紅瞳の秘預言14 転回

 ラルゴの娘をそうと知らず、婚約者として育ったオリジナルルーク……アッシュ。彼はシンクが口にした通り、潔癖性な部分がある。そして何よりも、生まれてからの10年を貴族子息として育てられただけあり、国と民を守るという気概は人一倍強い。
 そのアッシュが『レプリカ計画』を知れば、いくらヴァンの影響下にあったとしてもその計画を止めるために動く。
 シンクもディストも、そしてそもそもヴァンがそう考えているからこそ、アッシュは何も知らされず動いているのだ。

「で、どうします? 私は情報をお教えしただけです。どう動くかは、貴方たち自身が決めることですよ」

 軽く譜業椅子が後ろに傾く。僅かに赤みを帯びた銀髪を風になびかせながら、ディストは2人の子どもたちを交互に見やった。彼ら2人に自身の意向を強制するつもりは、この大人には無いらしい。
 ピンク色の髪がふわりと広がる。アリエッタはしばらく無言のまま俯いていたが、ふと顔を上げディストに視線を向けた。おずおずと口を開く。

「……アリエッタ、もうちょっと考えます。いいですか」
「ええ、構いませんよ。シンクはどうするんです?」

 至極あっさりとアリエッタに頷き、ディストはシンクに視線を移す。穏やかに微笑んでいるその表情は、少年の反応を楽しみにしているようにも感じられる。
 それにむっとして、シンクはそっぽを向きながら吐き捨てるように答えた。

「僕は最初から、こんな世界潰すつもりだよ」

 その一言だけを残し、魔物の背中から飛び降りる。砂漠が近く、少なくなってきた緑の上に上手く落ちると、空から男の声が降ってきた。

「あ、シンク! 何処に行くんですか!」
「あんたがどんなデータ渡したのか、興味あるからね! じゃ、また!」

 一度だけ上を見てあかんべーと舌を出し、シンクはそのままケセドニアの街へと駆け出した。背後でディストが何かわめき散らしているような気もしたが、追いかけてこないのだから特に問題無しと言うことなのだろう。もっとも、あのひょろひょろ学者が追いかけて来たところで返り討ちにするだけだが。

「けっ。みーんな死んじゃえばいいんだよ、ほんとばっかみたい」

 また、吐き出すような仕草をする。しばし待っていると視界に、小脇に厚手のブリーフケースを抱えたジェイドの姿が映った。反対の手には、音譜盤が携えられたままだ。アスターの屋敷で、音譜盤解析機を使って出力してきたものだろう。同行者たちの最後尾を歩いていて、シンクからは青い背中が一番近くに見える格好になる。
 出力されたデータを収納しているであろうブリーフケースと、元データの入力された音譜盤。
 狙うは無防備に晒された背中と情報、ならば。
 薄く眼を細め、シンクは屋根を蹴り宙を舞う。一直線に、青を狙って。

「──待っていましたよ。シンク」
「っ!?」

 その瞬間、くるりと振り返った『死霊使い』が己の名を呼んだ。びくりと怯んだ少年の隙を突き、彼のすぐ前を歩いていたガイにブリーフケースを押し付けると、その手に槍を具現化させる。

「え、旦那何……って、シンク!?」
「書類はお願いします。先に行ってください」

 少年の蹴りを槍でいなしながら肩越しに指示するジェイドに、一瞬の逡巡の後ガイは頷いた。ケースを持ち直すと振り向いて、同行者たちに呼びかける。

「船まで走れ!」
「分かりました! イオン様、アニス、先へ!」

 即座に反応したのはティア。自身の名を呼ばれ、アニスははっとしてイオンの手を取った。

「へ? は、はいっ! えーと道空けてくださいっ! 行きますよぉイオン様っ!」
「はい! アニス、済みません!」

 そこここを歩いていた人々の波がざあっと分かれ、港まで道を形作った。その中を守護役の少女に手を引かれ、イオンが走り出す。緑の髪が先に行くのを待ち、ルークがガイとジェイドを振り返りながらティアと肩を並べて駆け出した。

「悪いガイ、後ろ頼まぁ!」
「おう! 旦那、待ってるから急いでくれよ!」
「はい!」

 ガイが駆け出すのを気配だけで確認しながら、ジェイドは槍でシンクの攻撃をいなしていく。少年の身軽な身体から繰り出される攻撃はスピードこそ圧倒的だが、体重が軽いせいで一撃の重みはさほどでもない。故に、一度弾き飛ばせば次の攻撃まで一瞬間が空き、その隙にジェイドは態勢を立て直すことが出来る。

「そいつを寄越しな、『死霊使い』!」
「そう簡単にはお渡し出来ませんねっ!」

 靴底を槍の柄で捉え、思い切り押し戻すとシンクの身体は易々と吹き飛ばされる。が、宙でくるりと回転して壁に足を付け、反動を利用して再び蹴りを入れようとした。
 その瞬間、詠唱が響いた。

「狂乱せし地霊の宴よ、ロックブレイク!」
「うわっ!」

 騒ぎで人の姿が消えた道。その地面から土の棘が次々に生み出され、1つがシンクの身体にぶつかった。胴を打った痛みを抑えながら起き上がると、消えていく棘の向こうに見えるのは駆けていく青い背中。

「待ちなよっ!」

 シンクは地面を蹴り、建物の壁を走ってジェイドの右上方に位置を取った。壁と屋根との境付近を蹴り、青い肩を目がけて飛びかかる。振り返りざまに槍の穂先が閃くことも計算済みで、掌で刃の根元を払ってかわした。その勢いでほんの僅か身体を浮かせ、シンクの手がジェイドの肩をしっかりと掴んだ。

「つっ!」
「捕まえた!」

 勢いは収まらず、シンクがジェイドを押し倒す形でもつれるように地面に倒れる。その拍子に音譜盤が放り出され、道の上に転がった。2人の腕が同時に伸びたが、一瞬早くジェイドの指が円盤をつまみ上げた。

「ああもう、よこしなよ! あんた、ディストから何の情報引き出した!」

 青い手首を掴み、ぎりと強く握りしめる。びくり、とジェイドが顔をしかめたのは、その手首が左だったからだろうか。
 それでもジェイドは、少年の仮面を着けた顔を見上げると微かに笑みを浮かべた。

「ザレッホ火山の火口は……怖かったですよね。助けに行けなくて、済みませんでした」
「っ!?」

 一瞬、シンクの動きが止まった。ジェイドの腕を掴んでいた手の握力が緩み、解ける。その拍子に青の指先から滑り落ちた音譜盤には意識が行かず、少年はまじまじと端正な顔を見つめた。
 不意に、1つの言葉がシンクの脳裏から浮かび上がる。己に居場所を与えた、主席総長の声で。

 フォミクリーの発案者。
 自身を生み出した元凶。

 瞬間、かっと頭に血が上る。この男がいなければ自身はこの世に生み出されることも無く、空しい日々を送ることも無かったのだと思い至ったから。それを教えてくれたのは、ヴァン・グランツだ。
 シンクは何の迷いも無く、右の手に譜術の力を込めた。この男を穢して、暴走させてやる。

「私には、カースロットは無駄ですよ」
「なっ」

 だがその思惑を易々と『死霊使い』に見抜かれ、シンクは口の端を引きつらせた。同時に伸ばされたジェイドの青い腕が、先ほどとは逆に少年の手首を捉える。腹の上に少年を乗せたまま無理矢理身体を起こしたジェイドとシンクは、正面から向かい合う形になった。
 半ば呆然と自分を見上げてくるシンクの顔を、ジェイドは覗き込むように見つめながら微笑んだ。それは敵である六神将に対する表情では無く、1人の少年に対するそれ。

「あんた、どこまで知って……」
「私が負の感情で理性を失ったところで、グランツ謡将を襲うか自殺するかの二択です。キムラスカの王族も、ダアトの導師も、私が刃を向ける理由はありません」

 どこか気の抜けたように問いかけたシンクに、低い声で答えるジェイド。乱れた長い髪で幾分影が掛かっている真紅の瞳は、やはり穏やかなままだ。
 槍が消えているために空いている右手が、森の色の髪に掛かる。覚悟して目を閉じたシンクの髪を、ジェイドの手がゆっくりと撫でた。仮面の下でぱちくりと眼をしばたたかせたシンクに、落ち着いた低い声が掛けられる。

「一緒に来ませんか、シンク」
「……え」


PREV BACK NEXT