紅瞳の秘預言17 罪科

 こんこん、と扉がノックされた。既に普段の軍服を一分の隙も無く着用し終えていたジェイドは、軽く眼鏡の位置を直すと音のした方向に視線を向ける。程なく厚い扉が開かれ、護衛を連れた内務大臣がワゴンを押す侍女を従え入ってきた。

「カーティス大佐。お目覚めですかな」
「はい、起きていますよ。早朝からご苦労様です」

 窓際に佇んでいるジェイドは、昨晩この客室に幽閉した時とまったく同じ姿のままで穏やかに微笑んでいる。左の腕に重い枷を掛けてあるにもかかわらずその余裕のある態度に、大臣は内心冷や汗をかきながらも表面上は平静を保ちつつ口を開いた。

「朝食をお持ちいたしました。それと、陛下よりご伝言です。1時間後に謁見の間までおいでいただきたいとのこと。迎えが参りますので、お待ちくださいませ」
「分かりました。1時間後ですね」

 手早く食卓を整えていく侍女に場所を空けながら、ジェイドはゆったりと頷いた。「では、私はこれで」とそそくさと退室していった内務大臣を見送り、小さく溜息をつく。

「……そこまで怯えなくとも。取って食う訳でも無いのに」

 ぼそりと呟いた言葉に、侍女がびくりと身体を震わせる。それに気づいて、僅かに肩をすくめた。

 いくら何でも、私は人間をやめているわけではありませんよ。そこまで恐れられているのですかね。

 内務大臣の言葉通り、彼の来訪から正確に1時間後、迎えの兵士が客間を訪れた。彼の先導で謁見の間に入ると、内務大臣を初めとするキムラスカ政府高官とファブレ公爵、そしてジョゼットとゴールドバーグが玉座の左右にずらりと並んでいる。玉座にはインゴベルト、その隣にナタリアが座していた。インゴベルトは昨日も見た正装であるが、並び座っているナタリアが妙に軽装……具体的には『記憶』の中で旅をしているときと同じ服装を纏っているのが僅かに気に掛かる。
 が、それを表情に出すこと無くジェイドは、すっと跪いた。

「ジェイド・カーティス、参上いたしました」
「カーティス大佐。まずは楽にしていただきたい」
「は。では失礼させていただきます」

 王の言葉に頷き、立ち上がる。ただ1人マルクトの軍服を纏う彼は、キムラスカ最中枢部にあってその存在感を失うことは無い。己を取り囲むように居並ぶ高官たちの敵意と、僅かな憐憫のこもった視線が青い存在に集中する。
 恐らくは、譜術を封じられた『死霊使い』を籠の鳥と哀れんでいるのだろう。

「うむ。内務大臣、外して差し上げよ」
「はっ」

 インゴベルトが視線を向けると、頷いて内務大臣がジェイドの前に進み出た。左の腕を取り、掛けられた枷の鍵穴に不必要なまでに大きな鍵を差し込む。捻られた鍵ががちゃり、と音を立てると同時に、外れなかった枷は幾重にも渡る噛み合わせを抵抗も無しに開いた。同時にジェイドの身体を昨夜から支配していた、何とも言えない気怠さと妙な重さがあっという間に霧散していく。周囲からは、ほんの一瞬彼の全身が音素の淡い光に包まれたように見えただろう。
 今掛けられているもうひとつの封印術が解けたならば、もっと身体は楽になるのだろうか。そう思考を巡らせながらジェイドは小さく息をつき、肩にかかるくすんだ金髪を掻き上げて背に流した。視線をインゴベルトに向けると、王は頷いて口を開いた。

「昨夜遅くに緊急議会を開き、親書の内容を検討させて貰った。キムラスカとしても、戦を終わらせ民に平和をもたらすことについて異議は無い。和平条約締結の件、受け入れよう」
「ありがとうございます」

 『記憶』の通り、和平締結案は難無く通ったことにジェイドは頭を下げ、礼を口にした。王の言葉はまだ続くと分かっているから、すぐに姿勢を戻しその顔を注視する。『記憶』でこの状況にあった時よりも、その年を経た顔が幾分強張っているようにも感じられた。

「それから、アクゼリュス救援の件だな。あの地は質の良い鉱物資源が取れる地故、我らもマルクトも領有を主張しておる訳だが……まずは現在、街を襲っておる危機からの脱出が先決であることには間違いない。よって、我がキムラスカ側より救援部隊の派遣を決定した」
「陛下の偉大なるお心遣いに感謝を」
「それと、マルクト側からも救援部隊を出したいとのことであったな。此度の救援に限り、キムラスカ領内の通過に許可を出す。民を守るに国境は無い。鳩も急ぎ飛ばす用意がある」
「は」

 裏の事情を知らなければ、意外なほどスムーズに話が通っていると誰もが思うだろう。『記憶』の中では己もそうだったことを思い出し、ジェイドは真紅の目を細めた。整った唇が、僅かに笑みを形作る。
 彼らにとって本題はここでは無く、預言を成就させるため『聖なる焔の光』をアクゼリュスに送り込むこと。親書の内容のほとんどは、そのための前座でしか無い。
 そんな意図をおくびにも見せず、インゴベルト王は僅かに強張った表情のまま鷹揚に頷いた。

「うむ。では残る話は、我が甥が来てから話そう」
「甥……ルーク様のことでしょうか」
「その通りだ。しばし待たれよ」

 ジェイドは微かに目を見張り、意外だと言う表情を作ってみせる。ルークを守るためにはまだ、自分が彼らの思惑を既に知っていると言うことを悟られてはならない。
 と、背後の扉が僅かに開く音がした。昨日とは違う見張りの兵士が、声を張り上げる。

「失礼します。モース大詠師、ティア・グランツ唱師、ルーク・フォン・ファブレ様、お着きになりました」
「おお、来たようだな。通せ」

 インゴベルトは、どこか疲れたような表情で答える。その隣でナタリアが、にっこりと満面の笑みを浮かべた。
 どちらも、ジェイドの『記憶』には無かった表情だ。訝しげに眉をひそめるジェイドを、モースとティアに同行されて入ってきたルークが見とがめた。

「伯父上、お呼びですか? ……あれ、ジェイド?」
「おはようございます、皆さん」

 いつものように笑顔を作りつけ、ジェイドは軽く頭を下げた。ここからまた、彼とは長い付き合いになる。


 そこからの会話は、ある程度まではジェイドの『記憶』の通りに進んだ。キムラスカがマルクトの和平提案を受け入れること、その第1段階としてアクゼリュスへの救援部隊を派遣すること。それらを内務大臣がルークに説明し、少年はそれが自身に何の関係があるのかと訝る。
 が、その後に続いたファブレ公爵の発言にジェイドは軽く目を見張った。

「陛下は有り難くも、お前をキムラスカ・ランバルディア王国の親善大使として任命なされたのだ。同時にナタリア王女殿下もその位に就かれ、お前と共にアクゼリュスへ向かわれる」
「え?」
「はぁ!? つーか、ナタリアが一緒かよ!?」

 ジェイドの彼らしくも無い動揺は、ほぼ同時に挙げられたルークの不満げな声でかき消される。だんと一歩踏み出す少年に、王女も思わず玉座から腰を浮かせた。

「あらルーク、そんなに私が一緒に行くのがご不満なんですの?」
「だってよう、お前足手まといになりそーじゃねえかよ!」
「ランバルディア流弓術では既に免許皆伝の位にありますわ。それに、治癒士としても修行を重ねておりますのよ。十分お役に立てるはずですわ」

 ふんっと胸を張り、自信を見せるナタリアと露骨に嫌がり、顔をしかめるルークを視線だけで見比べながら、少年の声のおかげで常態復帰したジェイドは思考を走らせた。
 少なくとも、ナタリアが軽装であった理由はこれで判明した。ルークを初めとする親善大使一行は、この会話が終わった後すぐに出立することになっている。ナタリアはそれに同行するために、既に旅の準備を終えていると言うことだ。だが、それはジェイドが一度通り過ぎた時間とは展開が異なる。
 『記憶』の世界では、インゴベルトはナタリアの同行を許さなかった。それに我慢出来なかったナタリアはこっそり城を抜け出し、廃工場跡でルークたちを待ち伏せて合流した。
 本来ならば、この場でもそうなって然るべきだ。アクゼリュスはルークにより、数多くの生命を飲み込んで崩壊する運命にある。預言でもそう詠まれている以上、そのような危険な場所に王女であるナタリアを送り込む理由など、インゴベルトの側には存在しないはず。

 ……いえ。1つだけありますね。

 そこでふとジェイドが『思い出した』のは、ナタリアの出自についてだった。
 彼女は本当のインゴベルトの娘では無く、傭兵バダックとバチカル王城の使用人であったシルヴィアとの間に生まれた娘メリル。本当のナタリアは死産であり、そのことに心を痛めたシルヴィアの母親がナタリアを極秘裏に葬り、身代わりとしてメリルをキムラスカ王家に引き渡した。その全ては、預言に詠まれていた……とジェイドは『記憶』している。
 だが、今の時点でそれを知る者はジェイドを除けば実父バダック即ち黒獅子のラルゴ、そして王女すり替えに荷担した一部の人間のみ。そうで無ければ、該当する預言を目にした者。インゴベルト王は、それらの中には入っていない。
 だが、モースが当の預言をインゴベルトに伝えたとするならば。
 それならば、納得は行く。
 ナタリアが王の血を引かぬ偽者であると知るのは、一部の人物のみだ。もしアクゼリュス崩壊に彼女が巻き込まれて死ねば、その事実を表に出すことなく事態は収束する。王家とその配下に王女すり替えと言う醜聞が発生することは無い。
 さらにナタリアは国民からは絶大な信頼を得ており、その彼女が死んだとなれば……そしてそれがマルクトの陰謀だと発表されれば、キムラスカ国民の総意はナタリアの仇討ち……つまりはマルクトとの戦争に向かう。


PREV BACK NEXT