紅瞳の秘預言18 交錯

 その日の朝早く、イオンはアニスと、そして自分を迎えに来た神託の盾の兵士たちを伴い、バチカルの城を発った。
 ピオニーより託された和平の親書は既にインゴベルトの手に渡り、自身の役目は終了している。この後はダアトに戻り、ローレライ教団の頂点に立つ者としてオールドラントの平和のために手を尽くさなければならない、とイオンは心に決めていた。
 自身はモースやヴァンが擁立したお飾りの存在であり、しかも既に亡いオリジナルの代替として据え置かれたレプリカであるけれど……いや、レプリカである故にか、その責任感はしっかりと彼の心を掌握していた。

「でも、結構楽しかったですよね。ルーク様や大佐と一緒の旅って」

 背中にトクナガをぶら下げ、のんびりとイオンの背後を護りながら歩いているアニスが、ほんの少し名残惜しそうに言う。このままダアトに戻れば、またモースの細い眼に睨まれながらイオンを監視する日々が続くのだから。既にイオン自身にはバレていることが分かっているため、余計に心が痛む。
 いっそくたばれカエル面、と心の中だけで毒づくアニスの顔を見ることも無く、イオンはいつものように穏やかな笑顔のまま空を見上げた。青い中にきらり、と譜石帯が確認出来る。

「そうですね。普段は見られないような人々の生活なども見ることが出来ましたし、僕としてはとても意味のある旅でした」
「エンゲーブのご飯、美味しかったですよねえ」
「昨日ルークのご実家で戴いたお茶も、大変良かったですよね」

 晴れやかな表情が示す通り、イオンはそれなりに上機嫌だった。普段からダアトに閉じこめられるような生活には慣れていたし、自分はそう言う人生を送るものだとどこかで諦めている部分もある。そんな自分が思うように動き、導師としての生活では決して味わえない経験の数々を旅の中でしてきたことが、イオンの機嫌を良いものにしていた。

「……イオン様」

 そろそろ街を出ようかという所まで来て、唐突にアニスが周囲をくるりと見回した。顔をしかめると、イオンを庇うように数歩前に出る。
 どうしました、とイオンが問い返す前にその理由は、自分たちを取り囲む神託の盾兵士たちと言う形で具現化する。がしゃがしゃという金属が擦れ合う音は、彼らが武装しているその証だ。
 同じ武装をしているはずの、自分たちを迎えに来た兵士たちの姿は無い。いや、正確に言うと彼らの姿は、包囲網の中に入り交じってしまっている。
 つまり、最初からこの状況は仕組まれていたと言うことか。

「導師イオン。共に来ていただこう」

 その中心に立っているのは『魔弾のリグレット』。六神将の1にして、ヴァン・グランツの右腕。構えてはいないもののその手に譜業銃を携えていることに、イオンが眉をひそめた。

「その様子では、ダアトまで護衛してくれる……と言う訳でも無さそうですね」
「導師には為すべき役割がある。ダアトで遊ばせている訳にはいかんのだ」

 かちゃりと音を立て、銃口がイオンを狙う。その間に立ちはだかり、アニスが自身の背中からトクナガをむしり取った。

「リグレット……あんたたち、一体何考えてんのさ! イオン様をあっちこっち振り回して!」
「導師守護役か。貴様らには関係無い、我らは世界のために動いている」

 年端もいかぬ少女を見下ろし、リグレットは冷たく言い放つ。銃口はアニスに向けられたまま、微動だにしない。もちろん、アニスもその場を動く気は毛頭無いのだが。

「関係無いわけ無いでしょーが! あたしはイオン様の守護役なんだから!」
「黙れ。長が不在の今、導師守護役に実権など存在しない。導師イオンは我ら六神将が丁重に守護する」
「それでお身体の悪いイオン様を振り回して疲れさせるわけぇ? 年増がそんなしかめっ面してたら、目尻と眉間のしわが取れなくなるよ」

 はん、と鼻息も荒くアニスが吐き捨てると、リグレットは露骨に顔を歪めた。普段は素振りも見せてはいないが彼女も女性、外見には気を使っていたようだ。その証拠である薄く色を乗せている唇が、片側へと引かれるように歪む。

「何だと!」

 ぎり、と歯を噛みしめる音が聞こえた。眉をしかめ、自分を見つめるその苦々しげな表情をアニスは、にんまりと意地の悪い笑みを浮かべながら見返す。

「あ、ごめ〜ん。もう取れなかったっけ? オ・バ・サ・ン」
「小娘が……」

 怒りのあまりか、銃口が一瞬ぶれる。が、改めてアニスに照準を合わせ直すとリグレットは、トリガーに掛けた指に力をこめた。

「リグレット!」

 別方向から流れ込んできた少女の声が、彼女の指の動きを止めた。はっと振り返ったリグレットの視線の先にいたのは、青い鳥の魔物の背に跨った、桃色の髪の少女。

「アリエッタ!」
「うわちゃ、根暗ッタまで来たぁ……」

 リグレットは薄く笑みを浮かべ、アニスは額を手で抑えた。アリエッタはフレスベルグの背に乗ったまま、ライガを連れて神託の盾の包囲網の中、イオンとアニスの傍へと降り立つ。素早く背後にイオンを庇うアニスにちらりと視線を投げかけた後、少女はリグレットに向き直った。視線を合わせ、自身の有利を確信したリグレットが口を開く。

「ちょうど良いところに来た、導師イオンを……」
「アリエッタ、イオン様を助ける! リグレットの言うことはもう聞かない!」

 どこか不機嫌そうに金の髪を見下ろし、アリエッタは叫んだ。と同時にライガが動き、イオンたちのすぐ傍にいた神託の盾兵士を数名、爪でなぎ倒す。反射的に飛び退いたリグレットがトリガーを引くが、素早く反応し飛び退いたライガには掠りもしない。

「アリエッタ!?」
「光の鉄槌よ……リミテッド!」

 少女の、どこか舌足らずながらも凛とした詠唱が響く。一瞬遅れ、白い鎧たちとリグレットが光に吹き飛ばされた。

「く……うわああああっ!」

 光が収まると、全体の半分ほどが地面に倒れ臥しているのが分かった。残る半分の兵士たちは、突然の展開におろおろしている。そして、包囲網にぽっかりと穴が空いていた。

「ちょ、何なに仲間割れ?」

 大きな目を瞬かせ、状況を理解しきれないままアニスが呟く。その目の前に、ライガが駆け込んできた。すっと姿勢をかがめ、くうと喉を鳴らす。

「イオン様、案内します! 弟に乗って!」

 フレスベルグの背中から、アリエッタが声を張り上げた。周囲の状況をぽかんと見つめていたイオンは名を呼ばれ、はっと意識を引き戻す。少女に頷いてみせ、もう1人の少女を振り返った。

「あ、はい! アニス、早く!」
「はぁい!」

 先にイオンがライガの背に乗り、少年の背中を守るようにアニスが飛び乗ると魔獣は素早く大地を蹴った。『弟』の後方を守るように、アリエッタはフレスベルグに命じ空へと羽ばたく。視界の端で倒れていたリグレットが身体を震わせているのが見えたが、少女はそれを無視した。
 今の彼女にとって守るべきは森の色の髪を持つ少年導師であり、その導師に危害を加えようとした金の髪の女では無いのだから。

 魔物の毛皮にしがみつくイオンを、アニスはその背に覆い被さる形で護りながら空を見上げた。大地を走るライガと並行して空を行くフレスベルグの背中へ、叫び声を飛ばす。

「ちょ、どこ行くつもりなのよ!」
「アッシュに、メモ貰ったです! あっちで待ってたら、ルークたちに会えます!」
「へ?」

 答えとして返ってきた言葉の中に知った名前を見出し、アニスが目を見開いた。思わず上体を起こしかけるが、顔面に風圧をもろに浴びて面食らったのか慌てて伏せ直す。が、その視線は鋭く周囲の風景を確認し、自分たちの向かっている方向を脳内で認識していた。背中からずり落ちかけたトクナガの手を肩越しに掴み、胸元に抱き寄せる。

「何でルーク様たちが? ってゆーか、こっちって街の裏に出ない!?」
「分かんない! でも、じっと待ってたら絶対会えるって!」

 上空から周囲を警戒しつつ、アリエッタは怒鳴るようにぶつけられたアニスの問いに同じ調子で答える。青い空にふわりとなびく明るい色の髪を見上げ、イオンも声を張り上げた。

「アリエッタ! アッシュも一緒なんですか!?」
「アリエッタとは別に動いてます! でも、ディストとお話ししたって言ってました!」

 アニスには憮然とした表情しか見せなかったアリエッタだったが、イオンが自分を見ていることを知ると少し照れたような笑顔になった。む、と一瞬膨れた後アニスは、言葉の中に登場した銀髪の科学者の名に眉をひそめる。ほんの少し思考しなければ、その名の登場した意味が分からなかったのだ。

「……何でディスト………………あー!」

 思い出したのは、彼が『金の貴公子』と呼ばわるマルクト軍人の顔。そう言えば彼は、ディストの本名を知りまた『私の友人』とも呼んでいた。

「大佐繋がり。そゆことですかぁ」

 がくっと肩を落とし、溜息をついてしまうアニス。あの変人がモースに対し何ら敬意を抱いていないことは良く知っていたが、宗旨替えをする理由はジェイドを除くと全く見当たらない。変人は変人なりに、その思想には一貫したところがあることくらい知っている。


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