紅瞳の秘預言14 転回

 キャツベルトはその航路の都合上、商業都市ケセドニアで一度乗り換えを余儀なくされる。港に停泊した船から下り、久しぶりに揺れない地面を踏みしめてルークはぐっと身体を伸ばした。

「あー、外だー」

 すう、と大きく息を吸い込むと、船の上とは違う潮の香りがほとんどしない空気が肺の中に入ってくる。街の中に歩き出すと、空気の違いは顕著になった。ちょこちょこと走り出したミュウが周囲をきょろきょろ見回して、小さな腕を精一杯大きく広げながらはしゃいだ声を上げる。

「ご主人様〜、新しい街ですの! 何だかすごいですの〜!」
「だなー。うは、何か空気も雰囲気も違ぇ」

 乾いた空の下、広場に露店が建ち並ぶ街。雑然とした中を、ヴァンを先頭にルークたちはゆっくりと歩いていく。騒がしい雰囲気の街ではあるがカイツールで感じたような張り詰めた空気は無く、ルークは嫌いではないと感じていた。

「砂漠が近いからなー。空気も乾燥してるし、風に砂が混じってる。砂漠のことはルークに教えたよな?」
「ああ、うん。えーと、一面砂だらけの平原でからっとしてるんだっけ。昼暑くて夜は寒いって聞いたけど、ほんとかよ」

 自分の知らない地域の話は、主にガイが本を読み聞かせてくれた事による知識としてのみルークの脳裏に存在する。その中にある砂漠の知識を取り出しながら朱赤の髪の少年は、不思議そうに首を捻った。

「湿度が低いですし、遮蔽物がありませんから森や草原よりも温度調整が利かないんですよ。ですから夜になると、あっという間に熱が大気中に逃げてしまって冷えるんです。1日の中での気温差が50度とか、当たり前のようにありますからね」
「へー。……50度の気温差ってちょっと想像つかねえけど、好きこのんで行くとこじゃねえな」
「湿度が低いと言うことは、肌や髪にも良くないですよね。……お手入れ大変そう」

 ジェイドの説明にも首を捻ったまま、ルークは肩をすくめる。屋敷に軟禁されて育った少年は、極端な気温の変化というものを肌で感じたことがないのだから当然だろう。その横でティアは、思わず自分の頬に指を当ててぷにぷにとつついていた。
 そんなティアをちらりと視界の端で見てから、ルークはくるりと周囲を見回した。雑貨を並べた露店や屋台、色とりどりの衣服を纏った人々。賑やかで、生活感と活気に溢れる街。生活感ならばエンゲーブも負けてはいないが、こちらの方が行き交う人も多く生き生きとしている、とルークは感じた。

「にしても、何か今までの街とは違うな。エンゲーブは食いもんばっかだったし、セントビナーやカイツールじゃ軍の施設にしか行ってないからだろうけどさあ、他所に比べてごちゃごちゃしてるって感じがする」
「そうですねー。世界中の物がここに集まるって言われてるんですよぉ。エンゲーブで作られた食料品だって、キムラスカへ輸入される際にはこの街を経由することになってるんですぅ」

 ルークの感想を聞いて、珍しくアニスが説明口調になった。自分よりもモノを知らないこの少年に何かを教えるということが、ある意味娯楽の一部になっているかのようだ。何しろルークは、きちんと説明さえしてやればその知識を乾いた土が水を吸収するように覚え込んで行くのだから。

「うわ、そうなのか? アニス良く知ってんなー」
「ふふーん。士官学校でちゃんと勉強しましたから!」
「うっ……俺もちょっとは勉強しよう。何かむかつく」
「まあまあ」

 にやにやと悪戯っ子のような笑みを浮かべるアニスと、一瞬目を丸くしたもののすぐにむっとしたルークを見比べながらイオンが間に入ってきた。ぽんぽんとアニスの肩を軽く叩いてから、ルークを振り仰ぐ少年の顔はどこか楽しくて仕方がない、といった表情だ。

「キムラスカとマルクトの間を行き来する品物は、一旦ここの領事館で監査を受けるんですよ。何か問題があったりしたら互いの国に入る前に食い止められますし、ちゃんと通過出来ればそれは安全なものだっていう証明になりますから」
「なるほどー。って、イオンも良く知ってんな」

 自分よりも年下の少年少女が、自分よりもものを良く知っている。本当ならば負の感情が湧き上がっても仕方の無い状態だが、ルークは自分がイオンやアニスよりもものを知らない、ということを旅の間に理解していた。だから妬むと言うことも無く、素直に感心する。先ほどアニスにむかついたのは、彼女のルークに対する態度が原因だろう。

「ふふ。ケセドニアは中立都市なんですが、ローレライ教団が後ろ盾になってるんです。で、その見返りとしてここのギルドからローレライ教団に毎年献金をいただいてるんですよ」

 その点、にこにこと楽しそうに笑いながら丁寧に説明してくれるイオンは、ルークにとってはほっとする存在だ。ミュウ以外の全員が今のルークには欠かせない教師役となっているのだけれど、その中でも一番教え方が優しいから。

「へえ。それじゃある意味お得意さんなのか」
「そう言っちゃうと身も蓋も無いですよぅ、ルーク様ぁ」

 もっとも、ルークの間の抜けた感想にすかさずツッコミを入れてくれるアニスも、既に彼らにとっては欠かせない存在なのだけど。

 先頭を歩いていたヴァンが、ふと立ち止まった。ゆったりと振り返り、ルークに優しい視線を向ける。

「さて、ルーク。私はここで失礼する」
「え、何で?」

 突然の師匠の言葉に、ルークは目を丸くする。軽く首をかしげた少年に、ヴァンは小さく溜息をつきながら言葉を返した。

「六神将の独断行動について、統率者である私に教団への出頭命令が下ってな。後から追いかけるから先に行きなさい」

 ヴァンの言葉を聞いて、ジェイドは微かに眼を細めた。
 『記憶』の中では、コーラル城で確保したアリエッタの身柄をダアトの査察官に引き渡すためにヴァンはここで別れた。理由こそ違え、このケセドニアで彼と別行動になったのはジェイドが『覚えて』いたままだ。
 直属の部下である神託の盾騎士団六神将。その全てが独断により軍事行動を取り、キムラスカやマルクトとの関係を悪化させようとした。……ローレライ教団側は、彼らの行動についてそういう結論を出したのだろう。もっとも、イオンがダアトを離れている現在その実質的トップは大詠師モースであり、表向きには六神将を統べるヴァンに軽微な責任を負わせて問題を収める腹づもりだろうが。
 そして、責任を取る方法とは……恐らく、アクゼリュスに向かう親善大使に同行すると言うことだ。先遣隊の引率という名目上の任務と、ルークにアクゼリュスを破壊させるという真の任務を帯びて。
 『記憶』ではファブレ公爵邸を襲撃したティアの身元が割れていたために、実兄であるヴァンも共謀者と見なされ拘束された。ルークに同行すれば身柄を解放するという交換条件を受け、ヴァンはルークと共にアクゼリュスへ向かった。
 現在のところ、存在するはずの預言とジェイドの『記憶』そして実際の状況には、さほどズレは存在しない。最大のズレは恐らくタルタロス乗員の死亡率であろうが、それとて殉職者を皆無にすることは叶わなかった。だが、小さなズレは積み重なって歴史を大きく変えて行くはずだ。そう、ジェイドは信じている。

「あー。それじゃしょうがないか……でも、ちょっと残念だな」

 そんな思考を展開しているジェイドを他所に、ルークは敬愛する師との同行がここまでであることを悟り僅かに肩を落とした。それでも『記憶』の中のルークよりはヴァンへの依存度が低い。ジェイドはルークの思考を操作しているつもりはまったく無いが、ヴァンにはそう思われても致し方ないだろう。

「ふ、聞き分けが良くなって何よりだ。バチカル行きの船はキムラスカ側の港から出る。同行の皆に迷惑を掛けるなよ」
「分かってるって。俺、そこまで子どもじゃねえもん」
「そのような台詞を言う間はまだまだ子どもだな。大人はいちいち自分は子どもでは無い、とは言わないものだ」
「うぁ、そうかあ」

 だが、こうやって距離を置いて見ていると、やはりヴァンとルークは仲の良い師弟にしか見えない。少なくともルークは、ヴァンに対しはっきりとした信頼を置いている。対するヴァンが結局のところ、ルークを己の道具としてしか見ていなかったのとは対照的に。

「ティア、ルークを頼むぞ」
「え? あ、はい、兄さん」
「では、バチカルでな。ルーク」
「はい、師匠」

 『記憶』の通りに妹へと声を掛け、そしてヴァンは去っていく。その背中を見送りながら少し寂しそうな顔をしていたルークを、ジェイドは目を背けて見ていないふりをした。アクゼリュスまでは、耐えねばなるまい。
 と、一瞬森の色が見えた気がして、僅かに振り仰ぐ。建物の屋根の上にちらりと見えた緑の髪が、ふわりと風になびいていた。

 ああ、そう言えばここで襲われましたっけね。
 奪われるようなデータは無かったと思いますが……念には念を入れておきましょう。
 後は、カースロットに気をつけなければいけませんか。

 ケセドニア出航直後のディスト襲来が衝撃が強すぎたせいか、直前にシンクが襲ってきたことはあまりはっきりと『記憶』には残っていなかった。だが、思い出してしまえばするすると付随する『記憶』は出力されていく。
 ガイが彼から奪い取った音譜盤と出力されたデータを奪還すべく、シンクが自分たちを襲ってきた。その騒ぎの中で書類の一部を紛失し、またガイは腕にカースロットを受けた。ダアト式譜術の1つであるその呪いは着々とガイを蝕み……ジェイド自身が仲間の元を離れていたテオルの森で、抵抗する力を失ったガイはルークに刃を向けた。信頼していた青年に殺意を向けられ、ルークはどれほど衝撃を受けていたのだろうか。
 因果の連鎖を、果たして何処まで食い止めることが出来るか。一瞬、ジェイドは思考に沈む。


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