァンの思うがままに動かされる。その先に待つのは……オリジナルの人類が全て滅ぼされ、大地すらも複製体に入れ替えられた『新たな世界』。
 かと言ってヴァンだけを妨害していたのでは、オールドラントはユリアが詠んだ『終末預言』に従い未来へと進んでいく。マルクトが滅び、キムラスカが滅び、星が砕け散る未来へと。
 原型が消え複製が残る世界も、星が砕ける最期も……赤毛の少年が生命を落とす未来も、迎えるわけにはいかない。
 ディストにとってはどうでもいいことだけれども、ジェイドが望まないのだから。

「主席総長は、預言に囚われた世界を壊させるために貴方を拉致したんですよ。レプリカルークが貴方の身代わりにアクゼリュスで殺されるためにいる、なんてことくらいは知ってるかと思いますけど、結局貴方はあの男の道具として操られるだけです。ヴァン・グランツに命じられるまま大地の柱を壊し、大陸も海も全部破壊する超振動発動装置。それが貴方です。……そんなことバレちゃったら、貴方が主席総長の下に付くわけ無いじゃないですか。そうでしょう?」

 せせら笑いながら、ディストはさらにヴァンの目論見をぶちまけた。とうに自身はヴァンからの離反を決めた身であるし、アッシュを救うことはジェイドの願い。あの預言に囚われた男の陰謀を打ち破る手はずも、そこにこそ解決の糸口が垣間見える。
 だからこそ、露骨な表現でアッシュを刺激する。かつてダアトに連れてこられたアッシュは、レプリカに己の居場所を奪われたことに衝撃を受けた。その心の隙を突かれ、ヴァンの言葉に取り込まれた。7年の間青年を蝕んだ暗示の言葉から彼を解放するには、それ以上の衝撃を与えて同じように心の隙を捉えなくてはならない。
 そして、アッシュはディストの思惑に乗ってきた。青筋を立て、怒りの形相で詰め寄ってきたのだ。

「待て! ヴァンは一体、何をしでかす気だ!」
「はいはい、勢いに任せた脅迫は通じませんよ。今の私には、怖いものなんて何も無い」

 ぐいと迫ってきたアッシュの額を軽く掌で叩き、薄い唇の端を引き上げる。それからディストは青年の肩を両手で押さえ、じっとその碧の瞳を覗き込んだ。普段見せるような薄い笑みを含む表情ではなく、真剣な眼差しで。

「落ち着きなさい。まずはその前に、貴方をあの男から解き放ちます。自覚はあるのでしょう?」

 一言ずつゆっくりと噛みしめながら、ディストは言葉を紡ぎ出す。びくりと震えたアッシュの肩はほんの少しの間硬く強張っていたが、やがてふとその力を抜いた。どこか怯えたような表情は、あのレプリカルークと良く似ている。いや、ルークの方がアッシュの複製体なのだから、あちらが似ていると言った方が正しいのだが。
 ダアトに囚われてから7年。当時10歳だったアッシュの年齢は、実質的にはその7年間ほとんど停止していたに等しい。身体だけは加齢に伴い順調に成長していったけれど、精神はルークで無くなったあの日からほとんど歩みを進めていない。
 それは、バチカルで彼の帰還を待つナタリアにとっても、7年の歳月を奪われた両親にとっても、そして全てを知るジェイドにとっても悲しいことだから。

 ええ、ええ。待っていてください、ジェイド。
 貴方が望むなら、私は何だってやり遂げてみせますよ。
 この子を、未来へと進めてみせる。
 だって、貴方が笑ってくれたのだから。

 そっと手を伸ばし真紅の髪を撫でてやると、17歳の幼子は戸惑ったように見つめ返してきた。


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