紅瞳の秘預言16 謁見

「私たちは大佐と旅をしていたから、そんなことは良く知ってるわ。でも、キムラスカの大半の人にしてみれば大佐は恐ろしい敵でしょう? 恐れていても仕方が無いのよ」
「そうだよね。港で迎えてくれた2人も、大佐が名乗ったときすっごくやーな顔してたしぃ」

 一方、ティアとアニスは一様に渋い表情を浮かべている。キムラスカからもマルクトからも距離を置いた場所にいるこの2人は、どちらかと言えば第三者的な視点からその様子を見つめていた。それでも、ジェイドとの短くは無い旅の記憶が彼に偏った感想をその口から漏れさせる。
 ──キムラスカのジェイドへの扱いはともかく、城の前でいつまでこうしていても仕方が無い。小さく溜息をついてガイは、ルークの肩をとんと叩いた。

「ほら、ルーク行くぞ。旦那様と奥様がお前の帰りをお待ちかねだろ」
「……」

 肩の上にいるミュウの頭を撫でながら、ルークはその場から動こうとしない。むすっとふて腐れている少年に、ガイは困ったように髪をかりかり掻くと笑みを浮かべた。

「大丈夫だって。インゴベルト陛下も、丁重にもてなすって言ってただろ? 平和になって欲しいのは、みんな一緒だからな」
「……ああ」

 言い聞かせるようなガイの言葉に、やっとルークは小さく頷いた。


 左の腕が重い。テーブルの上に腕を乗せると、がしゃと音がした。豪奢な調度品は王城の一角を占める客室に相応しい品々が揃えられているが、無粋な枷と扉の外の厳重な警備体制がその光景を些か台無しにしている感がある。
 グローブの上から掛けられた枷は、簡易的ながら封印術と同様の効力を有する譜業である。両手を封じる枷でないのは、マルクト側に『和平の使者が不当に拘束を受けた』と言う不用意な口実を与えないためだろう。
 右腕に融合させてある槍には影響は出ていないようだが、ここで実体化させてキムラスカ側の怒りを買う訳にも行かない。こちらが大人しくしていれば、彼らは自身に危害を加えることは無いだろうとジェイドは薄く笑みを浮かべた。元々掛けられている封印術との相乗効果でかなり身体は重いが、一晩拘束されているだけなら問題は無い。
 こんこん。
 不意に、扉がノックされた。ジェイドはテーブルから手を下ろし、椅子から立ち上がると扉の向こうに声を掛ける。あまりこの枷は、他人に見せるような代物では無い。

「……どうぞ」
「失礼させていただきますわ。ああ、楽になさってくださいな」

 供であろう侍女を従え、室内に入ってきたのは金の髪の少女だった。青いドレスは、『記憶』の中でジェイドが初めて会った時と同じもの。あの時はファブレ公爵邸が初対面だったけれど、かの屋敷を訪れる機会が無かった今回はこれが『初めて』の対面だ。
 恐らく、王妹シュザンヌの見舞いにファブレ公爵邸を訪れたすぐ後なのだろう。屋敷ではやはり、久方ぶりの再会となるルークやガイと喧嘩腰のやり取りを交わしたのだろうか。

「……貴方、は」

 一瞬、懐かしさの混じってしまった視線が王女を射抜く。それに気づき、彼女はむ、と半眼でジェイドを見つめ返した。『記憶』の中で彼女が何度も見せた、不満の表情。恐らくはそのような目で見られる筋合いは無い、とでも言いたげに。

「何ですの? 名を聞きたいのでしたら、そちらから名乗っていただけませんこと?」
「……ああ。これは失礼いたしました」

 たしなめられたことで、やっとこれが『初対面』なのだとジェイドは思い出した。眼鏡の位置を指先で直した後、胸に手を当てて軽く頭を下げる。彼女は自身に誇りを持っており、失礼は許されない。

「マルクト帝国軍第三師団師団長、ジェイド・カーティス大佐です」
「キムラスカ・ランバルディア王国王女、ナタリア・ルツ・キムラスカ・ランバルディアですわ」

 ジェイドが名乗ると、ナタリアも満足げに笑みを浮かべ自身の名を名乗った。そう、彼女自身の名前を。
 例え生まれた時の名がメリル・オークランドであったとしても、18年に渡りインゴベルト王の元で娘として育ち王女としての素質を存分に伸ばした彼女は、その血には関係なくキムラスカの王女である。それは、今後バチカルの街の人々が証明してくれるだろう。

「王女殿下が、私に何用でしょうか」

 その感情を心の奥底にしまい込み、ジェイドは尋ねた。名目上は和平の使者だが実質的には虜囚である自分を、こともあろうに王女が護衛も無しに訪ねてくるなどあり得ない。……もっとも、そのあり得ないことをやらかしてしまうのが彼女、ナタリアなのだけれど。
 今も、『死霊使い』を目の前にして彼女は怯えも恐れもせず、堂々と胸を張って立っている。
 その背後では、ワゴンを押してきた侍女が淡々と茶の準備をしていた。2セット揃っているから、ジェイドとナタリアの分なのであろう。これは時間が掛かりそうだ、と真紅の目が僅かに細められた。
 しばらくジェイドを見つめていたナタリアは、表情を崩さないまま口を開いた。彼女はその交友関係がさほど広くないせいかそれとも己を律しているせいか、身内以外に対して感情表現が硬い。だから、この世界では初対面であるジェイドに対しその端麗な顔がさほど動かなくとも無理は無い。

「貴方は、ルークとずっと旅をされてきたと伺っておりますわ」
「はい。エンゲーブでお会いしてからここまで、ご一緒させていただきました」

 小さく首を縦に振り、王女の言葉を肯定する。期間としては3か月ほどになろうかと言うその間、ナタリアは婚約者であるルークの安否をそれは気遣っていたことだろう。彼女のことだから、表向きは平然とした表情のまま公務をこなしていたのだろうが。

 もう少し、待っていてください。貴方の大切な人を、必ずお返しします。

 本来の婚約者であるアッシュの解放を、ディストは上手くやっているだろうか。ほんの少しだけジェイドは、銀髪の幼馴染みの顔を思い出した。脳裏に浮かび上がった彼は、『ジェイドのためですから、お任せなさい』と胸を張っている。それを、例え己の妄想であろうともジェイドは信じようと思った。

「その間の、ルークのことをお伺いしたいのです。彼がどんなものを見て、どんな経験をしたのか」

 ナタリアの言葉が、ジェイドを現実に引き戻した。微かに眉をひそめ、無意識のうちに左の腕を右手で抱えながら答える。

「……私は面白い話をするのは得意ではありません。それでよろしければ」
「ええ、お願いしますわ。お茶と菓子を準備させました、ゆっくり伺わせてくださいませね」

 侍女が引いた椅子に腰を下ろし、ナタリアはどこか悪戯っぽい笑みを浮かべる。ジェイドも腰掛けるために椅子に手を伸ばすと、背もたれに触れた枷ががしゃり、と鳴った。その目の前に、紅茶とタルトが並べられた。双方の良い香りが、客間全体をゆったりと満たす。

 ……まさか、ナタリアが作ったものではありませんよね?

 妙な『記憶』を思い出してしまったジェイドが胸の中で呟きながら冷や汗をかいたことは、無論ナタリアは知るよしも無い。


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