紅瞳の秘預言18 交錯

 先に、確認の言葉を発したのはルーク。

「……ジェイドが封印術掛けられたのは、タルタロスで六神将に襲撃されたときだぞ。その話じゃないのか?」
「え?」

 少年の言っている話を、ナタリアは知らなかった。ジェイドから聞いた旅の話に、その話題は登場しなかったのである。
 厳密に言えば、六神将のタルタロス襲撃は聞いていた。しかし、その中にラルゴが封印術を使用した、という話は無かった。恐らくはジェイドが、話す必要が無いとして省略してしまったのだろう。

「私が言っておりますのは別の話ですわ。王城内でご無体を為されては困りますから、譜術の発動が出来ないよう組み上げられた譜業の枷を取り付けさせていただきましたの。大佐ご本人にも了解は取ったそうですから、問題は無いはずですわ」
「…………ちょっと待て」

 一方、ナタリアが口にした話題をルークは知らない。
 ジェイドが枷を掛けられたのは客間に軟禁された後であり、その枷を解かれたのはルークが謁見の間を訪れるより前。キムラスカはルークに己の裏の顔を見せぬよう、周到に準備を行い目的を完遂した。王女ナタリアが『死霊使い』の元を訪れたことは、彼らにとっては計算外の事態だったのである。

「じゃあ何か、ゆうべジェイドは封印術を二重に掛けられてたってことか?」
「ご自身に掛けられたものを解除出来ていない限り、そうなりますわね」

 ナタリアの返事を聞いてほんの少し、ルークの顔から血の気が引いた。
 自分は封印術を掛けられたことは無いから、実際にどれだけの負担が生じるのかは分からない。けれど、ジェイドの話に少しだけその話題は出てきたから、きっとナタリアよりは知っている。

「一度掛けられただけでも、全身に重り付けて水中散歩してる感じなんだって言ってたぞ。譜術封じられるだけじゃなくて、体力も落ちるんだぞ。そんなのが二重って、まともに身動き出来ないかもしれねえじゃねえか」

 少女の顔を睨み付けて喚きながら、ルークは青の軍服に飛び散った赤い血の色を思い出していた。
 あの時ジェイドが左の肩を怪我したのは、封印術の影響で体力が落ちていたからだろう。そうでなければ、彼は槍で剣を確実に受け止めきって、跳ね返していたはずだ。いや、それ以前にルークが自分で対抗していれば。

「昨晩お会いしたときには、大佐は何もおっしゃいませんでしたわ。ごく普通に会話していましたし、ですからこちらも……」
「言うわけねえよ。あいつ、しんどいとか痛いとか絶対言わねえもん」

 ルークに睨み付けられて、ナタリアは思わず口を閉ざした。キムラスカ王族の証の1つである碧の瞳が、僅かに潤んでいるのが分かったから。

「ナタリア。ジェイドに謝れ」
「なっ」

 だが、続くその言葉には違う意味で絶句させられる。自分は何も悪いことはしていない、そのはずなのに何故謝罪を要求されなければならないのか。
 それも、敵国を統べる皇帝の懐刀たる男に。

「その必要はありませんよ、ルーク」

 そして、ルーク自身も言葉を失った。
 慌てたように2人が振り返ると、壁に寄りかかるようにしてジェイドが立っていた。譜業灯と焚き火に頼るしかない薄闇の中では、彼の表情をはっきりと確認することは出来ない。けれどルークには何故か、ジェイドの表情が分かるような気がした。
 いつものように、泣きそうな目をしながらも浮かべている、静かな笑み。

「キムラスカの方々が『死霊使い』を恐れるのは当然のことです。私に封印術を仕掛けたのも、バチカルの安全を第一に考えたからこそなのですから」

 壁際に置いてある道具袋の口を広げ、中身を探りながらジェイドは言う。しばらくして目的の物を見つけたのか、手を抜き取ると元通りに袋は閉じられた。

「ですからここは怒るのでは無く、良くぞ『死霊使い』の能力を封じた、と賞賛すべきなんですよ」

 手の中の物を明かりで確認して、ジェイドは頷いた。それから2人に視線を戻し、意図的にか明るい声を張り上げる。

「もう少し待っていてくださいね。出口では無いかと思われる個所が見つかりましたので、確認してきます」
「あ……うん。気をつけろよ」
「はい。貴方がたもお気を付けて」

 背を向けて去っていくジェイド。その背中に、当たり前のように他人を気遣う言葉を掛けるルーク。
 ナタリアは、赤い髪の幼馴染みに不思議そうな視線を向けた。彼女の良く知っているルークは、記憶を失って以降わがまま放題に育った。屋敷から外へ出られないと言うこともあったのだろうが、それを差し引いても傲慢な性格になってしまったという印象がある。
 記憶を失う前のルークは、そうでは無かった。年齢に似合わぬ達観した思考を持ち、早くから国の未来を考え必要な学問を修めようとしていた。そうして、同じく国の未来に思いを馳せるナタリアの手を、優しく握りしめてくれた。
 今のルークは、そのどちらでも無いような印象をナタリアに抱かせた。そんな風に彼を変えたのが、あの軍人だとするならば。

「……ルーク。貴方、カーティス大佐に何を吹き込まれましたの?」

 もしかしてルークは、マルクトの思うように思考を操作されているかも知れない。そう、ナタリアは疑った。

「なっ……」
「しばらくの間共に旅をして、感情移入するのは分かりますわ。ですが貴方はキムラスカの王位継承者、彼は敵国マルクトの『死霊使い』ですのよ?」

 絶句するルークに向かい、ナタリアは言葉を続けた。だが、マルクトを『敵』と呼ぶことについてナタリアを責めるわけにはいかないだろう。彼女の思考は、キムラスカ上層部にはありがちなものなのだから。
 惑星オールドラントには、現在『国』と称される勢力はキムラスカ・ランバルディア王国とマルクト帝国の2つしか存在しない。その2つは譜石や領土を巡り長きに渡って戦争を続け、今も休戦状態のままだ。譜業都市シェリダン及びベルケントを領内に持ち、どちらかと言えば優勢に立ってはいるキムラスカではあるが、それまで研究者であった『死霊使い』ジェイド・カーティスの戦線への登場が彼らの恐怖心を煽った。彼の初陣においてキムラスカの高名な将軍ニコラス・スティールが負傷し、引退を余儀なくされたことは記憶に新しい。
 ローレライ教団は中立勢力だが、現在有力である大詠師派はキムラスカに肩入れをしている。これは秘預言に記されている未来が『マルクトが滅亡しキムラスカが繁栄する』未来であるからだが、ナタリアはそのことを知らない。だが、この世界で絶大な勢力を持っているローレライ教団がキムラスカと懇意であると言う事実が、彼女をしてマルクトを敵視する背景となってしまっていた。帝国の内側を知らぬ者から見れば、彼らはユリアの預言に従うことを良しとせぬ愚か者であるのだから。
 だが、ルークは記憶を失って以降の7年間、そう言った『外の世界』をほとんど知らずに育てられた。ある意味純粋とも言えるこの少年が、もしマルクトの思想に染められたとするならば。
 それはナタリアには、純粋に悲しいことでしか無いのだ。一度記憶を失い、築いた関係を最初からやり直さなければならなくなった幼馴染みの婚約者。そのルークを、今度はマルクトに奪われるようで。

「だから何だよ。……ひょっとしてお前、俺がマルクト側に付くように洗脳されたとか変なこと言うんじゃねえだろうな、ナタリア?」
「そ、そこまでは言っていませんわ!」

 噛みつくようにルークがにじり寄ってくる。怒りの籠もった碧の目で睨み付けられて、ナタリアは思わず声を荒げた。が、ルークがぎりと歯を噛みしめ僅かに顔を俯けたのに気づいて口を閉ざす。

「そうかよ? ジェイド、泣きそうな顔してたじゃねえか。お前、昨夜あいつに何言ったんだよ?」
「泣きそう、ですの?」
「見て分かんねえのかよ」

 ルークの指摘を、ナタリアは数秒考えてみる。が、ジェイドとの付き合いが短すぎる彼女には、その表情の変化は分からない。しかめ面になって考え込んでしまった彼女をルークはしばらく見ていたが、やがてぶすっとした顔のまま腰を上げた。

「そりゃお前、ジェイドの考えてること分かんないはずだよな。あんなのも分かんねーんだもんよ」

 ぽんぽんと服の裾を払うと、ルークは長い髪を何と無く手でまとめながらジェイドの消えた方向へと歩き始める。慌てて腰を浮かせながら、ナタリアが名を呼んだ。

「あ、ルーク! どちらへ行かれるのですか?」
「ガイとジェイドを手伝ってくる。お前そこ動くんじゃねえぞ、はぐれたら危ないからな」

 振り返りもせず、少年は言葉を残すとそのまま歩み去って行った。

 ぽつんと取り残されたナタリアは、焚き火の前に座り直すと肩をすくめた。

「もう……私はルークのことを心配しているだけですのに」

 太腿に肘を突き、膨れた頬を手で支える。そうしてナタリアは、はぁと小さく溜息をついた。

「みゅ〜。ナタリアさん、ご主人様のこと心配ですの?」
「え?」

 愛らしい声に自身の名を呼ばれ、ナタリアは顔を上げた。焚き火にちょこちょこと走り寄ってくる、空色のチーグルが視界に入る。目の前で止まった小さな毛玉は、大きな瞳をナタリアに向けてみゅう、と一声鳴いた。

「あら、貴方は……ミュウ、でしたわね」
「はいですの」

 少女の足元にちょこんと座り込んだミュウは、にこにこと無邪気に笑いながらナタリアの顔を見上げた。彼とルークとの出会いは、ジェイドから聞かされた話に出てきていたことをナタリアは思い出す。


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