紅瞳の秘預言15 王都

 しばらくして、城の前まで歩いてくるとジョゼットが足を止めた。ぴしりと敬礼して、ルークに視線を向ける。

「では、自分はここで。ファブレ公爵ご夫妻にルーク様の無事をお伝えして参りますので」

 表情をほとんど崩さぬまま自分を見つめるジョゼットに、ルークは軽く眼を細めて頷いた。自分はこれから、イオンとジェイドを連れて肖像画で見たことがあるだけのキムラスカ国王に謁見せねばならないのだから。

「うん。案内ありがとう、セシル将軍。父上と母上によろしく」
「はい。では失礼いたします」

 小さく頭を下げると、ジョゼットは踵を返しファブレ邸へと歩み去って行く。……ほんの数ヶ月前まで自身を閉じこめていた小さな空間を隔てる壁に一度だけ視線を向け、それからルークはこれまで一緒に旅を続けてきた仲間たちを振り返った。

「じゃ、行くぞみんな」
「ええ、行きましょう」

 ルークの声に最初に答えたのはティア。その横に並び、イオンが顔を綻ばせている。

「はい。よろしくお願いします、ルーク」
「そうですね。きっと国王陛下も、可愛い甥の帰還を喜んでくださいますよ」

 ジェイドはいつものように優しい笑みを浮かべ、はしゃいでいるアニスにちらりと視線を向けた。

「こ、国王陛下……うはー楽しみ。かっこいい大臣さんとかいないかなー」
「……やれやれ」

 肩をすくめているガイは、ルークと視線を合わせると軽くウィンクしてみせた。
 くるりと同行者たちの顔を見渡して、ルークは小さく拳を握った。振り返り、自分の目の前にそびえる王城を見上げる。
 俺はちゃんと、役目を果たせるかな。大丈夫だよな。


「──から、貴方は、貴方なんですよ。他の誰でも無い、ルーク・フォン・ファブレ……アッシュ」

 言葉が鼓膜を叩く度に、頭の奥底でぼんやりと濁っていた何かが晴れていくのが分かった。それはアッシュの心の呪縛をゆっくりと、だが確実に解きほぐしていく。強張っていた意識も身体も、空へと解放されていく。

「……この辺にしておきましょう。後は、貴方の意志次第です」

 ぱちんというスイッチを切る音と、いつもより低く落ち着いた調子の声が、終わりを告げる。アッシュがそれに応じ瞼を開くと、それまでとまるで変わらない薄暗い室内が視界に映った。何度か瞬いて額を抑え、軽く頭を振る。

「気分はどうです?」

 目の前に、水の入ったコップがトレイに乗せられ差し出された。受け取って一気にあおると、その冷たさが自身の意識を一気に表層へと引き上げる。それと共に、ヴァンが自身に刻みつけた言葉が次々に脳裏へと浮かび上がってきた。

 私はお前のことを思って、ダアトへと連れて来たのだ。
 私にはお前が必要なのだ。

 確かに必要だったのだろう。だがそれは人としてでは無く、必要な道具としてなのだと今のアッシュには理解出来た。そうで無ければ、自身の意識を操作するような言葉を7年に渡り刷り込み続ける必要性など無い。

「……最悪だ」
「ま、そうでしょうねえ」

 コトリと音がして、コップはトレイの上に戻される。それを作業台の上に置いて、アッシュと向かい合わせに座っていたディストは小さく肩をすくめた。
 寝台から立ち上がり、アッシュは落ちていた前髪を掻き上げた。ふう、と微かに溜息をついたその表情は、すぐに苦々しく歪められる。軽く眉間を揉みほぐすと気分は幾分楽になった。
 ディストがアッシュに対して施したのは、譜業を併用してのカウンセリングだった。音機関を使用して体内音素に調整を施すことで間接的に感情の動きを弱め、意識を冷静に保たせる。その上で会話を交わすことにより、ヴァンがアッシュに掛けた暗示の効力を弱めた。
 7年もの間刻み込まれた暗示は、一朝一夕には影響を断ち切ることは出来ない。後は、アッシュ自身の意志が暗示を振り切ることが出来るかどうかが勝負となる。

「ヴァンの野郎……くだらねえこと考えやがって」

 額を抑えながら、アッシュは呟く。
 『レプリカ計画』。
 コーラル城からの帰途アリエッタに教えたその計画を、ディストはアッシュにも全て伝えた。オールドラントの表層域を全て複製体へと入れ替える、その壮大で愚かな計画を知ったアッシュは、自身がその中で負わされるはずだった役割を理解していた。
 外殻大地を支えるセフィロトツリー。それを制御しているパッセージリングを破壊する、超振動兵器。
 人が住まう大地を破壊する、殺戮者。
 そうして最後には消される、道具。

「確かに、俺に知られちゃ拙い内容だな。冗談じゃねえ」
「まああれでも、本人は本人なりに真剣に星のことを考えてはいるんですけどねえ。やり方がさすがに拙いでしょ」

 床に散らばった書類をぞんざいに掻き集め、ぱらぱらと内容を確認した後ディストは顔をしかめる。口の中で言葉を紡ぐと同時にぼう、と書類は炎に包まれた。一瞬のうちに灰と化した書類が屑籠の中に落ちると、その上でぱたぱたと掌をはたく。また小さく紡がれた言葉は、屑籠の中に僅かな水を浮かび上がらせた。

「ああ。それを分かっていてついて行ってるリグレットやシンクが気に食わねえな」
「リグレットは主席総長にすっかり惚れ込んでますし、シンクは自暴自棄になってる部分がありますからしょうがないですけどね。今考えると、よく私もついて行ってたものだと思いますよ」
「は、そりゃお互い様だ」

 アッシュと言葉をやり取りしながらも、ディストは同じ動作を何度か繰り返す。やがて、そう大きくはない屑籠の中が灰と水で7分目ほどまで満たされた。もっとも、この薄暗い室内を狭めている山ほどの書類の中からせいぜいほんの一部を燃やしただけなのだが。

「で、これからどうします? 少なくともアクゼリュスが破壊されるまでは、主席総長が表立って動くことは無いと思いますが」

 いい加減書類の処分にも飽きたのか、椅子を引いて腰掛けるとディストはアッシュの顔を薄い笑みを浮かべながら見つめた。だがその笑みは普段のような嫌味たらしいものでは無く、我が子を見つめる親のように柔らかく暖かいものだ。

「……レプリカに接触してみる。あいつが超振動を使えるのなら、ヴァンがあいつを利用しないはずは無い。まあもっとも、あいつが自分をレプリカだと認識しているかどうかは分からんが」

 ディストの表情に気づいているのかどうかは分からないが、アッシュも普段よりは落ち着いた表情を見せている。その精神を縛り付けていた暗示から僅かながらも解放されているという事実が影響しているのだろうか。

「そうですねえ。ジェイドは知ってますけど、トラブルの種ですから本人が気づいてない以上わざわざ教えるとは思えませんし。で、一緒にアクゼリュスに行くんですか?」
「いや、別行動のつもりだ。ヴァンがはっきりとした動きを見せるまでは、その方が目立たずに済むだろう」
「確かに。同じ顔が2つ並んでちゃ、ただでさえキムラスカ王家の赤毛だっていうのに余計に目を引きますもんねえ」

 ディストの軽口に、青年の口元が微かに綻ぶ。ルークの無邪気な笑顔と違うアッシュの笑みは、同僚として長くあったディストの記憶にも存在しない表情だ。この青年がずっとバチカルにあって『ルーク・フォン・ファブレ』として育っていたならば、ナタリア王女と手を取り合い常にこのような表情をしていたのだろうか。

 もっとも、それではこの子の預言を成就させてしまう結末になっていましたけどね。

 言葉には出さず呟いて、ディストは話題を切り替えることにした。


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