紅瞳の秘預言15 王都

 ガイと並んで最後尾を歩くジェイドも、嬉しそうなイオンと照れくさそうなルークのやり取りを聞きながら笑みを浮かべる。
 視線をガイに向けると、青い視線が一瞬だけ絡んだ。その表情は僅かに強張っており、明らかに動揺していることが良く分かる。ジェイドは声を落とし、短く問うた。

「……ジョゼット・セシル。ご親族ですよね」
「確か従姉だ。……気づかれたかと思った」

 金の前髪をかりと指先で掻くのは、意図的に表情を隠すため。手の下から覗く青い瞳はジェイドに向けられること無く、前方を歩いていく朱赤の焔だけを見つめている。

「15年経っています。貴方が生きているとは思っていませんよ」
「だよなあ」

 揃ってルークの赤い髪を見つめながら、互いにだけ聞こえる声で会話を交わす。それが途切れたところで視線を僅かにずらすと、ティアとアニスが互いに顔を見合わせながら楽しそうに話をしている様子が視界に入った。

「ねえねえ、ティアはバチカルに来たの初めて?」
「いいえ、二度目ね。そういうアニスは?」
「んーとぉ、少なくとも上まで行くのは初めてでーす。士官学校からイオン様の守護役から、ほとんどダアトの中で過ごしてたから」
「そうなの? ……私も、任務でこちらに出てくるまでは住んでいた街から出たことは無かったわね」
「ありゃ? ティア、士官学校行かなかったのぉ?」
「私の所には、教官がおいでくださっていたの」
「うはー、主席総長の妹御ともなると特別扱いなんだー」
「そうなのかしら……おかげで、友達はほとんどいなかったのだけど」
「あー。人付き合いって、慣れないと大変だもんねー」

 ごくごく普通の、少女同士の会話。だが、その中には未だ知らされぬ真実が存在する。
 ティアは魔界で育ち、教官であるリグレットは彼女の指導のために魔界を訪れていた。
 『記憶』の中で訪れたユリアシティには、彼女と同年代の人物はあまり多くなかったように思う。さらに本当なら外殻大地のホドで生まれるはずだったティアは忌避されたらしく、そのため友人は少なかったのだろう。
 ──ティアをそんな環境に放り込んでしまった原因は、やはり己なのだとジェイドは心の中で呟いた。ホドが崩壊しなければ、彼女はマルクトの民として平和に生まれ育っていたのだろうから。

「ルーク様。どうぞ、こちらにお乗りくださいませ」

 ジョゼットの声が、ジェイドを現実に引き戻した。彼女が佇む傍には、天空客車が扉を開いてルークたちを待ち受けている。

「? なあガイ、これ何だ?」

 バチカルの街を歩いたことの無いルークは、当然この音機関を見たことが無い。目を丸くして、最後尾にいる金の髪の幼馴染みに質問をぶつけた。

「あー、これは天空客車って言うんだ。バチカルは上下に長い街だからな、こういう乗り物を使って上と下を結んでいるのさ」
「へー……あ。前にガイ言ったよな、バチカルは譜石が落っこちて出来たクレーターに作られたって」
「そうそう。ちゃんと覚えてるんだな。で、抉れた部分から上に上にって伸びて行ったわけさ」

 ガイが上層を指で示しながら簡単に説明してやると、赤毛の少年はぐっと上を向いて感心したように声を上げる。下層から見上げたバチカルは天高くそびえる塔のようで……一瞬そこにレムの塔を重ね見て、ジェイドは思わず顔を伏せ瞼を強く閉じた。
 思い出したくない、光景。
 あの頂上で『記憶』の中のルークは身体を壊し、死へのカウントダウンを開始してしまった。
 自身がルークに対し死ねと命じた、その結果として。

 もしまたそのような事態に陥ってしまったならば、もう覚悟は決めている。
 コーラル城でディストに語ったように、己の身に譜陣を刻んで死ねば良い。
 それで、ルークは長らえる。

「クレーターの壁が塀の代わりってことかあ。それで縦に長いのかー……なあ、ジェイドどうしたんだ?」
「え?」

 名を呼ばれ、はっと顔を上げると覗き込んでいるルークと目が合った。じっと自分を見つめる碧の視線が痛くて、ジェイドは無意識に顔を逸らした。

「……何でもありません。少し、立ちくらみしてしまって」
「そっか? 船で眠れなかったのか、無理すんなよ。行こうぜ」
「はい。済みません、ルーク」

 軽く首を振ってごまかすと、素直な少年は安心したように笑う。その笑顔に安堵して、ジェイドは彼の朱赤の髪を追いかけた。


 天空客車の中から下層を見下ろすと、街中を沢山の人々が歩き回っているのがよく分かる。窓にへばりつくようにしてその光景を見ていたルークは、楽しそうに感想を漏らす。

「ケセドニアもすごかったけどさ、バチカルも何か違った感じに人が多いよな。賑やかだし」
「そりゃそうさ。バチカルはキムラスカの首都で、世界最大の都市だからな」

 隣に並び、ガイも光景を見下ろしながらルークに答える。「ふーん」と僅かに首を傾げていたルークが不意に振り向いて、ジェイドに視線を向けた。

「なあなあ。マルクトの首都、ええとグランコクマだっけ。大きくないのか?」
「構造や立地条件がまるで違いますから、一概には言えませんね。人口では確かグランコクマの方が若干多いはずですが、総合的な規模としてはバチカルの方が上でしょうか」

 自身の知識を探りながら、ジェイドは答える。縦に長く伸びているバチカルとは違い、グランコクマは海上へと張り出す形で横に広がっている都市だ。山と海という立地も対照的なものであり、単純に比較するのは難しいだろう。
 しばらく帰れないのが分かっていると、何となく懐かしくなるものだ。小さく溜息をついて、ジェイドは窓の外に視線を戻した。高度を増して行くにつれ、視界には海が入ってくる。グランコクマの海と同じ、守護すべき皇帝の瞳と同じ、深い青い色がそこには広がっていた。

「そっかあ。一度行ってみたいな」
「いつでもどうぞ。バチカルとはまた違った雰囲気の街ですから、観光するにしても面白いと思いますよ。案内役は承りますね」

 自分が『覚えて』いるままに世界が進むのならば、この少年は確実にマルクトの首都へと足を踏み入れる。眼を細めて答えると、ガイが振り返って肩をすくめた。

「……旦那が案内役じゃあ、軍の施設とかしか見せて貰えそうも無いんだけどなあ」
「おや、心外ですねえ。良く通っている店があるんです。カレーが美味しいんですよ」
「カレー? 大佐、お好きなんですか?」

 ティアが目を丸くしたのには、さすがにジェイドも意表を突かれた。気がつくとルークもガイもアニスも……イオンやジョゼットに至るまで、驚いたような瞳がジェイドに視線を集中させている。1人ミュウだけは、「ジェイドさんはカレー好きですの。ボク、覚えましたのー」とルークの足元でくるくると踊っているのだが。

「……そんな意外そうな顔をしなくても……私だって好き嫌いくらいありますよ」

 苦笑を浮かべつつ、言葉を続ける。『記憶』の中で食材の好き嫌いが知られた時には、ここまで驚かれただろうかとジェイドは未来の記憶を探る。が、見つからなかったところを見るとあまり自分の印象には残らなかったのだろう。

「ジェイド、嫌いなものがあるのですか?」
「ポークが少し。食べるには食べられるんですけどね」
「じゃあ大佐、何が好きなんですかぁ?」
「豆腐とサーモンですね。……ですから皆さん、そんな顔をしないでください」

 イオンとアニスが続けざまにぶつけてくる質問に、反射的に短く的確に答える。答えてしまってから感心したようなジョゼットの顔を視界に入れてしまい、ジェイドは困惑の表情を浮かべた。自身が人間らしい存在であることが、やはり彼らには衝撃的だったらしい。

 いいんですけどね。第三者から見れば私は、冷酷な悪魔だそうですから。

 あまり他人からの評価を気にする性分では無いし、今更な問題でもある。だから、ほんの僅か浮かび上がった寂しさなどという感情は、心の奥底に閉じこめた。
 そんなジェイドの感情を他所に、ルークはガイに噛みついていた。

「ほらガイ、ジェイドにだって好き嫌いあるんだから俺にあったっていいだろー!」
「お前は論外。嫌いな品目が多すぎるんだよ。あと魚の骨くらい自分で取れ」
「えー、めんどくせえ」

 ぶーと膨れるルークに、ジョゼットも含めた他全員が思わず吹き出した。そう言えば『記憶』の旅の中でも、ルークは嫌いな食材がやたらとあって面倒だったことをジェイドは思い出す。その育ちからか嫌いなものがまったく無いアニスが、贅沢言うんじゃねえこのボンボンと悪態をつきながら料理をしていた風景が脳裏に蘇った。


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