紅瞳の秘預言18 交錯

「ああ、あれですね」

 ジェイドの言葉に、その頭上によじ登ったミュウが「着いたですのー」と歓喜の声を上げた。が、すぐにくしゅんと可愛らしくくしゃみをして青い腕の中に転げ落ちる。
 ガイの先導で、ルークたちはバチカル市街から外れた所にある工場の廃墟へと辿り着いていた。昔はこの一帯も市街地として利用されていたのだが、街並みが整備されていくにつれ中心街から外れたこの付近は人々から忘れ去られて行ったのだった。
 同じ廃墟とは言え、曲がりなりにも城であったコーラル城とはまた違った雰囲気の建物がそびえ立っている。外壁はあちこちが錆びつき、油や汚水の臭いがどんよりと漂っている。ルークは鼻を擦りながら、建物全体を見渡した。

「……なあ。考えても分かんねえんだけど、何で工場跡が抜け道になるのさ」

 少年が首を捻りながら口にした疑問に、ナタリアがきょとんと目を見開いた。が、彼女とルーク以外の3人は楽しそうに目を細める。
 赤毛の子どもが知りたい、と思ったことは分かりやすく説明し、教える。子どもがその説明に納得すれば彼の知識は1つ増え、幸せそうな笑顔を見ることも出来る。
 昨日終えたばかりの旅の中で、彼らにはそれが当たり前のことになっていたから。

「こう言った大規模な工場ですと、必ず排水施設があるんですよ。工業廃水を外に排出するんですが、そういった水は普通街中には流しませんよね?」

 最初に口を開いたのは、やはりと言うかジェイドだった。腕の中できょろきょろと皆を見回していたミュウが、首を傾げ彼の顔を見上げて問う。

「みゅみゅ。汚れたお水ですの?」
「ええ。最近はちゃんと廃水を浄化する施設があるんですが、昔の施設ですと汚れた水をそのまま流していましたかね。星には悪いことをしたものです」
「みゅう……」

 しょぼん、と大きな耳が分かりやすく垂れる。ミュウの頭をゆっくりと撫でてやりながら、ジェイドの視線はルークに向けられた。少年は口を尖らせながら、ジェイドの言葉を噛み砕いて考えていたようだ。やや間があって、こくりと頷く。

「……まあ、一度使った水だしな。トイレの水なんかも、あまり街中に流すもんじゃねえか。そうすると、街の外に流すのか?」
「そうそう」

 問いに答える形で説明を引き継いだのはガイ。入口の扉を見つけ、ぐいと引き開けながら言葉を紡いでいく。

「で、工場だと一度に大量の水を使うから、当然捨てる水の量も多くなる。そんな訳で、こう言ったとこの排水溝ってのは人間が通れる程度にはでかいわけさ」
「既に使われていない施設ですから、汚水が流れていると言うこともありませんわね」

 ガイ、ルークについて工場の中に入りながら、ナタリアは興味深そうに周囲を見渡した。稼働を終えてどのくらい放棄されていたのか分からない廃墟の内部では、未だ微かに非常灯がいくつか淡く光を湛えている。とは言えかなり暗い室内は、自身の足元を確認することさえおぼつかない。

「街の外に流すと言うことは、街を囲んでいるクレーター壁の外に流すと言うことですよね」

 背に負って来た道具袋の中から携行型の譜石灯を取り出しながら、ティアが続く。寿命が尽きかけている非常灯よりは明るいその光は、ジェイドの腕からティアの胸元に受け渡されたミュウが手に取った。

「みゅみゅ。明るいですのー、きらきらしてますのー」

 譜石の光が、全員の顔を柔らかく照らし出す。暗い場所を通ることを『記憶』で知っていたジェイドが前もって渡していたその光に照らされながら、赤い髪の少年は仲間たちを順番に見渡した。
 ジェイド、ガイ、ナタリア、ティア。彼らが言葉にした事柄を、ルークはひとつひとつ脳内で組み立てる。そうして出てきた結論を、満面の笑みを浮かべながら口にした。

「そっか。人の通れるサイズの穴が、街の外に続いているから抜け道になるんだ。おまけにずっと使われてない工場跡だから、知ってる人もあんまりいない。六神将に見つからないようにバチカルの外に出るには、ちょうど良い道なんだ!」
「はい、良く出来ました。偉いですね」

 少年の出した結論は、同行者たちの中でも博識を誇る軍人をも満足させたようだ。我が子の成長を喜ぶ父親のような笑みを浮かべ、ジェイドはルークの赤い髪を少し乱暴に撫でる。

「その扱いやめろってば、ジェイド〜」

 自分の髪を掻き回す青い手を押さえながら、ルークは口調とは裏腹に大して嫌がっていないように苦笑する。ジェイドも楽しそうにルークの顔を覗き込むと、ぴしりと人差し指を立てて言葉を続けた。

「ちなみに敵地潜入任務の時でも、排水溝と排気ダクトは良く使われます。覚えておくと便利ですよ」
「いや……だからな旦那、そーいう知識は要らんから……」

 顔をしかめ、額を手で抑えながらガイが嘆息した。確かに、キムラスカの王族ともあろう者が敵地潜入の常套手段など、あまり覚えておくものでも無いだろう。


 明かりは確保されているとは言え、大規模な廃工場内を進むのは骨が折れる。内部設備を使用するのにも動力接続などの手間が掛かり、また長年に渡って人が寄りつかなかったために数種類の魔物たちがこの場をねぐらとし、また生活環境としていた。
 久方ぶりに侵入してきた人間を栄養分として捕獲せんと襲いかかる魔物たちを倒しながら進んでいくうちに、誰からとも無く休憩を取ろうと言う話になった。
 軽く食事を摂った後、ガイはジェイドを伴って周辺を確認に出かけた。ティアもミュウを連れ、席を外す。どうやら、ルークと婚約関係にあるナタリアに気を遣ったのだろう。
 工場のあちこちから漏れている廃油を燃料に、ミュウの炎で起こした焚き火。ルークとナタリアは、第五音素の光に照らされながら2人きりで少し間隔を開けて座っていた。ルークが微かに頬を膨らませているのは、ナタリアと2人だけにされても会話の糸口が掴めないからだろうか。
 代わりに口を開いたのは、ナタリアの方からだった。ひょいと幼馴染みの顔を覗き込んでくる仕草は、ルークの記憶が始まってから何度も見た同じ行動。

「ルーク。昨夜、カーティス大佐から旅のお話を伺いましたわ」
「はあ? あのな、何聞いてんだよお前は」

 顔をしかめて答え、ルークは髪をがりがりと掻く。当人にしてみれば、突然見たことも無い場所まで飛ばされた上にキムラスカ・マルクト・ローレライ教団の三大勢力が絡み合った騒動に巻き込まれて大変苦労したのだ。茶飲み話程度の話題にされるような思い出では無い。
 だが、その反応はナタリアにしてみれば不満であったらしい。む、と口を尖らせて、ルークの目の前10センチほどまで顔を寄せて来る。

「だって、ルークは私の婚約者ですもの。大切な婚約者が長く傍を離れていた間のお話を聞きたいのは、私のわがままでしょうか?」
「うわ、顔近いっ! わがままに決まってんだろーが!」

 距離の近さにたじろいだルークが慌てて後ずさるのを、ナタリアは遠慮も無しに壁際まで追い詰めた。ルークは焦りを隠せないままナタリアの顔を見つめていたが、やがてむっとした表情になると口調を改める。その口から漏れ出たのは、青い服の軍人の名前。

「……ジェイドのこと、ちゃんと大事に扱ってくれただろうな、俺の恩人なんだ」
「それは無論ですわ。わざわざ敵国においでになった使者ですもの」

 薄暗い閉鎖空間で2人きり、という格好のシチュエーションにおいて第三者の名を出してしまうルークに、思わずナタリアはふて腐れてしまう。もっとも、理由はそれだけでは無いのだが。

「……私、あまりあの方のことは好きになれませんわ。いつも薄笑いを浮かべていて、何を考えているのか分かりませんもの」

 昨夜、客室を訪れた時の彼を思い出しながら、ナタリアが言葉を口にした。
 ルークが消えてから戻ってくるまでのおおよそ3か月。そのほとんどの道中を共にしたと言う『死霊使い』に興味を持ち、父や大臣たちの目をかいくぐって会いに行った。
 彼女の目の前に現れたのはその二つ名からはほど遠いイメージを持つ、背の高い優男。穏やかな笑みを浮かべてはいたが、真紅の目は血の色を想像させて少女の背筋に悪寒を走らせた。
 キムラスカの民を血に染め、おぞましい技術を生み出した彼がルークと長らく共に旅をしていた。そのことでナタリアは、ルークが良からぬ影響を受けているのでは無いかと危惧している。

「そうかなあ? あいつ、結構分かりやすいぞ」

 だが、その心配はルークには届かない。何度か窮地を救われたこともあり、赤毛の少年にしてみればジェイドはいけ好かない部分はあれど信頼の置ける友人と言って良い。ルークの目の前では表情もそれなりに豊かで、ナタリアの言うように何を考えているか分からないなどと言うことは旅を続けるうちに無くなっていった。

「おまけに何ですの、封印術など何でもないように涼しい顔をなさって。まるでキムラスカの譜業などご自身の足元にも及ばないのだと嘲笑われているようで、私とっても不愉快ですわ」

 ナタリアの口から吹き出した不満は、止まるところを知らない。が、その中に現れた単語にルークがあれ、と目を丸くした。
 封印術が掛けられたのは、確か。

「そりゃあ、掛かってからだいぶ経ってるしなあ。それなりに解除進んでいるんじゃねえか?」
「そんなはずありませんわ。譜業は昨夜起動させただけですもの」

 ルークが目の前で見た光景を思い出しながら口にすると、ナタリアが首を横に振る。そこでルークは、自分の記憶との食い違いにやっと気がついた。

「……昨夜?」
「違いますの?」

 ぽかん、という擬音が一番似合うであろう空気がその場を支配する。互いに相手の言葉が指し示す物が自分の言っている物と異なるらしい、と言うことが薄々理解出来た。


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