紅瞳の秘預言14 転回

 穏やかな表情のままのジェイドを、シンクはぽかんと見つめた。対面したのはこれが二度目、それも一度目は抵抗出来ないのを良いことに自身に対し暴力を働いた相手を、何故この男はこうも柔らかな瞳で見ることが出来るのか。

「私たちと一緒に来ませんか。貴方ならきっと、他の誰でも無い自分自身の居場所を見つけることが出来ます」

 何故、己の懐へ入れようなどと考えることが出来るのか。
 シンクには、到底理解など出来なかった。

「はぁ? ふざけんじゃないよ。僕とあんたは考え方も生き方も違う、一緒にしないでよ」

 少年が頷くことは無い。今のシンクにとって目の前にいるこの軍人は敵であり、本来ならば全力を以て互いの生命を狙うべき相手でしか無いのだから。もっとも、今この男を殺すことはシンクにとって、そしてシンクの属する勢力にとっては不利益にしかならないのだけれど。

「皆そうですよ。貴方とイオン様だって、思考は違うんです。別人なんですから、当たり前でしょう」

 それなのに、『死霊使い』の二つ名を持つこの男はまるで敵意を持たない笑みを浮かべ、そう語りかけてくる。
 ふざけるな。
 あんたのせいで、僕は空っぽの生を送るハメになっちまってるんだから。

「うるさい! あんたなんかに僕の何が分かるってんだよ!」

 ぱんっ。
 ジェイドの手を振り払いざま、その白い頬を平手で張った。
 勢いで流された顔が、ゆっくりと向き直る。その瞳は、先ほど見せていたのとは違う色を浮かべていた。

「駄目ですか」
「冗談じゃないね。あんたと一緒なんて願い下げ」

 一瞬だけ悲しげな、その後は残念そうな顔をするジェイドに、シンクはむかつきを覚える。掌に今一度譜術の力を籠めるべく念じ始めたところで、邪魔が入った。

「旦那!」

 抜き身の剣を構えたまま、先に船に乗り込んだはずのガイが駆け寄ってくる。はっと金の髪に意識を取られたジェイドの隙を突き、立ち上がって距離を取るとシンクは地面に転がったままの音譜盤をつまみ上げた。

「こいつは貰って行くからね!」

 捨て台詞を吐きながら地面を蹴り、建物の屋根へと飛び移る。自分を見上げるガイの視線を一瞬感じたが、それに構うことなくシンクは街の外へと駆け抜けていく。

 私には、カースロットは無駄ですよ。

「何で知ってんだよ、あいつ!」

 走りながら、かすれた声で叫ぶ。
 刻みつけた人間の記憶を利用してその人物を操る、ある種の呪いと言っても良いダアト式譜術の1つ。
 導師イオンはこのような譜術を快く思わず、故に表に出すことも無い。
 その譜術を、何故あの男は知っているのか。

 グランツ謡将を襲うか自殺するかの二択です。

「……あいつ、自分が嫌いなのか。なら穢してやれば良かったかもね、勝手に死んでくれるんだから」

 記憶を利用するカースロットは、その特性上憎悪や拒絶と言った負の感情を他人に対して強く持つ人物でなければ効果を発揮しない。
 ジェイドは恐らく、その特性を知っていてそう口にした。
 即ち、殺してしまいたいほどにジェイドの理性を狂わせる相手は、ヴァン──もしくは、ジェイド自身。

 ザレッホ火山の火口は……怖かったですよね。

「くっ……何を知ってるって言うんだよ」

 赤いマグマ。熱を帯びた空気。そして、落ちていく自分と同じ顔をした複製体たち。
 ザレッホ火山は、導師イオンのレプリカとして生まれながら代替には不適とされた複製体たちの墓場だった。
 シンク自身は己の身体能力により生き延び、ヴァンに手を差し伸べられて今こうやって存在している。

 一緒に来ませんか。

「馬鹿でしょ……『死霊使い』」

 ヴァンと同じように手を差し伸べられても、もう遅いんだよ。
 僕は、あいつと一緒に世界を壊すことに決めたんだから。
 決めたんだから。

 決めたのにさあ、何で気になるんだろ。


 ガイに手を引かれジェイドが乗り込むと同時に、バチカル行きの船は港を出た。そのまま同行者たちの待つ部屋まで駆け込み、ばたんと扉を閉めてしまってからガイはふうとひとつ息をついた。

「お待ちしておりました。大佐、大丈夫ですか?」

 入口のそばに座っていたティアが立ち上がり、2人を迎え入れる。船室の一番奥にイオンとアニスが陣取っており、その横にルークが膝にミュウを乗せて座っていた。テーブルの上にはジェイドがガイに預けたブリーフケースが乗せられており、無事であることが分かる。

「ええ、ガイが来てくれて助かりましたよ」
「とはいえ、音譜盤は盗られちまったみたいだけどな」

 入口傍の椅子に座りながら苦笑を浮かべるジェイドの言葉を引き継いで、ガイが溜息をつく。「怪我はねえのか?」と心配げに見つめるルークに、2人は同時に肩をすくめた。すぐに口を開いたのは、ジェイドの方。

「シンクの目的は、私を傷つけることでは無かったようですからね。おかげさまで大丈夫ですよ」
「でもでも、音譜盤盗られちゃったんでしょお? 何のデータか知らないけど、向こうに渡ったらまずいんじゃないですかぁ?」

 アニスが身を乗り出してくる。ジェイドは眼を細めると、種明かしをするために口を開いた。

「ご心配無く。シンクが持って行ったのはブランクディスクですよ」

 ぺろ、と悪戯っ子のように舌を出してみせる。くるりと室内を見渡すと、ルークとガイが揃ってぶるりと震えたように感じた。一度赤い目を閉じて、その反応は見ていないことにした。
 アスターの屋敷を訪れる前に、シンクの襲撃を思い出したのは幸運だった。アスターからブランクディスクを一枚譲り受け、そちらをさも自身が最初から携えていたもののように扱ってシンクの目をごまかしたのだ。時間があれば問題無いデータを移しても良かったのだが、さすがにそこまでサービスをする余裕は無かった。
 背筋を走る寒気がやっと消えたのか、ガイが視線をジェイドに向けてきた。その正体を知っていることを教えて以降、この金髪の青年は何かにつけてジェイドを視界に入れている。本人としては、監視のつもりなのだろう。

「マジかよ、旦那。まるでシンクが襲ってくるのが分かってたみたいじゃないか」
「分かっていた、と言ったらどうします?」
「げ、マジ?」

 だが、それに気づかないふりをしつつジェイドは軽口を叩く。ここは既にキムラスカの領域であり、マルクト軍人である自身が警戒されるのは当然のことだ。どうせ付く監視なら、知った相手の方が気が楽であるというもの。

「冗談ですよ。預言士でもないのに、分かるわけ無いじゃないですか」
「だ、だよなあ……」

 気まずそうに顔を見合わせるルークとガイを見比べながら、ジェイドは悟られぬよう左の腕をさすった。
 どうやら自分はシンクも救いたいのだと、今更になってジェイドは自覚する。
 あの少年は今目の前にいるイオン同様、オリジナルイオンのレプリカとしてこの世に生を受けた存在だった。『記憶』の中のシンクは最後まで『自分自身』を得ることを良しとせず、エルドラントで散った。

 贅沢なのでしょうか。けれど、望むのは間違っていませんよね。

 うっすらと浮かべた笑みは、あくまでも穏やかなもの。ルークの膝の上にいたミュウが、その表情を見てにこーと微笑むような。
 だが、チーグルの仔の表情がすぐに曇ったことには、ジェイドは気づかなかった。
 カースロットの呪いこそ受けなかったものの、地面に打ち付けた左の肩を庇うように腕を押さえていることをミュウは鋭く見抜いていた。それでいて、彼はそのことを口にはしない。
 ミュウが主と慕うルークがそれを知れば、きっと悲しむだろうから。
 だからミュウは、大人しく一声鳴いてティアの手からお菓子を貰うことにした。


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