紅瞳の秘預言16 謁見

 青い背中を見送って、ルークは王に視線を戻した。僅かに伏せた碧の目は、それでも自身の意志を強固に保っている。

「伯父上、ジェイドは俺を庇って怪我をした。多分後遺症が残ってる。大事に扱ってやってくれよ」
「ほう」

 甥の言葉に、インゴベルトの目が細められた。『死霊使い』と呼ばれた実力者が、キムラスカの貴族を庇ったとは言え後遺症が残るほどの傷を負っている。それは彼らにとっては、この上ない吉報だ。
 だがそれをおくびにも出さず、インゴベルトは悠然と頷いた。そう言った事情には関係なく、あの底知れない実力を持つ優男は可愛い甥を、身を以て守った恩人なのだから。

「うむ、相分かった。丁重にもてなすよう、命じておこう」
「頼むよ、伯父上。それと、ちゃんと名前で呼んでやってくれ。死霊使い死霊使いってイヤミかよ?」

 だが、自身の返答に続けて吐き出されたルークの言葉にはむ、と言葉を飲み込んだ。インゴベルト自身は気づいていなかったのだろうか、とどこか突き放した視点から光景を見つめていたガイは思う。そうして、ここがキムラスカの王城であることを思い出し小さく溜息をついた。内務大臣が、ルークに対して口を開いたから。

「ルーク様、貴方はかの男の悪行をご存じないのですか」
「知ってるけど、むかーしの戦争中の話だろうが。それならこっちも条件は一緒だろ。親父の話くらい、俺でも知ってるぜ。マルクトで俺や親父がホドの仇って悪口言われるの、平気なら良いんだけどなー」
「……む」

 少年の反論に、大臣もまた言葉を飲み込まざるを得なかった。ジェイド・カーティスがキムラスカにとって悪行の限りを尽くした男であるのならば、ルークの父ファブレ公爵はマルクトに対し横暴を働いた男であると言うことになるからだ。
 もっとも、ルークが父の戦功を何処まで知っているのか彼らは知らない。せいぜいジェイドの話に『ホド戦争の功労者』という言葉が出てきた程度の話なのだけど。
 ほんの僅かな間、謁見の間を静寂が支配する。それを解いたのは、インゴベルトの咳払いだった。王は視線をイオンに向け、ゆったりと口を開く。

「……導師。貴方もマルクトからの使者であらせられる。城に滞在なされるとよろしいでしょう。すぐ城内に部屋を用意させます」
「ええ、ありがとうございます。……あ、でもせっかくの機会ですから、ファブレ公爵家をお訪ねしてもよろしいでしょうか」

 一度頷いてから、ほんの少し考えてイオンは問いかけた。インゴベルトと、それからファブレの子息であるルークに。
 インゴベルトは答えず、ルークに視線を向けた。少年は王と、そして導師の顔を見比べて、かりかりと朱赤の髪を掻く。それから、周囲の仲間たちをくるりと見渡した。

「うち? ああ、そだな。他のみんなも一緒にどうだ?」
「あたしはイオン様の守護役ですから、当然ご一緒しまーす」
「私も、ルークを送り届ける義務があるものね。ファブレのお屋敷まではご一緒させていただきます。それに、公爵ご夫妻にはお話しておかなくてはならないこともありますから」

 神託の盾騎士団の2人は揃って頷いた。ティアの話しておかなくてはならないことというのはヴァン襲撃についてだろう、とルークは口に出さずに推測する。どうせなら正体不明の賊の仕業、と言うことにしておけば良いのにと少年は思うが、生真面目過ぎるティアにそれは難しいだろう。フォローはしなくちゃな、とつたないながらも結論に達したところでその思考は閉じられた。

「俺は元々使用人だしな」
「みゅ〜。ご主人様のおうち訪問ですのー。楽しみですのー!」

 軽く肩をすくめたガイと顔を見合わせて、ミュウは楽しそうに声を張り上げる。耳元で発せられた甲高い声に「うっせえ」と顔をしかめながら、ルークは視線をインゴベルトに戻した。

「……ってことだから。伯父上、いいだろ?」
「ふむ、承知した。では、その間に部屋の準備をさせておこう」

 甥の問いに、伯父は特に表情を変化させることも無く頷いた。内務大臣に視線をやると、大臣は深々と頭を下げる。

「では、御用がお済みになりましたら、導師イオンとお付きの方々は城へおいでくださいませ」
「分かった。ありがとう」

 ルークのその言葉を合図に、彼らは一斉に礼をして踵を返した。

「変なのー」

 王城から外に出たところで、アニスが不満げに声を張り上げた。ルークが振り返ると、少女は頬をぷうと膨らませて拗ねた表情を隠そうともしていない。

「何がだよ? アニス」
「だってさー、何で大佐のお部屋は準備してあんのに、イオン様のお部屋は準備してないの? 一緒に行くって伝えたよね確か」

 不思議そうに目を丸くするルークに、頬を膨らませたままアニスはぶんぶんと両腕を振り回して不満を表現する。彼女の言葉を聞いて、ティアが軽く目を見張った。

「そう……そうよね。カイツールで鳩をお願いした時に、お2人の名前を出して連れて行きますってルーク言ったわよね。大佐のお部屋を用意しておいてイオン様のお部屋が用意されてないってのは、確かに変よ」
「あ、そっか」

 カイツールのアルマンダイン伯爵との会話を、ルークはティアの言葉に導かれ今更ながらに思い出す。
 あの時、ジェイドとイオンの名を並べて口にしたのは、他でも無い自分自身だ。マルクト・キムラスカ双方共にローレライ教団には一定の敬意を払っており、その導師であるイオンの訪問を前もって知っていながらバチカルがその居室を準備していないのは、確かに妙である。
 その疑問には、普段浮かべている笑みがその顔から消えたイオンが答えを出した。

「それだけキムラスカは、『死霊使い』ジェイドを恐れているってことじゃないでしょうか。僕の部屋を準備することも忘れてしまうくらいに」
「だな。多分、旦那が下手な動きを取れないような部屋を、前もって準備してたんだろう。だから、大急ぎで俺たちから引き離したんだ。変に影響受けても、人質にされても困るからな」

 ガイもイオンの答えに小さく頷き、真剣な眼差しで王城を振り返った。空の色の瞳を細め、一度だけ尖塔群を睨み付けると前方に向き直る。その視界に、眉をひそめたルークの顔が入った。

「下手な動きって? だって、ジェイドは和平の使者として来たんだぞ」
「マルクトはそのつもりでも、キムラスカはそう思っちゃいないってことだよ。体の良い人質くらいにしか思ってないんじゃないか?」

 旦那もその覚悟で来たとは思うけど、と最後にこぼして、ガイは金の髪を無造作にがりがりと掻く。それからふと思いついた言葉に背筋を震わせ……口にした。

「そうでなきゃ、内側からバチカルを潰す爆弾、だな」
「何だよ、それ」

 ルークはアニスと同じように、不機嫌な表情をその顔に浮かべていた。ジェイドと早くに別れたことについて不平こそ口にしなかったものの、少年は確実に不満を持っているであろうことが形の良い眉の歪み方からも分かる。イオンがジェイドのことを数度『ルークの父親』と例えていたように、赤毛の少年は実父から与えられなかった愛情を求めているかのようにあの軍人に懐いていた。少なくともガイには、そう見えた。

「下から攻めるには上がってくるのが大変。上から攻めるには空を飛べなければならない。……じゃあ、内側に入ってそこから攻めるならどうだ? 防空対策の譜業兵器も役には立たないぜ」

 だから、ガイのこの言葉はルークにとっては毒にしかならないだろう。それでも、金の髪の青年はその毒を無理矢理に吐き出す。この毒はきっとガイ自身が分泌したのでは無く……バチカルの闇が生み出したものであろうから。

「大佐なら、それは出来るわね。だから、国王陛下も大佐を恐れたのかしら」
「死霊使いって連呼してたのも、恐怖の裏返しかもな」

 ティアの言葉に頷きながら、ガイは己の口から生み出される言葉を脳裏で必死に否定していた。いくら何でもやりすぎだ、と。
 自分でもぞっとする推測だ。もしそんな計画が立案され実行されると言うのであれば、ジェイドは己の生命を敵の懐で散らすこととなる。
 バチカル最上層が破壊されれば、国王を初めとしたキムラスカ上層部は壊滅する。しかし、ジェイド自身の生還手段は皆無に等しい。下層にはゴールドバーグ率いるバチカル守備隊が控えているし、そもそも崩壊する最上層からの脱出は難解を極めるだろうから。
 そもそも、現マルクト皇帝ピオニーは即位直後から軟化政策を採っており、此度の使者派遣もその一環だ。それが全てバチカル破壊への伏線などとは、さすがに考えにくい。だから、キムラスカ側がそこまで深読みするとしたらそれは、マルクトが未だキムラスカに対し戦争を仕掛けてくるという疑心暗鬼からでは無いのか。
 それに──己の身を以てルークを護り続けたジェイドの言動が全て芝居だったなどとは、とても思えない。あの軍人は表情を隠すことには長けていたけれど、ことルークに関しては笑顔の仮面を被りきることは出来ていなかったのだから。

「ジェイドはそんなことしねーよ! それに……封印術、まだ掛かってるだろ」
「みゅ〜! ジェイドさん良い人ですのー! 悪さしないですのー!」

 その証拠に、朱赤の髪の幼子と空色のチーグルがほぼ同時に抗議の声を上げた。人と接することの少なかったルークはジェイドに騙されていたとしても仕方の無い部分があるだろうが、ミュウは違う。魔物である彼は人間とは異なる感覚を持っており、もしジェイドが彼らを騙そうとしていてもそれを感付いて近寄りもしないだろう。草食獣であるチーグルは大自然における食物連鎖の中では弱い存在であり、故に自己を守るための勘は鋭いのだから。


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