紅瞳の秘預言15 王都

「それにしても、貴方の自我がしっかりしていて助かりました。主席総長に暗示を掛けられたなんていう話、素直に受け入れてくださってありがたい限りですよ」

 音機関のスクラップを手に取り、くるくると手で回しながらチェックする。使えそうな部品を見つけると手元のドライバーを引き寄せ、取り外しに掛かった。その手際の良さに感心しながら、アッシュは言葉を返す。

「……まあ、冷静に考えてみれば俺にレプリカを憎めなんて言うのはおかしな話だからな。確かに逃げたいと言ったのは俺だが、ガキの言うことを真に受けて拉致ったあげく、複製と入れ替えたのはヴァン自身じゃねえか」

 部屋に入ってきてすぐ、自身の靴で蹴りつけた音機関を拾い上げてディストに手渡した。ありがとうございます、と小さく礼が聞こえてすぐにドライバーがその手の中で回り始める。ほどなく、いくつかの部品が取り外された。

「それに、ファブレの屋敷に放り込まれたレプリカは何の刷り込みもされて無かったんだろう? そのあいつを俺が何で憎まねばならん。何も知らないまま俺であることを強制された、あいつも被害者だ」

 あまり文字を表示していないまま点灯しているモニターに、アッシュは自分の顔を映し込む。レプリカのルークは自身と違い前髪を下ろしており、表情も幼い。……当然だ。あれはまだ、生まれてから7年しか経っていない幼子なのだから。

「ええ。その冷静な思考回路を失わずにいてくれて助かったってことです。そうでなきゃ、貴方を解放するのにもっと時間が掛かったでしょうね……アクゼリュス崩壊に間に合ったかどうか」

 続けざまにいくつかのスクラップを解体し、部品取りを済ませてディストはアッシュに向き直る。ドライバーを作業台に置いたことん、という音に、青年の視線は銀髪の研究者へと向けられた。

「そういうもんなのか?」
「そういうものなんです。この手の暗示は、掛けられた当人がそうだと自覚出来ないとなかなか解けないんですよ。最終的には本人の意志が決め手になりますしね……ですから、元が弱いレプリカルークにもし暗示が掛けられているとしたら、かなり厳しいことになります」

 ディストの説明に、アッシュは口を閉ざした。己は彼の助力もありヴァンの支配からは脱することが出来るだろうが、もしレプリカに何らかの暗示があらかじめ掛けられているとするならば──その解除はとてつもなく難しいものとなるだろう。あの幼子の自我構築には、ほぼ確実にヴァンの関与があるはずだから。

「ディスト、ディストー! いるのー?」

 こんこん、と扉が外からノックされた。一緒に聞こえてきた2人の同僚たる魔物使いの少女の声に気づき、ディストは薄く微笑んで封筒を手に取ると入口へと向かった。開いた扉の向こうからは室内よりもずっと明るい光と、それからピンク色のふわっとした髪の毛が入り込んでくる。

「いますよ。アリエッタ、お願いしていたカンタビレは見つかりましたか?」
「はい。カンタビレ、シンクの言ってたお仕事終わって、イニスタ湿原に向かってる、です」
「分かりました。ありがとうございます」

 室内にいるアッシュには、アリエッタは気づいていないようだ。薄暗い部屋の中、真紅の髪と黒い詠師服を纏っているために背景に溶け込んでしまっているのだろう。またアッシュの方も、普段からあまり気配を周囲に漏らさぬよう留意していることもある。
 そのアッシュには視線もくれず、ディストは蝋で封をされた封筒をアリエッタに手渡した。

「では済みませんがアリエッタ、この手紙を主席総長や大詠師モースに見つからないように、イオン様まで届けて貰えますか? その後は何処に行って何をしようと、貴方のご自由にしてくださって構いません」
「イオン様に、ですか?」

 宛て書きには、確かに几帳面を形にしたような文字で『導師イオン様・親展』と書き付けられている。その文字をまじまじと見つめ、アリエッタはディストの顔を見上げた。カンタビレの捜索を頼まれていたのだから、手紙を渡す先も彼女なのだと思い込んでいたのかも知れない。

「ええ、カンタビレのところには直接私が行きますよ。お願いします、アリエッタ。それと、アッシュがお出かけしますのでお友達を1人貸して貰えませんかね」

 ディストは、この人物には珍しく柔らかな笑顔を見せながら答える。その表情を間近に見たアリエッタは一瞬きょとんと目を見開いたけれど、すぐににこっと笑って大きく頷いた。

「はい。アッシュのこと、好きな仔がいるから、お願いしてみます」
「ありがとうございます。ああ、イオン様が悲しみますからアニスとは喧嘩しちゃ駄目ですよ? 行ってらっしゃい」
「……はい! 行ってきます!」

 イオンとアニス、その2つの固有名詞を出されたことで一瞬アリエッタの表情は歪んだ。だが、イオンに会えると言うその一点が彼女に満面の笑みを浮かばせた。

 手を振りながら廊下を走り去っていく小さな背中を見送って、ディストは扉を閉めた。少しだけ明るくなっていた室内はまた薄闇の中に沈み、稼働している音機関だけが光源となる。

「アリエッタのお友達に、貴方のことを好きな個体がいるそうですよ?」
「魔物に好かれる謂われは無いんだがな」

 振り返りながら楽しそうに告げるディストに、首を捻りながらアッシュが答える。事実自分は魔物を使役するだけで、アリエッタのように世話をしたり会話を交わしたりすることは無かった。いや、そもそも魔物と会話出来るのはアリエッタくらいのもので、ヴァンもその能力を買って彼女を懐に入れたのだけど。
 それよりも、会話の中に登場した固有名詞の1つにアッシュの興味はあったようだ。神託の盾の師団長でありながら唯一六神将に名を連ねていない、隻眼の女傑の名。

「カンタビレに何の用がある?」
「彼女が今のところ、主席総長やモースからは一番自由ですからね。第六師団でアクゼリュスに先行して貰うつもりです。事後承諾で導師から勅旨を出して貰えれば問題はありませんよね」

 その前にモースを潰せればいいんですけどねえ。
 軽口を叩く薄い唇がにいと引かれた。普段の胡散臭い笑顔に戻ったディストに、アッシュも苦み走った笑みで答える。

「モースが動ける以上、トリトハイムから命令を出させるのは難しいからな……住民の救出か?」
「ええ。今年に入ってから少しずつ移転はさせてたみたいなんですが、質の良い鉱石が採れますからね。鉱山夫の皆さんが結構粘ってたようで、まだだいぶ残ってるらしいんです。障気の無いキムラスカ側に脱出してきたという話も聞いていませんから、おそらく重度の障気蝕害で身動き取れないんでしょうねえ」

 仕事熱心も時と場合によりますよね、と苦笑を浮かべながらディストは肩をすくめた。

「それと、アクゼリュス崩壊は預言にある戦乱の先触れになります。勝利を預言で詠まれているとはいえ、出来るだけキムラスカに有利な形で戦争を始めたいでしょうからね、救援部隊に危害を加える可能性があるんですよ。ですので、是非返り討ちにしていただこうかと」
「なるほど。ダアトは、アクゼリュス救援要請はマルクトの陰謀だと触れ回るつもりか」
「ピオニーが向かわせた使者はジェイドですからね。第三者から見れば、やらかしたっておかしくないんですよ。まったく冗談じゃない、私のジェイドを何だと思っているんだか」

 ふんと鼻息荒く吐き捨てるディスト。以前は己の二つ名や開発した譜業機関について揶揄された時に良く見せた行動だが、ディストにとってはそれらと同じくらい……いや、さらに上位の存在としてジェイドは位置している。故に、ディストが本気で腹を立てているのだとアッシュにも理解は出来た。
 キムラスカがマルクトの要請に応じ、アクゼリュスに救援部隊を向かわせる。その部隊が突然消息を絶ち、続いてアクゼリュスが謎の崩壊を遂げたならば世間は果たしてどう考えるか。少なくとも、混乱に陥るのは必然だ。
 その隙を突き、ダアトとキムラスカは共謀して『救援部隊とアクゼリュスは、マルクトの陰謀により全滅した』と言う声明を発表するだろう。その首謀者はマルクトからの使者であるジェイドであり、滅ぼされた中にはキムラスカの王位継承者であるルークが含まれていることも。
 結果、キムラスカの世論は休戦破棄に向かい、秘預言に記されたマルクトを滅亡させるための戦争が始まる。卑劣なる帝国を滅ぼすための戦であるから、王国の士気は最大に高揚している事だろう。
 ──マルクトが滅びた後、さほどの時を経ずしてキムラスカもまた滅びの道に向かうことを、誰も知らずに。


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