紅瞳の秘預言18 交錯

「そうだと思いますよ。ディストにとってジェイドは、大事な友人なんでしょう?」
「まあ、そうみたいですけどねえ……」

 無邪気に笑いながら尋ねてくるイオンに、背中に錘を乗せられたような表情でアニスは答える。それから僅かばかり思考を巡らせて、ふと気づいた。額に手を当てて、眉間を揉みほぐしながら呟く。

「……つーことは、コーラル城で説得済みってことかぁ。うわー、大佐手回し良すぎー」

 何しろ、ダアトでジェイドと合流してからバチカルまでの旅路の間、自分たちがディストと接触したのは軍港と寂れた廃墟の城でのみ。それも軍港では少し顔を合わせただけで、ディストは気を失ったジェイドをコーラル城まで連れ去ってしまった。
 故に、連れ去られてから自分たち……正確にはルークが取り戻すまでの間しか、ジェイドがディストを説得するタイミングは無い。その一度だけで、薔薇を自称する学者が心変わりをしたと言うのだろうか。

「どう思います? イオン様ぁ」

 自身の考えを言葉にして伝え、アニスは敬愛する導師に問いかける。イオンは少しばかり考えを巡らせていたが、やがてふわりと暖かい笑みを浮かべると頷いて答えた。

「無いことでは無いと思いますよ。2人の仲違いの原因が分かれば、仲直りも難しくは無いと思いますし」
「そういうもんなんですかねえ。大人って頭固いと思ってたんだけどなあ」

 アニスの首が軽く傾げられた。自身はまださほど生きていない子どもだが、長く生きた大人ほど己のそれまでの思考に執着する傾向があることくらいは分かっている。ディストをローレライ教団へと導いた執着の根源は、あの数時間で解ける程度のものだったのだろうか。

「……そんだけ、大佐への執着の方が強いのかな」

 はー、と思い切り深く溜息をついたアニスの視線は、空へと向けられる。今日は良い天気だけど、2、3日ほどで雨が降ると預言に詠まれていたか。
 雨宿り出来る場所でルーク様たちを待てるといいなあ、と言葉に出さず少女は呟いた。

 瞼を開くと、青い空が視界を占拠する。ゆっくり起き上がると、部下諸共譜術に弾き飛ばされ地面に投げ出されているのが分かった。リグレットは軽く頭を振り、髪に付いた土や草を手ではたき落とす。

「くっ……何故アリエッタが……」

 呟く彼女の周囲で、兵士たちも意識を取り戻し始めたのかのろのろと起き出して来た。くるりと見渡したところ、負傷者はいるものの生命を落とした者はいないようだ。「ふむ」と小さく頷くと、リグレットは声を張り上げた。

「各小隊、状況を確認次第報告。重傷者は別途後送させよ」

 即座に兵士たちが動き、程無く報告が次々に上がってくる。リグレットの見立てた通り、死者はいない。アリエッタの譜術で負傷者は出ていたが、重傷を負い戦線を離脱せねばならない者は両手の指ほどであることも分かった。

「アリエッタめ。手加減などして、愚か者が」

 溜息をつきながら呟くと、一度ほどいた金の髪を無造作に結い上げた。そうしてリグレットは、矢継ぎ早に部下へと命令を飛ばす。作戦行動には大して支障が無いと分かった以上、こんな所でもたついている訳には行かないのだから。

「第1小隊はイオン様とアリエッタを追跡しろ。第2、第3小隊はバチカル周辺を確認。残りはアクゼリュスへ向かう準備を続行。それと……」

 そこまで命じてから、リグレットはふと口を閉ざした。口元に細い指を当て、しばし思考を巡らせる。そうして、手近にいた部下に視線を向けた。

「伝令をシンクとラルゴに出せ。状況を伝えればあの2人は分かるだろうが、どうもアリエッタにしては行動が賢しい」

 これまでヴァンに付き従って来たアリエッタが何のためらいもなくイオンを選び、導師守護役共々連れ去った。これまでの彼女であれば魔物たちに命じ、兵士の生命を食い散らかさせていたはずだ。いくら敬愛する導師の御前とは言え、甘い判断だが……違う角度から見れば、最小限の時間でイオンを連れ出すことに成功しているのだから効率の良い判断とも言える。
 だが、リグレットにはアリエッタがそのような判断を下せるか……そして、ヴァンよりもイオンを選んだという事実の背後を疑った。
 魔物に育てられた少女を丸め込んでしまえるような人物で、ヴァンを裏切ることを躊躇しないであろう人物。 リグレットが知る中には、ただ1人しか心当たりが無い。

「恐らくディストが裏切った。関係先を捜索する必要があるな」

 ちっと舌を打ち、リグレットはライガの足跡が消えた方向を睨み付けた。


 街の出口近くまで来たところで、先頭を歩いていたガイがぴたりと足を止めた。

「ん?」

 すぐ後ろにいたルークが、数歩前に出て肩を並べて、同じように足を止める。顔を向けると、金髪の幼馴染みは眼を細め街の外に視線をやっていた。

「どした? ガイ」
「……シンクだ」

 くい、と顎で差した出口の外側に続いている街道沿い。ルークが視線を向けると、ちらりと深い緑の髪と鳥の嘴のような仮面が見えて、すぐ消えた。どうやら向こうは、まだこちらには気づいていない様子だ。

「げ」

 げんなりした顔になったルークの横にさりげなく並び、ジェイドが指先を顎に当てながら「ふむ」と頷いた。ガイにちらりと視線をやると、こちらの意図に気づいたのか了解と小さく頷く。
 僅かに眼を細め、ジェイドは背後にいる2人の少女を振り返った。

「少し戻りますよ。忘れ物をしたようですから」
「あ、はい」
「まあ、忘れ物ですの?」

 声量を落としての言葉に、ティアもナタリアも一瞬目を見張ってからこくりと頷いた。ジェイドの肩に乗ったままのミュウも、元々大きな目をくりくりと動かした。

「みゅみゅ。忘れ物ですの?」
「はい、そうなんですよ。困ったものです」

 ふわふわとチーグルの毛を撫でて、ジェイドは薄く笑みを浮かべた。肩をすくめた時のどこか悪戯っ子のような表情に、ティアは何となく状況を察したようで「分かりました」と苦笑する。もっともその視線はミュウに釘付けだったから、本当に分かっているのかどうかは疑問だが。

「よし。一度戻ろう」
「え? あ、おう」

 ルークの肩をぽんと叩き、ガイがくるりと回れ右をする。ナタリアは不思議そうな顔をしながら、それでも幼馴染みたちの行動に合わせてついて行った。
 少し奥まった細い通路に、全員がするりと入り込む。同行者の顔が揃っているのを確認し、ガイはちらと背後に視線を向けてから口を開いた。

「街の出口傍に『烈風のシンク』がいた」
「……シンクが?」

 微かにティアが眉をひそめる。ナタリアは一瞬だけ考えて、なるほどと言うように頷いた。彼女も神託の盾六神将の名は聞いたことがあるのだろう。

「まあ。でも、何故でしょうか」
「我々を待ち伏せ……と言いますか、足止めに来ているのでしょう。何が理由かは分かりませんが」

 ジェイドは今の状況を『記憶』とすり合わせつつ、ナタリアの問いに答える言葉を紡ぐ。軽く首を傾げ、怪しまれないように芝居を打ちながら。
 『記憶』のこの時点で、イオンは漆黒の翼に拉致され自分たちはナタリアでは無くアニスを伴っていた。六神将がイオンを欲するのはセフィロトのダアト式封咒を解除する能力が必要だからであり、そうなるとシンクの待ち伏せはセフィロトを回る時間を稼ぐためだったと推定出来る。どうやらこの頃からヴァンに反発していたらしいアッシュがルークに同調し連絡を入れてくれたため、シュレーの丘を除くと解除されたセフィロトはザオ遺跡のみに留まったのだが。
 今回はアッシュが漆黒の翼を手配してはいないが、恐らくは別の六神将が『記憶』同様にイオンをさらったものと推定出来る。ならばシンクがあの場にいるのは、やはり同じ理由であろう。だが、確証が無い以上下手な動きをすることは出来ない。
 ティアが、ぎゅっと杖を握りしめた。さらさらと流れる髪を掻き上げ、眼を細める。

「困ったわね。このまま出て行ったら、囮作戦の意味が無くなるわ」
「かと言いまして、船団が出てしまっていますから港はもう封鎖してるはずですわね。お父様はまだ、マルクトを信用していませんもの」

 ナタリアが、軽く俯いて考えながら言葉を繋げた。『記憶』の世界同様、ヴァンを乗せた囮の船団が出航した後バチカルの港は封鎖されている。マルクトが海側から侵略してくるのでは無いかと言う恐怖に怯えるキムラスカの首都防衛策であるから、ジェイドもそれは納得していた。
 マルクトの首都であるグランコクマも、敵軍の上陸に備えての防御手段は完備されている。バチカル共々最重要となる国の中枢なのだから、過剰なまでの防備はむしろ当然なのだ。
 とは言え、このままでは先に進むことは出来ない。苛立った表情のルークが、地面を踏みしめながら言葉を吐き出した。

「んじゃあ、どうやって街を出るんだよ。港も出口も使えないんじゃ、どうしようもねえじゃんか」
「……そうだ」

 しばらく考え込んでいたガイが、ふと顔を上げた。彼の知識の中にある最後の手段は、ここで開示されることとなる。
 本来ならばホドの仇を討った後脱出経路として使用するはずだったのであろう、人が使うことの無い廃墟。

「街外れに行こう。確か廃棄された工場跡があるはずだ」

 金髪の青年の提案に、ジェイドは真紅の目を細め「案内をお願いします」と頷いた。いずれにせよ、そちらのルートを使わなければ今のバチカルを出ることは出来ない。


PREV BACK NEXT