紅瞳の秘預言14 転回

「あ、えーと。なあなあ、アスターって誰か知ってるか?」

 唐突にルークが声を上げた。はっとジェイドが意識を引き戻すと、目の前ではイオンが微笑を浮かべながら朱赤の焔の問いに答えるところだった。また『未来の記憶』に引きずり込まれたか、と小さく溜息をつく。

「アスターですか? ここにある商業ギルドの長ですよ。そうだ、せっかくですしご挨拶に行きたいです」
「ギルドの上納金で、教団すっごく潤ってますもんねえ。お礼もしたいですしぃ、アスターさんってお金持ちですしぃ」

 にこにこ笑いながらのイオンの提案に、すぐ横でアニスが何度も頷いた。『お金持ち』の単語に妙に力が入っていたのが何とも彼女らしい。

「そういうことでしたら構わないと思いますが……どうしたの? ルーク。そのアスターさんに何かご用があるのかしら?」
「え、あ、えーっと……」

 ティアに問われ、ルークは一瞬泳がせた視線をジェイドに救いを求めるように向けた。僅かに眼を細め、小さく頷いてジェイドはポケットの中から円盤を取り出す。ディストがコーラル城で採取した、ルークのデータを入力してある音譜盤だ。

「……実は、こういう物をディストから押し付けられましてね」
「おっ」

 指先で閃かせてみせると、真っ先に興味を示したのはやはりガイだった。同時に、屋根の上にちらりと見える緑の髪が分かりやすく反応した。恐らくあの少年には、ジェイドの手にあるこれがディストの元から流出したデータであることは分かっているだろう。

「音譜盤かよ? 何が入ってるんだ?」
「さあ。あの洟垂れが押し付けて来たんですから、ろくなものでは無いと思いますがね。せっかくですので中に入ったデータを見てみたいんですよ」

 くるくると、青い指先で円盤が回る。にっこり微笑みながらそうジェイドが言うと、ガイは目をきらきら輝かせながら満面の笑みを浮かべてみせた。『記憶』の中でも時折見られた、音機関に興味を示しているときの表情だ。

「なるほどなー。ギルド長が最新式の音譜盤解析機を持ってるって話は聞いたことがある。是非見てみたいというか稼働してるところも見られるかも知れないな。こりゃまたとないチャンスだぜ」

 ディストと言いガイと言い、譜業好きは音機関の話を聞くと周囲の目を気にしなくなるたちなのだろうか。小さく溜息をつきながらジェイドは、ガイの背後から手を伸ばしているティアを見て見ぬふりをした。ホドの惨劇に端を発する女性恐怖症は当分治癒しそうも無いが、たまには遊んでやるのもいいだろう。

「ガイ、大丈夫なの? 目の色が変わっているわよ」
「…………っ!?」

 不意に顔のすぐ傍で少女の声がしたのに驚いたか、ガイの腕が反射的に動いた。力の加減もせずに打ち込まれた裏拳を、すんでの所でティアの杖が受け止める。
 『記憶』の中でアニスを突き飛ばしたように、ガイは女性が背後から触れてくるのを極度に嫌がる。今は封じられている過去の記憶に起因するトラウマだが、いずれ封が解かれるとしてもかなり先の話になるだろう。
 少なくとも、背後から女性がガイに接近することが危険である、という事実を知らしめることは悪いことではない。
 そう思考するジェイドの目の前で、腕を受け止められて初めてガイは自身の行為に気がついた。そして、もう少しでティアを弾き飛ばすところだったということも。

「……あ、ティアか……わ、悪い」
「……ご、ごめんなさい、ガイ。そこまで怖がるなんて思わなくて」
「おいおいガイ、いくら何でも危ねぇんじゃねえか?」
「大丈夫ですか? ティア」
「びっくりしちゃったあ。2人とも大丈夫ぅ?」

 半ば呆然とお互いを見つめ合うガイとティア。ガイにはルークが駆け寄り、ティアにはアニスとイオンが歩み寄っていく。
 1人離れて彼らを見ていたジェイドだったが、ちらと屋根の上に視線を軽く投げた後ゆっくりと同行者たちに近づいた。

「……マジ悪かった。身体が勝手に反応しちまって」
「いいえ。女性恐怖症だって聞いていたのに、忘れていた私も悪かったわ」
「ですが、今の反応は極端でしたよ。……アニスとティアは、ガイの背後からは近づかない方が良さそうですね」

 互いに謝罪するガイとティアを見比べ、如何にもたった今思考したと言わんばかりの表情を浮かべながらジェイドはそう提案する。ばつの悪い顔をして、ガイ本人も「そうしてくれ」と頷いた。それから、ルークが心配そうに眉をひそめ見上げてきているのに気づいて苦笑を浮かべる。

「何だよルーク、もうあんなことしないって」
「なら良いんだけどさぁ。そう言えばガイ、何で女の子怖いんだ?」

 じーっと自分を見つめる養い子に、育て親は眼を細めた。
 原因を生み出したのはこの子の父親だが、固有名詞さえ出さなければ少年には分かるまい。
 唯一自身の正体を知っている青い服の軍人も、口外はしないと明言した。信頼……とまでは行かなくとも、信用は出来る。
 己を恨めと言うことはつまり、赤毛の少年を恨んで欲しくない……2人の仲を割りたくないからこそ口にした言葉なのだから。

「……さあ。昔はこうじゃなかったんだがな……多分家族のことが原因なんだと思うけど、思い出せないんだ」

 だから、ガイはそう口にするに留めた。それを聞いてアニスが、大きな目を瞬かせながら問うてくる。

「ガイも記憶障害だったのぉ?」
「いや……多分違うと思う。抜けてる記憶は一瞬だけだからな」

 軽く首を振って答える。厳密には一瞬では無いのだろうが、記憶の存在しない時間というものはそれがどれほどの長さであっても当人には一瞬でしかあり得ない。10年を失ったルークが、その時間を無いものとして生きているのと同じように。

「どうして一瞬だって分かるの?」
「そりゃ分かるさ。抜けてるのは……俺の家族が殺された、その瞬間の記憶だから」

 不思議そうに問いかけたティアに何でも無いような口調で答え、青年はかりと短い金髪を指先で掻いた。顔を上げると、皆から一歩引いたところで彼を見つめていたジェイドと視線が交わる。
 まっすぐにガイを見ていた真紅の瞳は、感情を浮かべることを拒絶していた。あるいは己に、呪縛を掛けているのかも知れない。
 自分ごときが、感情を露わにするなと。


「……ばかじゃないの、どいつもこいつも」

 屋根の上からルークたちを見つめていたシンクは、吐き捨てるように呟いた。

 いいじゃん、家族なんていただけさ。
 僕みたいな不要品のレプリカに、そんなもの最初からいなかったんだから。
 ま、いたところでどうしようもない結果になってる奴もいるけどね。

 仮面の下で顔を歪めながら、少し前の記憶を引き出す。それは、コーラル城から撤退する道中でのことだった。
 アリエッタの『お友達』の背に揺られ、ダアトへ戻る道すがら。
 ディストはアリエッタに、彼女でも分かりやすいようにヴァンの陰謀を話してしまっていた。『レプリカ計画』と呼称されるその陰謀を聞き、実年齢よりもずっと幼く見える少女は顔を青ざめさせる。

「……それじゃ、ヴァン総長、アリエッタの故郷復活させてくれる、嘘ですか?」
「厳密にはそうですね。見た目には貴方の故郷と同じレプリカを作成する、ということになりますが、そこに住むのは貴方ではなく、貴方のレプリカでしょう。貴方のお母上もオリジナルからデータを採取した後、構築したレプリカを棲まわせることになる。オリジナルは私も貴方も貴方のお母上も、全て殺されることになるでしょうね」

 平坦な口調で、残酷な内容を語るディスト。ちらりと2人を伺う視線にも、感情は込められていない。シンクは以前から計画については知ってはいたが、アリエッタは今初めて聞いたらしくぎゅっとフレスベルグの背にすがりついた。

「そんな……アリエッタ、ここにいるのに。ママだってレプリカ、必要無いです」
「けっ。何だ、アリエッタ知らされて無かったの? お笑いぐさだね」

 すっかりしょげてしまったアリエッタをちらりと視界の端で意識しつつ、軽く嘲笑をこめながらシンクは吐き出した。はっと少女が顔を上げ、少年の方を振り返る。

「シンク、知ってたの?」
「当然だろ」

 口を尖らせ、アリエッタから顔を逸らすシンク。1人魔物ではなく譜業椅子に腰を下ろしているディストは、ふんと息をひとつ漏らすと人差し指の先で空に円を描く。

「シンクは参謀総長ですし、私は複製に必要なフォミクリーの権威ですから知らされていて当然ですよね。まあリグレットも知っているでしょう。ラルゴがどうかは知ったこっちゃないですが、案外知っているかもしれませんねえ」

 最後の一言にシンクは、一瞬ディストに視線を移した。その横顔に感情は浮かんでおらず、かの『死霊使い』同様その心中までは読み切れない。だが。
 キムラスカに娘を奪われ、預言に家族を奪われた男。預言を破壊するヴァンの計画を知れば、あの男ならば賛同するだろう。
 そうディストが読んでいることを、シンクは感じていた。そのために例え、王女として育てられた実の娘を犠牲にしてでも。

「……アッシュは? アッシュは、知ってるの?」
「あいつが知ったら邪魔するに決まってんだろ。変なところで潔癖性なんだから」

 アリエッタのもっともな問いに、ディストより先にシンクが答えた。ディストがむっとしながらも口を挟まないところをみると、当たっているのだろう。


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