紅瞳の秘預言17 罪科

 そこへ、騒ぎを聞きつけたのか兵士が数名走り寄ってきた。マルクトの軍服を纏っているジェイドを見て一瞬動きを止めたが、続いてナタリアの顔を見ると踵を揃え、ぴしりと敬礼をしてみせる。さすがに彼らは、姫君の顔を知っていたようだ。

「役目ご苦労様です。この者は我が国へ来られたマルクトの使者に刃を向けました。連行なさい」
「はっ、了解いたしました! 連行せよ!」

 青年の上から退いたガイに代わり、兵士たちが腕を引いて立たせる。青年はそれでも一度ジェイドをぎろりと睨んだが、相手の反応が無いことを知るとぺっと唾を吐く仕草をして見せた。
 兵士に取り囲まれ引っ立てられていく青年をぼんやりと見送っていたジェイドに、ガイが軽く肩を当てた。振り返ると、訝しげに眉をしかめた青年の顔がそこにある。

「旦那。何で抵抗しなかったんだ?」
「多分、事実ですから」

 答えるジェイドの顔に、やはり表情は無い。どこか虚ろな真紅の瞳が、レンズ越しにガイを映し出す。それは己を恨めとガイに告げた時にも似た表情で。

「……フォミクリーの実験に使ったのか?」

 周囲を伺ってから低い声で投げかけられたルークの問いに、ナタリアも真剣な眼差しでジェイドを見つめた。
 彼女にも、ルークとの旅を話していた過程でフォミクリーについては説明してある。さすがに彼女は多少なりとも知識はあったのか、大元の開発者がジェイドであることを知ると憎悪の表情を露わにしてみせた。

「はい、恐らく。数が多すぎて個人名などはもはや覚えていませんが、戦場で敵味方関係なく死体を漁り、レプリカ情報を収集したのは事実です。当時の私は、死者を悼む感情など持ち合わせていませんでしたから」
「……」

 今も、淡々と事実を語るジェイドにナタリアは眉をひそめ、顔を背ける。民を思い民のためにあろうとする王女には、ジェイドの過去の所業は許せるものでは無いだろう。何故このような男が皇帝の懐刀なのか、使者としてバチカルに入ったのか、彼女は納得出来ないに違いない。
 元よりジェイドは、自身が他人に好かれる性分とは思っていない。喜怒哀楽をほとんど表情に出さず、また感情として知ることも無く生きてきた。手がけた研究の数々と『死霊使い』の二つ名が、彼の周囲から更に人を遠ざける。
 自分は誰かに好かれる資格など最初から無いのだ、と恩師を死に至らしめた時からジェイドは信じている。血を分けた妹ネフリーが自分を恐れるという、その感覚こそが当然だと思っている。
 それでも、サフィール……ディストやピオニーは、そんな彼に対し友人として接してくれる。
 マルコを初めとした第三師団の部下たちは、悪名高き師団長に敬愛の念を抱いてくれている。
 与えられる好意の暖かさを知った今となっては、敵意や憎悪がぞっとするほど痛い。

 魔界の海で、ルークはこの痛みにずっと晒されていた。
 私には、逃げる権利など無いですよね。この、愚か者には。

 故にジェイドは、自身に向けられる負の感情を甘んじて受け止める。アクゼリュスを崩落させてしまった『未来』のルークの痛みを、少しでも和らげようとするかのように。

「不死の実験、とか言ってたけど……まさかそんなことまでしたのか?」

 ルークの恐る恐るの問いに、ジェイドは小さく頷いた。声を落とし、ぽつりぽつりと言葉を紡ぐ。

「似たような研究は手がけたことがあります。生体レプリカにオリジナルの生前の記憶を刷り込む事が出来れば、擬似的に不死を体現出来るのでは無いかと」

 それは、先代の皇帝が戯れに命じた研究だった。己の地位を継ぐ子どもたちが権力闘争に明け暮れる様を眺めていて、あまりに愚かな次代に愛想を尽かしたなどと口にしていたか。
 結局その地位は、雪の街に封じられていた末子ピオニーが預言の通りに継ぐこととなったのだが。

「結果は、どうだったんですか?」

 ティアが、自身と同じように感情の籠もらぬ瞳でまっすぐにジェイドを見つめて尋ねる。目を閉じた彼は、一度息を吸うとゆっくり言葉を吐き出した。

「結論から言えば不可能でした。記憶と感情は、その当人が生み出し作り出して行くものなんです。故に、オリジナルとレプリカは同一人物たり得ない。死んだ人間は蘇らないし、不死もまたあり得ないんです」

 瞼を開いたジェイドが視線を向けたのは、朱赤の髪の少年だった。

 オリジナルとレプリカは、同一人物たり得ない。
 ルークとアッシュが、オリジナルのイオンとレプリカイオン、そしてシンクが別人であるように。
 死んだ人間は蘇らない。
 結局、ネビリム先生が蘇らなかったように。

 そんな当たり前のことを自分に、そしてきっとディストにも教えてくれたのは、この少年だから。

 ルークは、軽く肩をすくめるとくい、と青い軍服の裾を引いた。少し引きつってはいるけれど、笑顔を見せながら口を開く。

「……行こっか、ジェイド。俺は信じてるから」
「…………はい」

 ありがとう、と言う言葉は喉の奥に飲み込んで、ジェイドはルークに頷いた。

 死んだ人間は蘇らない。
 それでは。
 一度通り過ぎた時間の中で自分が殺した少年の未来を望むのは、愚かな行為なのだろうか。

 否。
 きっと、代替として別の生命が消えれば良い。


 急に肩が重くなった。思わず視線を移すと、青い筒状の耳がぴこぴこと肩の上で動いている。

「みゅみゅ」
「は? ……どうしました? ミュウ」

 普段はルークの足元にまとわりついているか肩に乗っているミュウが、何故かジェイドの肩の上にいる。慌ててルークに視線を向けると、肩越しにこちらを見て小さく手を振った。そのまま同行者たちと共に歩き去っていく赤い髪を見送って、ジェイドは視線を戻した。

「みゅみゅみゅ。ジェイドさんのお肩に乗りに来たですの」

 にこー。
 いつものように愛らしい笑みを浮かべ、空色のチーグルはちょこんと青い肩に腰を下ろしている。まるで、ここからは動かないぞ、と言わんばかりに。
 ジェイドは何度か目を瞬かせて、くりくりっとした大きな瞳を覗き込んだ。そこに映っている自分の顔は、情けない表情をしている。これが死霊使いと呼ばれる男の顔とは。

「ええとええと、ジェイドさん、気を落とさないでくださいですの。寂しい顔は嫌ですの」
「……はぁ」

 肩から落ちないように髪を一房握りしめながら、ミュウが口にした言葉。ジェイドはそれに、息を漏らすように答えることしか出来なかった。
 『記憶』の中ではずっとルークを慕い、何があろうと着いていったこの幼い聖獣は、この世界ではしばしばジェイドをも構いたがる。ライガの女王の説得に自身が加わったからだろうとジェイドは推測しているが、それにしてもこの構い方は異常だと思う。

 ……もしかして、私は慰められているんでしょうか。

「きっと、さっきのお兄さんもジェイドさんのこと、分かってくれますの。だから、笑ってくださいですの。ご主人様、ジェイドさんの笑った顔が好きですの」

 にこにこと無邪気に笑いながらミュウは、戸惑うジェイドの頬に擦り寄った。昨夜ファブレ邸で手入れをされたのか、以前よりも空色の毛がふわふわと柔らかく思える。青い手でそっと頭を撫でてやると、チーグルは気持ち良さそうに喉を鳴らした。

「そう、だと良いんですけどね。行きますよ、ミュウ」
「はいですの」

 無理に笑顔を作りながら答えて、ジェイドはミュウを肩に乗せたまま歩き出した。少しだけ、何かが楽になったような気がする。

 ルークが好きだと言うのなら、私はずっと笑っていましょう。
 どうせ、私には感情など必要無いのだから。
 ルークのために、全て捨ててしまっても構わない。


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