紅瞳の秘預言17 罪科

「でもさ、師匠。俺が行かなきゃアクゼリュスはヤバいんだろ? どうすれば良いのさ」

 それでも、ルークの口から漏れ出た問いはまったく異なるものだった。そして、問いに対する答えはルークにとって意外とも言える言葉から始まった。

「超振動だ。お前に与えられたその力が、アクゼリュスを救うのだ」
「……え?」
「超振動を起こし、障気を中和する。その後、私と共にダアトへ亡命すれば良い。それで戦争は回避され、お前はバチカルに縛られること無く自由を手に入れる」

 ごく自然に超振動と言う言葉を口にするヴァン。だが、ルークにしてみれば彼がその単語を知ると言うことがそもそも意外だった。
 ルークに超振動という言葉の意味とその危険性を教えてくれたのは、ジェイドだったから。

 超振動はそうでなくともコントロールが難しいはずですから、今の貴方に扱わせようとする者がいるとするならばそれは、暴走を前提としていることになります。

 ルークが超振動を単独で使えることは、自分とジェイド以外には知らないはずだ。初めて発動したその場にいたのは、彼ら2人だけだったのだから。
 もっとも、自分はこの力のせいで屋敷から出られなかったのだから、キムラスカの上層部……例えば国王などは少なくとも、ルークに超振動を使う能力があることを知っていてもおかしくない。
 けれど、ヴァンは元々キムラスカの人間ではない。ダアトにて導師イオンに仕える、神託の盾騎士団の主席総長だ。如何にファブレ公爵の信頼を得た存在だとて、このような恐ろしい能力を持つと言う秘密をキムラスカが易々と外部に漏らすものだろうか。
 ならば、何故。

「師匠。何で超振動のこと知ってるんだ? ジェイドから聞いたのか?」
「……そうか。お前は忘れてしまっていたのだったな」

 ルークの純粋な問いに、ヴァンは僅かに目を伏せた。すぐに上げられた視線は、先ほどよりも冷たく、そして鋭いものに変化している。素早く周囲に視線を走らせたヴァンは、ルークの身体を引き寄せると耳元に自分の顔を近づけた。

「お前は記憶を失う前、このキムラスカにある研究所で超振動の実験体になっていたのだ。厳しい実験を受け続けていたお前は、私に全てを打ち明けこの国から逃げたがっていた。だから、私はお前をダアトへ逃がそうとしたのだ……失敗してしまったがな」

 殊更に声量を落とし、ルークにだけ聞き取れるように言葉を紡ぐヴァン。その意図を読み取ることも出来ぬまま、赤毛の少年は呟きを漏らす。

「そ……それじゃあ、俺をさらったのはマルクトじゃ無くって、師匠……?」

 ジェイドが知ってるわけ無かった。嘘なんかついてなかった。犯人じゃ無かったんだから。
 でも、じゃあどうして、ジェイドははっきり言ってくれなかったんだろう──?

 思考に沈んだその一瞬、自身の意識がぶつりと途切れたことに、ルークは気づかなかった。


 親善大使として正式に任じられたルークとナタリア、そしてその仲間たちが城を出る直前、情報がもたらされた。ジェイドの『記憶』に刻まれていたのと同じ、中央大海を神託の盾騎士団が監視しているという情報である。少なくともキムラスカの領海は彼らの監視下にある、と言う報告が為されていた。
 その情報を聞いたヴァンは、船団を囮としルークたちが陸路ケセドニアへ向かうというジェイドの案を了承した。更に、親善大使に同行することが公表されている己が囮として船に乗り、神託の盾の目を欺くという補強案を提示する。これもまた『記憶』の通りであるため、ジェイドはその案を受け入れて頷いた。『記憶』を持つ彼としては、いずれ敵となるヴァンが自分たちに同行すると言うのはあまり気分が良くない。
 ルークはジェイドとヴァンの顔を見比べながら、どこか複雑な表情を浮かべている。が、代替策が思いつくわけでも無く結局は「気をつけてくれよ、師匠」と言葉を掛けて彼を送り出した。
 その後、少しばかり『記憶』とは異なる展開がジェイドを待ち受けていた。神託の盾に悟られぬよう少数で動く、と言う報告を入れるために行った先に、アニスが来なかったのだ。

 イオン様は、無事にダアトへ向かわれたのでしょうかね。そう言えば漆黒の翼も見ませんでしたし。

 『記憶』の状況をジェイドは思い起こす。あの時は、ダアトに戻ろうとしていたイオンを漆黒の翼が捕らえ、街からの脱出口としてガイが選んだ廃工場の外れで神託の盾に引き渡していた。自分たちはアニスの通報でそれを知り、そのまま彼女を伴いアクゼリュスへの旅路をスタートさせることとなった。
 イオン引き渡しの場にはアッシュとシンクがいたわけだが、シンクはその直前にはバチカルの出口そばで一行の足止めを狙い待ち伏せていた。また、漆黒の翼がイオンをアッシュに引き渡していたことから、彼らを手配したのはアッシュであろうと推測出来る。
 漆黒の翼と称される3人組は、一行がバチカルに到着したその日にアニスが街の中で確認している。そうすると、あの時一緒にいたもう1人の人物はアッシュだったのだろう。
 ならば、昨日漆黒の翼を見かけなかったと言うことは、彼らが現在動いていないと言うことだ。それはつまり、アッシュがその手配を行っていない故。

 サフィールが上手くやってくれたんでしょうか。彼には……どれだけ礼を言っても言い足りない。

 薄い唇に、微かに笑みが浮かぶ。まだ油断は出来ないが、少なくともアッシュが自分の知る『未来』を少しずつ外れているのだと言うことがジェイドに安堵感を抱かせた。
 アッシュやディストが外れたとしても、それ以外の六神将がイオン確保に乗り出している可能性はある。だが、その状況を知る術をジェイドは持っていない。
 であれば、今の自身に立てられる対策は無い。親善大使の一行としてバチカルの街を出るために、素直に昇降機を使い下層へと降りた。
 街を一番良く知るガイを先頭に、足早に道を歩く。緊張しているのか、ルークはあまり見慣れないはずの街中をきょろきょろ見回すこともせずまっすぐに歩いていた。
 ジェイドは最後尾を、彼らを見渡すように視線を揺らがせながら足を進めた。その中にアニスがおらず、代わりにナタリアが入っているのが少しだけ、彼に違和感を持たせる。
 不意に、背後から敵意が突き刺さってきた。

「……!」

 反射的に振り返り、サイドステップで避けると同時に銀の刃が突き出される。ほんの僅か青の布地をかすめたそれは、普段使いとしてそこらの店で売られているようなさほど大きくもないナイフ。尋常ならぬ気配に、ジェイドの少し前を歩いていたティアがはっと振り返った。続くように、他の同行者たちも。

「っ! 大佐っ!」
「あ、兄の仇っ、覚悟!」

 凶器としてかざされた刃と同じく、その主もまたどこにでもいるような青年。ナイフを握った手はカタカタと震え、彼がろくに戦闘訓練を受けていないことが傍目にも分かる。
 顔はほとんど思い出せなかったけれど、出来事自体はジェイドの『記憶』にはっきりと残っていた。
 自身との戦闘で兄を失ったと言う青年。遺体すら還って来なかった兄を思い、仇である自分を狙った。

「……っ」

 あの時は槍を出して応戦していたジェイドだったが、此度は右の腕を背に回し回避に専念する。自分に槍をかざし、彼を叩き伏せる権利など無い。一方彼には、自分を殺すに足る理由が存在する。刺されて死んだとしても、彼が兄の仇を取ったと言うだけの話だ。
 もっとも相手が素人であることもあり、無意識下ですら攻撃をかわすのはそう難しいことでは無かった。ひゅ、ひゅんと風を切る音が繰り返すだけで、ふらふらと避けるだけのジェイドの身体には傷1つ付かない。

「大佐、下がってください!」

 何度目かの切っ先を紙一重で避けた所で割り込んできた声に、青年がはっと足を止める。そのまま数歩後方に下がって距離を取ったジェイドの前に駆け込んできたティアが、杖を振るって青年のナイフを叩き落とした。続いて反対側から回り込んできたルークが、ジェイドを庇うようにその前に立つ。

「馬鹿、何してんだよ。ジェイドなら何でもない相手だろ!」
「……」

 少年に叱咤されて、思わずジェイドは顔を伏せた。言い訳は、例え真実を口にしたとしてもこの子には通用しないだろう。
 殺されても構わない、と思っていたなんて。

「よっと、失礼!」
「は、離せ!」

 とん、とガイが彼らの横をすり抜けるように走った。ナイフを遠くに蹴り飛ばし、青年の腕を背中側に捻るとそのまま地面に押さえ込む。

「貴方、我が国の客人に何と言う無礼をなさるのですか! キムラスカの民として恥を知りなさい!」

 青年が顔を上げると、その前にナタリアが仁王立ちしていた。腰に手を当て、端麗な表情は怒りに満ちている。如何に敵国の軍人とは言え、使者として迎え入れた人物に刃を向けるなどナタリアは許せないのだろう。
 だが、青年には目の前に立っている少女がこの国の王女であると言うことが分からないのだろう。ガイに押さえつけられたままもがき、憎しみの視線をジェイドに向けながら叫ぶ。

「昨日、港で話してたのを聞いたんだ! 『死霊使い』ジェイドは、兄の仇だっ!」
「話を聞いていたのなら分かっているだろう! こちらの方は和平の使者としておいでだ!」

 腕の力を緩めないままガイが怒鳴り返した。仇である男の感情を失った端正な顔を睨み付け、青年はぎりと強く歯を噛みしめる。

「分かってる! けど……兄さんは死体も見つからなかったんだ! 『死霊使い』が奪って、皇帝のために不死の実験に使ったんだろうが!」

 憎々しげな感情をまともにぶつけられても、ジェイドはその顔に表情を浮かび上がらせることは無い。まるで襲われたのが自分ではない別の誰かであるように、温度の無い視線を青年に向けるともなく移ろわせている。


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