紅瞳の秘預言15 王都
ふと、くいくいと軍服の裾が引かれた。ジェイドは青い裾を掴んだままのルークに視線を向ける。喧嘩していた相手はどうしたか……と視界の端で探ってみると、ぐったり疲れたように客車の壁にもたれかかっていた。
「どうしました?」
「……えと。ごめんな、ジェイド」
「はい? 何故貴方が謝るんですか、ルーク」
しょげた表情のルークが、じっとジェイドを見つめている。きょとんと目を丸くしているジェイドの問いに、指先でかりと髪を掻きながらぼそぼそと答えた。
「俺、バチカルの街歩いたことねえから、美味い飯屋とか知らねえんだ。知ってたら案内してやれたのになあ、って」
少ない言葉だが、少年の言いたいことは良く分かる。
グランコクマに来れば行きつけの店などを案内するというジェイドの発言。同じ事をルークは出来ない。超振動でタタル渓谷に吹き飛ばされるまで、ファブレの屋敷の中だけがルークの世界だったのだから。
「そんなことですか。和平が成り立ちましたら、また来る機会もありますよ。その時までに是非、美味しいお店を開拓しておいてくださいね。楽しみにしていますから」
ジェイドは笑みを浮かべて、少年の赤い髪をゆっくり撫でてやった。『記憶』の世界では叶わなかったことだけれど、ルークを死なせるつもりの無い今のジェイドにとってそれは、純粋な楽しみとなる。
──あの世界では、ジョゼットと結ばれる直前だったアスランも死した。今はまだ巡り会っていない2人だけど、叶うならば此度こそは幸あれ、と願わずにはいられない。
「おう、そうする。手伝えよガイ」
「……やっぱり俺が巻き添えかあ。はいはい、ご案内いたしますよルーク様」
だから、今の僅かな平和をジェイドは満喫する。金髪の育て親と笑って会話を交わす朱赤の焔を見つめ、幸せに微笑む。
「わー私も連れてってくださいルーク様〜あ、おごりでよろしくっ!」
「わ、私も連れて行って欲しいかも……あ、自分の分はちゃんと払うから」
財布の紐だけは堅い導師守護役の少女と、『記憶』よりも幾分表情が柔らかくなった長い髪の少女が揃ってルークに歩み寄った。慌ててガイが後ずさる様は相変わらずだけれど、それを見てジョゼットが目を丸くしているのは少し新鮮で。
「僕も一度行ってみたいですね。……ポケットマネーはあまり無いんですけれど」
緑の髪の導師が小さく首を傾げ、考え込む表情になる。そう言えばこの少年は、自費で食事をする機会などほとんど無いだろう。
「ええとええと、ボクも連れてって欲しいですのー! あ、でもチーグル用のお料理って、お店にありますの?」
「俺がそんなこと知るかー!」
青いチーグルの仔は相変わらずのマイペースだ。が、ルークが蹴りを入れようとしてぴたりと足を止めたのは珍しい。ジョゼットという他人の目があるからかも知れないが、ひょっとしてこの少年もミュウの扱いに関して少しは成長したのだろうか。
願わくば──鉱山の街が消え去った後も、この関係が途切れず続きますように。
一度天空客車を降り、ジョゼットに導かれて今度は昇降機に乗り込む。どんどん上層へと登っていく中、歩いている間もきょろきょろと周囲を見回していたアニスが尋ねた。
「あのー、お城はやっぱり一番上なんですか?」
「はい、最上層にあります。ファブレ公爵邸もそうです」
こくりと頷いて答えてくれたのに、ルークが目を見張った。ガイが不思議そうにその顔を見やると、少年は「一番上かあ」と初めて知った事柄を楽しそうに口の中で繰り返す。
「どーりで眺め良いと思った。一番上なら見晴らし良いよなあ」
にこっと微笑むルークの表情に、ガイとジェイドは同時に保護者然とした笑みを浮かべる。が、ほんの一瞬間を置いてジェイドはガイに視線を向けた。柔らかな真紅の瞳に見つめられ、青年はまじまじと見つめ返す。
「……そう考えると、この街は階層社会をそのまま具現化したという感じですね」
「ああ……そうだな。確かにあんたの言う通りだ」
同行者たちの中では年長に当たるこの2人が会話を交わす時は、堅い話になることがままある。此度もそうだと気がついたルークが、2人の間に割り込むように半身を傾けて尋ねてきた。
「な、それってどう言うことだ?」
「つまりな。バチカルは偉い人ほど上の階層に住んで、貧乏人ほど下の階層に住んでるわけ。ファブレの屋敷は敷地面積がかなりあるけど、最下層だとあの面積の中に何軒も家があって家族が押し込められるように住んでるんだぜ。ルークの部屋くらいのサイズでも1家族……いや、それ以上住んでるかもな」
「……え、マジ?」
バチカル守護隊の兵士に囲まれるように下層を進んでいたから、ルークはあまり下層の雰囲気を見ることは出来なかった。さらに、極貧層の居住区が上層への通路に当たるあの通りに面して構築されているとは、とても思えない。
だから、ルークはまだ、バチカルの本当の姿を知りはしないのだろう。
もっとも、それはこれから知っていけば良い。これからの旅の中でバチカル、キムラスカ、マルクト、ひいては世界の本当の姿を、ルークは知ることになるのだから。
「そして、その人数は上層ほど……即ち、偉い人ほど少ない。これもまた、バチカルの街の形そのままですね」
「ま、支配階級が人数多くちゃ国なんて成り立たないけどな」
ジェイドの言葉にガイが続き、揃って上を見上げる。つられてルークも視線をずらすと、ほど無く昇降機は終点である、最上層に到着した。
ルークを先頭に降り立つと、公園のように良く手入れされた広場がまず視界に入る。左手に見える豪奢な屋敷は、ルークが生まれてからの7年を過ごしてきたファブレ公爵邸。
そうして、正面には王城の尖塔群が屹立していた。
これがバチカル最上層に君臨する、キムラスカの王インゴベルト6世がおわす城。
「うはーっ! このお城、すっごーい!」
王城の威容を間近で目にして、アニスが感心の声を上げた。ルークやガイは見慣れているし、ティアは一度ファブレ邸を訪れているから見たことがあるはず。イオンがどうかは分からないが……ジェイドは、『記憶』の中で何度も見ていた。だから、この中で本当に初めて王城を見たのは、はしゃいでいるアニスだけ。
「下から見た時には、最上層は霞んで見えなかったしぃ。まさか一番上がこんなんだなんてー」
自らが守護する導師の元に駆け戻っても、少女は興奮を抑えられないままだ。よもやこれから見飽きるほど通うようになるとは、さすがの彼女も思っていないに違いない。
軽く顎を撫でながら、ジェイドは改めて王城を見上げる。攻略手段を考えてしまうのは、ピオニーの懐刀として数々の戦線をくぐり抜けてきた経験上致し方の無いところだろうか。
「ふむ、外敵に対する防御としては完璧でしょうね。下から攻め込むにも時間がかかる上に天空客車や昇降機を止められると侵攻はおぼつかなくなりますし、上から攻めるには空を飛ばなければなりませんから」
む、とジョゼットが顔をしかめる様子が視界の端に映る。それに気づいたガイが肩をすくめ、自身とあまり高さの変わらない青い右肩をぽんぽんと軽く叩いてたしなめた。
「こらこら旦那、攻撃手段練ってるんじゃないよ」
「済みません。根が軍人なもので、つい」
肩をすくめて苦笑するジェイドだったが、ふとルークが空に目を向けていることに気づき視線を向ける。少年は青い空を指差して、その手をすーっと横に引いた。よく見てみると、上空を白い鳥が飛んでいる。その軌跡を、ルークは指で追っていたのだった。
「……アリエッタかディストなら攻め込めるよな。あいつら空飛べるし……あ、魔物使えるんなら誰でも来れるかぁ」
鳥が視界から消えていくのを追いながら、ルークはぼそりと呟いた。
この世界では、空を飛ぶ手段はほとんど確立されていない。アリエッタのように魔物を操れるか、ディストのように譜業機関を使うか。だが前者はアリエッタ以外に実例が極度に少ない。また後者も、使用できる音機関の出土が極少のため実用化には至っていない。ディストが愛用している譜業椅子は論外として、唯一実用化されつつあるのが『記憶』の中で何度も世話になったアルビオール。しかしあの機体も、ギンジが乗り込み試験飛行中に墜落してしまった一号機がそろそろ組み立てを始める、というところだろうか。
「まあ、そうですね。ですがキムラスカは譜業が盛んですから、譜業による防壁を張って対抗するのでは無いでしょうかね。最悪でも、譜業兵器を対空に使用できると思います。防衛対策にはまず、敵の攻撃手段を予測することから始まるんですよ」
「はー、なるほど」
さらりと対策を解説してみせると、感心して頷いたルークの後ろでジョゼットは不服そうな表情を消さないまま視線を逸らした。恐らくジェイドが言葉にした中に心当たりでもあるのだろう。
少なくとも現時点で、バチカルを攻撃する可能性のある存在はアリエッタと彼女に魔物を使わせる事の出来るヴァンやリグレットたちのみ。それも、今は従順な預言遵守派を装っているから……マルクト消滅後まで繁栄を約束されているバチカルに攻め込むことは、アクゼリュス崩落まではあり得ない。
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