紅瞳の秘預言15 王都

「何故お前が、そこまでやるんだ? また何か野望にでも目覚めたか?」

 アッシュの声が、ディストを現実に引き戻す。悪戯っ子のような笑みを浮かべている真紅の髪の青年に、銀髪の科学者はむっと軽く頬を膨らませて噛みついた。

「貴方ほんっとうに失礼ですね、アッシュ」

 ふん、と鼻息もうひとつ。そっぽを向いて拗ねていたディストだったが、ちらと横目でアッシュの顔を伺いつつぼそぼそと答えを紡ぐ。

「大切な友人に頼まれたんですよ。貴方たちを助けてくださいって」
「友人? ……『死霊使い』か」
「ジェイド・カーティス、私の金の貴公子です」

 アッシュが挙げた悪しき二つ名に首を振ってディストは、自身が彼を呼ぶときの呼称を挙げた。
 さらさらして癖の無い、くすんだ金の髪が大好きだった。本人はあまり手入れに興味は無かったのだけど、その髪は傷むという事を知らないまま伸ばされた。ピオニーの太陽のような金髪と違い落ち着いた色を持つ髪は、ジェイドの性格にも相応しく思える。
 故に、ディストはジェイドを金と呼ぶ。自身を同様に呼ぶならば銀の貴公子と言ったところだろうが、ジェイドと違って傷んでいる自分の髪はディスト自身好きでは無い。ジェイドがどう思っているのかは、怖くて聞いたことが無いから知らないのだけれど。

「は、どこが貴公子だか」

 ディストの心境を知らぬげに、アッシュは半ば呆れつつも苦笑を唇に乗せる。その苦笑に対して返されたのは、ディストの不遜な笑顔だった。にいと眼を細め、軽く眼鏡の位置を直しながらディストは言葉を口にする。

「何とでも言いなさい。私の世界はジェイドを中心に回っているんです。ジェイドのためならば、例えキムラスカとマルクトとダアトをまとめて敵に回そうが怖くはありませんよ」
「はっ。そこにてめえの自由意志はあるのかよ」

 自身のためでは無く、親友とはいえ所詮は他人のために世界を敵に回すことも厭わないと言うディスト。それはまるで暗示を刻み込まれ、ヴァンの計画のために操られていた自身のようでアッシュは、つい強い口調で問う。
 が、それに対する返答はあまりにも穏やかで、落ち着いた言葉で紡がれた。

「ありますよ。大事な友人の笑顔を見たいっていうのは、正真正銘私の意志ですから。ずっと離れていましたけど、それだけは子どもの頃から何も変わっちゃいないんです……いえ。変わらないからこそ、私は離れてしまったんですね」

 ネビリムとのふれあいの中で、少しずつジェイドが浮かべるようになっていた笑顔。それは彼女の死後消え失せ、皇帝の懐刀となった彼が常時浮かべている笑みはただの仮面でしか無かった。それが悲しくて、ディストはネビリムを蘇らせようと躍起になった。ネビリム先生が戻ってきてくれたら、きっとジェイドが笑顔を取り戻すのだと信じて。
 それが、時を遡ってきた今はどうだ。未来の記憶の中で、ジェイドはネビリムを取り戻すことは無かった。それにも関わらず彼は、笑顔を取り戻していた。
 ほんの少し儚くなった印象はあるものの、優しく穏やかに微笑む様はまさに『金の貴公子』の呼称に相応しいとディストは確信している。そしてその笑みは、彼の望みを叶えられなくなると同時に幻として消え失せてしまうのだと言うことも。

「病気と思うなら思いなさい。狂気と思うならお好きにどうぞ。人からどう見られようと私は構いませんから」

 故に、ディストは堂々と胸を張り言ってのける。友を思う気持ちは他の誰でも無い、薔薇のディストことサフィール・ワイヨン・ネイス自身のものだと断言出来るから。

「それでも私は、ジェイドを守りたいんですよ。貴方がナタリア王女と彼女の国を守りたいのと同じでね」
「……っ!」

 アッシュに言葉を返すと、青年の頬に赤みが差した。王女の名を出されたことが原因だろうが、その程度で赤面していては師団長も形無しだ、とディストは笑みを浮かべる。何、17歳といえどまだまだ子どもだと言うことなのだが。

「気がつかないと思いましたか? 人の心ってのはね、何かひとつ大切なものを持っていると強いんですよ。貴方にはナタリア王女がいたから、主席総長の暗示にも負けなかった」
「……言ってろ」

 耳まで赤くしながら、アッシュは顔を背けた。それから足音も荒く踏み出しながら「バチカルに向かう」と告げる。

「はいはい……ああ。ひとつ、ジェイドに伝言をお願い出来ますか? レプリカルークに会いに行くなら、多分同行しているはずですから」

 くすくすと言う小さな笑い声と共に、ディストの言葉がアッシュの背にぶつかってくる。振り返ると、レプリカであるルークよりも濃い真紅の長い髪がふわりと空を舞った。

「アクゼリュスの生け贄として、か。何だ?」
「アルバート式封咒は、あと1つのセフィロト破壊でしか解放出来ません。そう伝えてください」
「そう言えば、奴には分かるんだな」
「ええ」

 恐らくアッシュには、その意味は分からないであろう言葉。類い希なる知能と『未来の記憶』を持ち合わせるジェイドであれば、意味を理解出来るだろう。
 セフィロトを封じている、3つの封咒。パッセージリングの操作を行うには、その封咒を解く必要がある。
 導師のみが使用できる譜術により解除することの出来る、ダアト式封咒。これは何らかの方法でイオンをセフィロトまで導けば問題は無い。最悪の場合、彼と同じくオリジナルイオンのレプリカであるシンクや、モースが秘匿しているというもう1人のレプリカイオン……ジェイドはその子をフローリアンと呼んでいた……に肩代わりをさせるという方法もある。
 ユリア・ジュエの血を引く者のみが解除することの出来る、ユリア式封咒。現在ユリアの子孫だと判明しているのは、ヴァンとティアの兄妹のみ。ヴァンならば自力で解除が可能。モースはレプリカルークにティアを同行させる心づもりだから、これも問題は無い。
 そしてもう1つ、アルバート式封咒。これは本来別の解除方法が存在したはずだが、15年前のホド崩壊時にエラーが起き、順当な方法での解除が不可能となっている。ディストが創世暦時代の禁書を紐解いた結果、もう1つセフィロトを破壊することでエラープログラムごと消去出来るらしいことが判明した。
 つまり、いずれにせよアクゼリュスセフィロトは破壊せねばならないと言うことだ。力業だが、この際背に腹は代えられない。
 ジェイドが憂えているのは、その際の被害とルークが受けるであろうダメージ。後者は同行するはずのジェイドや仲間たちに任せるとして、ディストは前者への対策を請け負うことにしたのだ。カンタビレと第六師団の動向を探ったのも、そのため。
 そうして、本来の『聖なる焔の光』もまた。

「さあ、お行きなさい。後始末は私が何とかします。すぐ追いつくつもりですから、無茶な行動は慎んでくださいね」
「……分かっている」
「なら良いんです。皆さんによろしく」

 ぱたぱたと手を振り、アッシュの背中を見送る。少し顔に掛かった前髪を無造作に掻き上げて、ディストは柄にも無く腕まくりをした。友のために、大至急仕上げねばならない作業がある。

「さ、私もさっさと仕事を片付けないとね。ジェイド、待っていてください。貴方も無茶しちゃ駄目ですよ」

 そう言ってしまってからふと、それは無理だとディストは思い直した。何しろかの『金の貴公子』は、己の限度を知らないのだから。


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