紅瞳の秘預言17 罪科

 生き延びれば、ナタリアはあの体験をすることになりますが……彼女なら、乗り越えるでしょう。

 僅かに目を伏せ、ジェイドは思考を走らせる。アクゼリュスの惨劇を生き延びたナタリアに突きつけられたのは、己がインゴベルト王の血を引かぬ娘という事実。己が複製体であったとルークが知らされた時よりも、ある意味衝撃は大きかったかもしれない。
 だが、彼女にはあの時のルークと違い味方がいた。バチカルの市民たちと、そしてアッシュが。
 この時間であっても、彼女ならばきっとこの問題は乗り越えられる。ジェイドは、そう信じた。

「……でもよ、伯父上。ナタリアはともかくとして何で俺なんだ? 俺はついこの前まで、うちから出たことも無かったんだぜ?」

 ルークの声が再び響き渡る。ジェイドはそれを機に、思考を現実へと切り替えた。いずれにせよ、ナタリアはアクゼリュスに向かうのだ。そのきっかけが何であれ、結果は同じこと。
 そして、ルークをアクゼリュスへと引きずり出す交換条件も。

「ルーク、ヴァン・グランツ謡将の話は聞いているな?」

 インゴベルト王の言葉に、ルークは露骨に不満を顔に表した。苦々しげに眉をしかめ、拳をぐっと握る。
 確か『記憶』では昨日、ファブレ邸を訪れていたナタリアがその話をしていたはずだ。ジェイドが同行せずとも、同じように世界は進行しているのだろう。

「……俺の行方不明に師匠が噛んでるって話だろ。何でそうなるのか知らねえけど……そう言えば師匠、どうしてるんだ?」

 途中ではっと気づいたのか、ルークは目を見張る。その疑問には、ナタリアが答えた。

「貴方の出奔に関与した容疑で、城の地下にある牢に拘束されておりますわ」
「ちょ、待てよ! ナタリア、俺師匠は関係ねえっつったよな?」
「だが、そちらの妹君は関係しているのだったか?」

 少年の張り上げた声に、インゴベルトが落ち着いた口調で答える。視線が向けられた先は、ヴァンの妹であるティア。彼女は、僅かに顔を伏せて小さく頷いた。

「……はい」
「なら、何でティアを捕まえねえんだよ。事情はともかく、おかしいだろが」

 ルークの言葉に、ティアは顔を上げないまま唇を噛む。ファブレ家を訪れなかったジェイドは、ティアがかの屋敷でどういう話をしたのかは知らない。が、少なくとも実兄を襲撃したことを素直に告白したのであろうことは理解出来た。
 それはつまり、ティアが正体を隠し貴族の私邸に侵入したという事実をも告白することであり、故に彼女はルークの出奔に関係したのでは無いかと疑われたのだろう。実際、ルークがタタル渓谷まで吹き飛ばされたのはティアとの間で疑似超振動が起きたためだから、その疑惑については首を縦に振らざるを得ない。
 そのはずなのだが。

「ヴァンが、その点については頑なに否定したのだ。妹はルークの出奔にはまったくの無関係であり、彼女は偶然の事態に巻き込まれただけなのだとな」

 ファブレ公爵が発したその言葉に、ティアがはっと顔を上げた。胸元で手をぎゅっと握りしめ、唇を震わせながら小さな声で呟く。

「……兄さんが」
「……」

 さすがに、敬愛する師の証言とあってはルークも口を閉ざすしか無かった。
 思えば、アクゼリュスでヴァンはティアだけは救おうとしていた。神託の盾兵士に拉致させたのも、恐らくは崩壊前に安全圏へと逃がすため。それが叶わぬと知り、彼は空へと去りながら妹に譜歌を歌うよう告げた。その力に守られて、自分たちは魔界へと降り立つことが出来たのだ。
 『記憶』の中でも、ヴァンが拘束を受けたのに対しティアが罪をまったく問われなかったことにジェイドは疑問を持っていた。が、今と同じ理由であれば納得は行く。あの時もヴァンは、ティアが無関係であることを主張して自身のみが牢に入ったのであろう。
 最終的にはティアもろとも世界を滅ぼしレプリカ世界へと書き換えるつもりだったとは言え、ヴァンはその最後の瞬間までは妹に生きていて欲しかったのだとジェイドは思う。先祖であるユリアが遺した預言とは違う世界を、彼女に見届けて貰うために。

「ルークよ。そなたがアクゼリュス行きを受け入れるならばヴァンを解放し、協力させよう。どうだ?」
「…………分かったよ。行けばいいんだろ」

 露骨な意図を含んだ王の言葉に、ルークは不満の表情を消さないまま頷いた。
 ヴァンの思惑がどこにあるにせよ、その身柄を交渉材料としてルークのアクゼリュス行きはこうして本人の承諾を得た。インゴベルトを初めとしたキムラスカ上層部一同の顔がほっと安堵の表情を浮かべたことに、ジェイドはきりと奥歯を噛む。

 その安堵も今だけですよ。覚悟しておきなさい、世界はそれほど甘くは無い。

 この世界がユリアの遺した預言のままに進むとすれば、近い未来キムラスカは先に滅亡したマルクトを追って滅ぶ。最終的には、惑星オールドラントそのものが。
 ジェイドの知る『記憶』のままに進むのであれば、ルークの生命を贄として世界は一応の平和を見る。時を経て戻ってくるのは、複製体を食らって蘇った『聖なる焔の光』。
 己が知るいずれの未来も、ジェイドは認めない。ルークが生き、アッシュが生き、そしてマルクトもキムラスカもダアトも、穏やかに迎える未来こそを彼は求めているから。

「良くぞ決心してくれた、ルーク。実はな……この大役、そなたでなければならぬ理由があるのだ」

 そんな今のジェイドにとっては、王の言葉も白々しい芝居にしか見えない。自分たちが無知に育てた少年を、生け贄として祭壇に送り込むための猿芝居。

「理由?」
「うむ。これを見よ」

 そして、芝居の小道具として使われるのはユリアが遺した第六譜石の欠片。恭しくそれを取り出したファブレ公爵は、音律士の少女に視線を向ける。彼女に芝居の重要な役を担わせるために。

「これは我がキムラスカ領土に降った、第六譜石の欠片の一部だ。これを……ティア・グランツ、詠んでくれるか? 下の方に記された預言だ」
「はい」

 王に促されるまま進み出たティアは、譜石の表面に指を滑らせた。程無くその柔らかな唇から、綴られた預言が言葉として紡ぎ出されていく。

「ND2000。ローレライの力を継ぐ者、キムラスカに誕生す。其は王族に連なる赤い髪の男児なり。名を『聖なる焔の光』と称す。彼は、キムラスカ・ランバルディアを新たな繁栄に導くだろう」

 詠まれた預言に、ルークがはっと目を見開いた。
 聖なる焔の光。古代イスパニア語に曰く『ルーク』。
 新創世暦2000年の末ファブレ家に生まれた赤い髪の男の子は、この預言によってルークと名付けられた。だがそれは今に言う『鮮血のアッシュ』のことであり、今ここに存在するルークはそれより10年の後に生み出された複製体である。
 故に、ここで預言は既に歪みを見せている。このルークは新創世暦2010年頃に生まれた存在なのだから、生まれた年が異なる『聖なる焔の光』では無い。その能力によって鉱山の町を滅ぼすのは、預言に詠まれた『ルーク』では無いのだ。
 これは『記憶』の中で秘預言を調査したときに、指摘されていた事柄。レプリカと言うイレギュラーが、ユリアの預言を狂わせた一因であるという事実を、今はまだ誰も知らない。その存在を生み出した『死霊使い』の他には。

「ND2018。ローレライの力を継ぐ若者、人々を引き連れ、鉱山の町へと向かう。そこで……」

 譜石に刻まれた文字を辿っていた指と声は、ここで停止する。この譜石には、預言はここまでしか記されていない。何故ならば。

「……この先は欠けています」

 小さく息をついて、ティアがその理由を口にした。インゴベルト王がゆったりと頷き、朱赤の髪の少年に視線を向ける。

「結構。つまりルーク、お前は預言に選ばれた者なのだ」

 そこで若者は力を災いとし、キムラスカの武器となって街と共に消滅す。

 先が欠けている預言だが、ジェイドはその先を知っている。故に、恐らくこの譜石は意図的に壊されたのだろうと推測がつく。最後まで詠まれてしまえば、ルークは自身の運命を知ることになるのだから。

 ティアに詠ませた理由が分かりますね。イオン様であれば、欠けた部分すら詠み上げてしまうから。

 胸の内で呟きながら、ジェイドはどこか突き放したような視線で王族たちを見つめている。イオンもまたマルクトから要請を受けた和平の使者なのだから、この場に臨席していてもおかしくは無い。だがインゴベルト王もモースも、この場にイオンを呼ぶことは無かった。
 理由は明白。イオンの預言を詠む能力は、その欠片からでも全体を読み取ることが出来る。つまり、この第六譜石の欠片には残されていないルークとアクゼリュスの最期までを詠み上げてしまえるのだ。そうなると、モースやキムラスカ上層部にとっては都合の悪いことこの上無い。
 結果、イオンはこの場に呼ばれること無くアニスを伴いダアトに戻ろうとした。『記憶』の通りに世界が進むのであれば、彼らはそこを漆黒の翼に拉致され、六神将に連れられてセフィロトを巡りダアト式封咒を解き放つこととなる。
 さて、そこに至る要素がこの世界では組み上げられているだろうかとジェイドは思考を巡らせる。最悪、自身以外の誰もがイオンの拉致を知らぬままアクゼリュスに到着する……と言う可能性も考えに入れておかなければならないだろう。様々な裏事情を知るディストがどこまで動くか、が鍵だ。

 信じていますよ、サフィール。私の都合にばかりつき合わせてしまって、済みません。

 ジェイドは誰にも気づかれぬよう目を閉じて、小さく息をついた。本来ならばジェイド自身が動きたいところではあるが、ことはローレライ教団内部の話である。六神将の一角を担いながらも己のことをずっと思っていてくれた銀髪の幼馴染みに、全てを任せた方が話は早い。


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