紅瞳の秘預言17 罪科

 そのジェイドの思考には関係無く、王族の会話は進んでいた。芝居であれば、第一幕のクライマックスと言ったところだろうか。

「ルークよ。今までその選ばれし力を狙う輩から護るためやむなく軟禁生活を強いていたが、今こそお前が英雄となるときだ」
「英雄……」

 王にそう呼ばれ、ルークは戸惑ったように視線を彷徨わせる。ほんの数ヶ月前まで世界から切り離された生活を強いられ、突然始まった旅からようよう戻った途端に重大な責任を押し付けられて英雄呼ばわり。少年の気も分からないでも無い。
 だがルークの気持ちを汲むこと無く、インゴベルトは瞼を押し開いたジェイドに視線を向けた。

「マルクト側の代表としてカーティス大佐、そなたにも同行を願いたい」
「お受けいたします。元々は我がマルクトの要請ですから」

 素早く表情を消し、ジェイドは頭を下げる。それを待ちかねていたかのように、これまでずっと発言を控えていたモースが声を張り上げた。

「ローレライ教団からは神託の盾代表としてヴァン、それとティアを同行させたいと存じます」

 ユリアの血を引く2人を、セフィロトのある地へ送り出す。彼らにしか解除することの出来ないユリア式封咒を解くためであろうか。
 確か『記憶』では、封咒を解除したティアの身体には障気が蓄積されていた。それは解除する術者がヴァンであっても同じことだろうが、ヴァンは計画成就のためならばその程度のダメージは甘んじて受けるであろう。無論、この時点では知る者などほとんどいない事実ではあるが。

 ま、グランツ謡将には少しばかり障気を浴びていて貰いますよ。
 ティアならいざ知らず、私が彼を守る理由など無いのですから。

 半眼になった血の色の瞳に、ほんの僅か負の笑みが宿る。その感情を捉えた者は、この場内には1人として存在しなかったけれど。
 モースの言葉に頷いた王が、義弟であるファブレ公爵と共にルークを見据えた。そろそろ、この場面は終幕を迎えることをジェイドは思い出す。

「よかろう。さて、ルークよ。他に連れていきたい者はおるか?」
「うーん……ガイを連れて行っていいかな? 父上」
「なるほど。あれは世話係でもあったからな。許可しよう」

 父と子の会話を聞くとも無しに聞きながら、ジェイドは2人の顔を見比べた。子は己に課せられた運命を知るよしも無いが、父はそれを知っていて送り出そうとしている。その表情は平常と変わり無いように見えるけれど……きっと、彼も苦しんでいるのだろう。そう、思いたい。
 だから。

「……ファブレ公爵」
「何か。『死霊使い』殿」
「ご子息は、必ずや無事にお返しいたします」

 本来の息子であるアッシュも、7年育てた息子であるルークも、必ず。
 私の全てを賭けて。

 真紅の瞳に柔らかい笑みを浮かべ、ジェイドはファブレ公爵に約束の言葉を贈った。一瞬顔を引きつらせた公爵の表情には、気づかなかったふりをして。


 城の地下に設けられている牢獄へ、ルークは1人階段を駆け降りて行く。収容されているはずのヴァンを、アクゼリュスへ共に向かうために迎えに来たのだ。
 牢のある階まで辿り着くと、既にヴァンは独房から解放されていた。付き添っていた兵士は「概要については説明してあります」とだけ言い置くと一礼し、2人を残して階段を上がって行った。その背中が見えなくなるまでを視線で追った後、ルークはヴァンの傍へと駆け寄る。

「師匠!」
「ルークか」

 ヴァンは普段通りの白い詠師服を纏っており、身体のどこにも異常は見られない。ただ、その顔にはいつものような余裕のある笑みは浮かんでいなかった。真剣な眼差しが、まっすぐにルークを見つめている。

「……お前1人か?」
「ああ。みんなは表で待ってくれてるよ。でも何で?」
「そうか」

 己の問いにルークが不思議そうな顔をしながらも頷くと、ヴァンは唇の端を引いた。が、それはルークの目にも止まることが無いほど僅かなもの。表面上はあくまでも真剣な表情のまま、鋭い視線はルークの碧の目を縫い止める。

「ならば、今この場にいるのは私とお前の2人だけ、ということになるな。これから私の言うことを良く聞いて、考えて欲しい」
「へ?」

 唐突に大きな掌で、ルークの両肩は包み込むように掴まれた。じっと自分を見つめるヴァンの視線から、目を離すことが出来ない。

「私の元へ来ないか? 神託の盾騎士団の一員として」
「へっ? ……いきなり、何で?」

 突然の誘いに、ルークは戸惑う。最初は何を言われたのか分からなくて……その後は、何故そんなことを言うのかが分からなくて。

「お前はアクゼリュス行きについて、簡単に考えているのでは無いか? だがな、お前は親善大使としての役割を果たすことで、一生をバチカルに縛り付けられて生きることになるのだぞ」
「……どういうことだよ」

 ヴァンの言葉の意味が分からない。
 ルークは、何故自身がファブレの屋敷に軟禁されていたのかは薄々ながら理解が出来ていた。己が持つ特殊な力……超振動が、彼をキムラスカの最奥部に閉じこめていた要因なのだと。
 けれど、親善大使としてアクゼリュスを救うことが出来ればその要因から解き放たれるのでは無いか、という漠然とした思いがあった。その使命を果たすことでルークは英雄となるのだと、インゴベルト王はそう言ったのだから。

「預言にあったんだぜ、俺がキムラスカを繁栄に導くって。アクゼリュスに人々を引き連れて行くんだって」
「その預言は途中で切れていたはずだ」

 それ故のルークの言葉は、ヴァンの鋭い指摘によって止められることを余儀なくされた。
 謁見の間にいなかったヴァンが、何故『預言が途中までしか詠まれていない』ことを知っているのか。ルークは眉をひそめ訝しげな表情を浮かべる。

「元々その預言を読み取ったのはローレライ教団の預言士だからな、私も内容は知っている。私の知る続きはこうだ。『若者は力を災いとし、キムラスカの武器となって』」

 自信ありげに眼を細めたヴァンの口から、欠けた先の預言が紡ぎ出された。それはティアの詠んだ言葉と同じく、文章の最後までは綴られていない。けれど、その内容はルークに衝撃を与えるには十分であった。

「武、器……」

 呆然とした表情でひとつの単語を呟いたルークの脳裏に、泣きそうな笑顔を浮かべたジェイドの言葉が蘇る。キャツベルトの甲板で、夜の月に照らされながら聞いた言葉。

 私は、マルクト軍の人間兵器です。超振動こそ操ることは出来ませんが。

 貴方は、私のようにはならないでください。自分の力に溺れないで。
 強すぎる力に溺れた者は、いつかその力によってしっぺ返しを食らう時が来るんです。

 普段とさほど変わりの無い口調で、けれど強く言い聞かされた言葉。
 自分は単独で超振動を操れる存在であり、その能力を人間兵器として期待されている存在。
 突然発現した能力に翻弄された自分を抱きしめて守ってくれたその人は、長い人生の間兵器としてどれだけの罪を犯して来たのだろうか。
 そして、どんな思いで自分にそう言い聞かせてくれたのだろうか。
 ルークは強く唇を噛みしめながら、必死でその意味を考える。
 が、その思考はヴァンが続けて口にした言葉によって中断された。あるいはヴァンの意図は、ルークの思考を止める所にあったのかも知れないが。

「教団の上層部では、お前がルグニカ平野に戦争をもたらすと考えている。その裏付けとなる預言も既に発見されているのだ。そこにはお前は、キムラスカを勝利に導く英雄なのだと言う意味の言葉が記されていた」
「嘘、だろ」

 英雄。
 英雄と言う呼び名は、戦争を止めた功績として自身に与えられるものでは無いのか。
 戦争を始めて、オールドラントを血に塗れさせた結果として与えられるものだと言うのか。
 碧の目を見開き、半ば呆然と師を見つめる少年に、ヴァンはなおも語りかける。

「ユリアの預言は、今までただの一度も外れたことが無い。この2000年の間、ただの一度もだ。それに、考えてみるが良い。モースがお前のアクゼリュス行きに反対意見を示したか?」

 そう尋ねられ、一瞬だけ記憶を呼び覚ますとルークは首を横に振った。城に呼び出され途中の庭園で顔を合わせて以降、モースが否の意見を唱えた記憶は無い。

「……いや。師匠とティアを俺に同行させる、って言った」
「やはりな。戦争を起こしたがっているモースがそのような意見を唱える理由……それはつまり、預言の続きを知っていたからに他ならない」

 きり、と歯の擦れ合う音が聞こえたような気がした。師の力強く、そして優しい手が、ゆっくりとルークの白い頬を撫でる。

「ルーク。私は、お前が戦争に利用される前に助けてやりたいのだ」

 とぷん、とその言葉は、水に投じられた小石のようにルークの心の中に沈み込んでいった。それと入れ替わりに浮かび上がってきたのは、ジェイドが言い聞かせてくれた言葉。

 貴方の傍にいて、貴方が何者であろうとずっと見守っていてくれる人を、信じてあげてください。
 貴方が血に塗れぬよう、貴方が貴方のままでいられるようずっと見ていてくれる人を。

 その言葉を、ルークは自身の前に立つ剣の師に重ね合わせてみる。
 けれど、それを問いとして彼に投げかけることは何故か出来なかった。

 なあ、師匠。
 あんたは、俺をずっと見守っていてくれる?

 そう問えばヴァンはきっと、当然だと答えてくれるのだろう。それは、ルークにも何となく分かっていた。
 これまでも、ヴァンはルークをずっと見守っていてくれたのだから。


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