紅瞳の秘預言16 謁見

 しかし、モースの言葉よりも周囲を驚かせたのは、キーの高い子どものような声とそれを発した小さな聖獣の存在だった。ルークの足元からちょこちょこと走り出て、モースを大きな瞳でじーと無邪気に見つめるミュウの姿に、一瞬謁見の間全体の空気が凍り付く。

「……ってこらブタザル! あぶねーからこっち戻ってこい!」
「みゅう? はいですのー、ご主人様」

 さすがに一番慣れているせいか、常態復帰の早かったルークが青い毛玉を呼び戻す。ちょこちょこと短い足で懸命に駆け戻ってきたチーグルを、ルークは掴み上げると自分の肩に乗せた。そこまできて、やっとモースが気を取り直す。

「なっ!? ち、チーグルだと! それに、そのリングは……」
「ミュウですの。皆さん、初めましてですの!」
「始祖ユリアより託されチーグル族に伝わる、ソーサラーリングでぇす。モース様でしたら、このくらいご存じですよねぇ?」

 威勢の良いミュウの自己紹介と、わざと意地悪そうに語尾を伸ばしながら響律符の説明をしてみせるアニス。ジト目で見つめてくる黒髪の少女の視線に冷や汗を掻きながら、モースはやっとのことで視線を逸らした。が。

「ご主人様もイオンさんも、ほんとのこと言ってますの。おかしなこと言ってるのは、モースさんの方ですの。ボク、知ってますの! 椅子で飛ぶ人とか、ライガとお友達の人とか、いろんな人が邪魔して来ましたの!」

 魔物は嘘をつくと言うことを知らない。故にミュウは、無邪気な笑顔のままずばりと本質を突いてみせた。
 もっとも、彼の言葉の『いろんな人』の中にルークと同じ顔であるアッシュが入っていないことに、ジェイドとモースは異なる意味でだが同時にほっと胸を撫で下ろす。ミュウとしては単純に、インパクトで勝った存在を挙げたのであろうけれど。
 モースとしては、ここでルークとアッシュが同じ姿をしていることをインゴベルト始めキムラスカの高官たちに知られたくは無い。
 ジェイドは、ここでルークがレプリカであるという疑惑を持たれると少年の心に傷が付くと思っている。
 お互いに相手の胸の内を知るよしは無いが、ちらりと2人の視線が交わると慌てたようにモースの方が顔を背けた。小さく鼻を鳴らし、ジェイドは薄く笑みを浮かべる。

 貴方がたの企みなど、私は全て知っていますからね。覚悟しておきなさい。

 その笑みの意味を、正確に受け取ることの出来る人物はこの謁見の間には存在しない。故にジェイドは、すぐに笑みを普段浮かべている意味の無い仮面へと即座に切り替えた。
 マルクトの軍服を纏っている優男の表情変化には気づかず、インゴベルトは空色のチーグルをじっと見つめていた。そして、視線をほんの僅かずらせて王都へ帰還したばかりの甥の顔を捉える。

「何と……聖獣チーグルまでもがそう申すとは。ならばモース殿、そなたは己が部下の把握すら出来ておらぬとこう言うことか?」
「伯父上もそう思うよなあ。まあそういう訳なんだけど、あんたの言い分はもう無いのかい? モースさんよ」

 インゴベルトとルークから同じ色の目で睨み付けられ、モースは口をもごもごさせる。追い打ちを掛けたのは、イオンの言葉だった。

「主席総長ヴァン・グランツの独断ですか? それとも六神将たちの独断でしょうか。これは配下の暴走を止められない私にも責はありますがそれはモース、ヴァンの上司である貴方も同じ事」
「な、何を……」

 モースにとって、今目の前にいるイオンはオリジナルの死を隠蔽するために造り出された複製体。それは預言に彼以降の導師の名が詠われていないために、『導師イオン』の死がローレライ教団の崩壊へと繋がる可能性を恐れての措置だった。故に預言を読み解く能力こそ重視されたものの、現在『イオン』を名乗っているこの少年は教団上層部にとってはただのお飾りの導師でしか無い。
 そのはずだ。
 故に、お飾りであるこのレプリカに大きな顔をされる筋合いはない。
 そう、モースは思い込んでいた。だがそれは、オールドラントの大多数を占める『イオンがレプリカであることを知らない』人々には通用しない。その中には、インゴベルト王も含まれている。

「モース殿。少々お話を伺わねばならぬようですな。別室へお連れせよ」
「はっ」

 インゴベルトが手で合図をすると、数名の兵士がモースを取り囲んだ。拘束こそされないものの、丸腰の聖職者と完全武装の兵士とでは力の差は明らかだ。『案内』され、謁見の間を出て行くモースの口から小さな舌打ちが漏れる。

「……おのれ。覚えておれ」
「やだね。忘れた」

 あかんべーと舌を出しながら退出する集団を見送り、ルークは伯父に視線を戻した。少年の周囲に居並ぶのは導師、神託の盾の制服を纏う少女たち、世話役らしい金の髪の青年と空色のチーグル……そして、マルクトの青い軍服を纏う男。和平使節団としてはこの上なく小規模の、それでいてバラエティに富んだ集団である。

「……話が幾分逸れたようだ。して、和平の使者をお連れしたということだが、ルーク」
「ああ。仲介役のイオンと、マルクトの皇帝陛下の名代の……」

 伯父の言葉に応え、ルークはちらりとジェイドに目を向けた。港で彼が名乗った時のゴールドバーグとジョゼット、そして彼らの部下たちがジェイドに向けた敵意の籠もった視線を思い出したのだろう。
 ジェイドは柔らかく微笑み、小さく頷くと足を踏み出した。あのような視線など、自分はすっかり慣れきっている。ルークに心配を掛けさせるまでも無い。

「……御前を失礼いたします、陛下」

 キムラスカの高官たちの視線が集中する中、青い制服の懐から白い筒がゆっくりと引き出される。ピオニーが書き、ジェイドが預かり、イオンが託され、アニスが守りきった和平の親書。

「我が皇帝ピオニー9世陛下より、偉大なるインゴベルト陛下へ和平提案の親書を預かって参りました。詳しくはこれに」
「うむ。内務大臣」
「は」

 インゴベルトの視線に応え、内務大臣がジェイドに歩み寄り筒を受け取る。書を開きざっと流すように全体を読み取って……その顔色を、さっと青ざめさせた。軽く唇を噛み、親書を王へと差し出す。

「……そなたが『死霊使い』か。カイツールのアルマンダインから文は届いておったが」

 王も同じように親書を改めて、それから目の前に佇んでいるジェイドに視線を戻した。『死霊使い』の言葉が、港と同じように周囲をざわめかせる。それと同時に、ルークが危ぶんだ敵意の視線が突き刺さってくる。

「はい」

 平然と視線の槍を受け流し、ジェイドは小さく頷く。まっすぐにインゴベルトを見つめる真紅の瞳には、感情は映し出されていない。この場において、彼の感情などと言うものは不要な存在なのだから。

「確かに親書は預かった。が、すぐに決定出来る事項では無い故、しばらくバチカルに滞在されよ。『死霊使い』殿には城の客室を用意してある故、案内させよう」
「承知いたしました。陛下の寛大なる措置に感謝いたします」

 ちらりと内務大臣に視線を向けるインゴベルト、そして王の目に頷く大臣を見比べて、ジェイドは僅かに眼を細めた。

 ま、こうなるのが当然ですね。私を己の懐で自由にさせるほど、キムラスカも愚かでは無い。

 『記憶』の世界では、ジェイドがその名を明かしながらも平然とファブレ公爵邸の訪問を受け入れられた。しかし今となっては、キムラスカ側のその反応が奇妙であるとジェイドには理解できる。
 キムラスカがホドについて何処まで知っているかは定かではないが、少なくともファブレ公爵はマルクトの一都市を滅亡に追いやった人物である。その元へマルクト随一の譜術士と謳われるジェイドが訪問を希望するなど、普通ならば裏に策でもあるのでは無いかと疑うのが当然だ。
 もっともあの時は、ピオニーの名代としてジェイドが訪れると言うことはバチカルには伝わっておらず、それ故キムラスカ側の対応に混乱があったであろうことは推測に難くない。故に、いわばどさくさ紛れの形でジェイドのファブレ公爵邸訪問は成ったのであろう。
 ならば、初めからジェイドが来ると分かっているのならばバチカルは当然、先手を打つはずだ。
 『死霊使い』を安全に捕らえておくために。

「……あ、ジェイド」

 モースを連れ出したのとは別の兵士たちが、ジェイドの前後を挟み込むように立つ。はっとしたルークが駆け寄ろうとするのを、ガイが無言で腕を取って止めた。

「ちょ、離せよガイ」
「やめとけ。旦那の立場を悪くすんな」

 低くたしなめる世話役の言葉に、少年はぴたりと動きを止めた。キムラスカの王位継承者であるルークを手懐けたと取られれば、確かにジェイドの立場は悪くなるだろう。もっとも、それをルークが感付いたかどうかは定かでは無い。
 それをジェイドは分かっていたから、その場から動くことなくルークに笑顔を見せる。そうして、ゆっくりと言葉を紡いだ。

「案内、ありがとうございました。貴方はちゃんと役目を果たされました。助かりましたよ、ルーク。貴方との旅は楽しかったです」

 この後、ルークは久方ぶりに父親であるファブレ公爵と再会する。だが、まだその父は我が子を愛することを忌避しており、会話も事務的なものにならざるを得ない。少年が初めて外に出て、巻き込まれたとはいえ大役を果たしたと言うのに、だ。
 だからその前に、ジェイドはルークにせめてもの感謝の意を伝えておきたかった。

「あ……うん」

 ぽかんとした表情で、こくんと頷いたルーク。それを見届けてジェイドは、兵士たちに「案内をお願いします」と告げた。

「は、はい。ではこちらへ」

 兵士たちに連行されるような形で、ジェイドは謁見の間から姿を消した。


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