紅瞳の秘預言18 交錯

 そう言えば、その出会いの後に起きた事件が彼をルークに同行させることとなったのだったか。

「カーティス大佐からお話は伺いましたけれど、あのルークがライガの女王を説得なさったとか」
「はいですの! そのおかげで、ボクたちチーグルは助かりましたですの! だからご主人様は、チーグルの恩人ですの!」
「信じられませんけれど、貴方がそうおっしゃるのならそうなのでしょうね。ルークにとっては良い経験だったのですわ」

 正直なところ、あのルークが他人から請われ魔物相手の懐柔工作を成功させる、などと言うある意味途方も無い話をナタリアは半信半疑で聞いていた。だが、少なくとも聖獣チーグルがこうやってルークに同行しているということは事実であり、そうなると発端である懐柔工作も現実にあったことなのだとナタリアは納得せざるを得なかった。

「ですの。でも、ジェイドさんもライガさんのこと、説得してくれましたの。だからボクにとっては、ジェイドさんも恩人ですの」

 だが、このチーグルもにこにこと笑いながらジェイドの話題を口にした。ナタリアは何度か目を瞬かせ、ミュウの身体を両手で抱き上げた。

「……私は、カーティス大佐のことを良く知りません。ですからどうしても、彼に対しては否定的にならざるを得ないのですわ」

 小さく溜息をついて、青いぬいぐるみのような聖獣を胸元に抱き寄せる。ゆっくり撫でてやると、ミュウはとても気持ち良さそうに一声鳴いた。

「ジェイドさんは優しいですの。いつもにこにこ笑ってますの。ご主人様のこと、とってもとっても大事にしてくれてますの。ボクのことも、ふわふわ撫でてくれますの」

 大きな耳を左右に揺するように動かしながらミュウは、自分の言葉でナタリアに語りかけた。彼はまだ幼くて難しいことは分からないけれど、だからこそその言葉は少女に分かりやすく響く。

「ジェイドさん、ご主人様を守って肩にお怪我をしたですの。ご主人様を庇って、魔物にさらわれたですの」
「……それは、伺いましたわ。ルークを守っていただいて、有り難いとは思っていますのよ」

 自身の落ち度だと、ジェイドは語っていた。もう少し周囲に意識を配っていればルークが神託の盾に剣を振り下ろされることも、フレスベルグの爪に狙われることも無かったのだと。

「ほんとはまだ、お怪我が痛いと思いますの。でもジェイドさん、痛いって言ったらご主人様が悲しむからきっと我慢してますの」
「そうなのですか?」
「はいですの。ジェイドさん、お怪我した方の手、あまり動かさないですの。きっと、痛いからですの」

 それまで忙しく動き回っていた耳が、へたりと力を失ったように角度を下げる。しゅんとしょげてしまったミュウの顔を見て、ナタリアはふと思い出した。
 会話の最中、ジェイドは枷を掛けられていた左の腕をかき抱くように右手で掴んでいた。あれは枷の重さを気にしての行動だと思っていたのだが……傷がまだ痛むのならば、あれは痛みに耐える行動だったのか。
 ナタリアはじっと自分を見上げたままのミュウに視線を戻す。チーグルの仔はまっすぐに彼女を見つめ、小さな手を精一杯に大きく広げた。それは恐らく、彼なりの感情表現。

「ご主人様はきっと、ナタリアさんにもジェイドさんのこと好きになって欲しいですの。ボクもそう思うですの。だから、喧嘩はやめてくださいですの」
「……そう、そうですわね……喧嘩は、いけないですわよね……」

 小さく、けれどしっかりとナタリアは頷いた。そもそも自分たちの旅路は、対立していた2つの国家が和平を結ぶための重要な第一歩である。キムラスカの代表である自分が、マルクトの代表たるジェイドを敵視すべきでは無い。もう1人のキムラスカ代表となったルークは、あれだけ上手く関係を築けているでは無いか。

「ですの」

 そういった打算も何も知らないミュウの笑顔が、ナタリアの心に強い印象を刻み込んだ。

「ミュウ〜、どこなの〜?」

 遠くから聞こえてきたのは、自分たちに同行している音律士の声だった。表情が硬く無愛想なので、ナタリアは彼女をあまり好きにはなれそうも無いと感じている。
 が、ミュウにとってはいつも構ってくれる優しい相手。大喜びで、返事の声を張り上げた。

「みゅみゅ! ティアさん、こっちですの〜!」

 幼い声に導かれるように、ティアがひょこっと顔を出した。どこか青ざめているようにも見えるのは、光源がふらふらと揺れている焚き火だけのせいだろうか。

「ミュウ、1人にしないでちょうだい……っと、ナタリア王女とご一緒でしたのね」

 王女の存在に気づき、ティアは不安げだった表情を即座に引き締めた。足音を立てないように歩み寄ってくると、先ほどまでルークが座っていた辺りに腰を下ろす。

「ええ。ミュウが先ほどこちらに来てくださいまして」
「みゅうう。ご主人様とジェイドさんのお話を、ナタリアさんとしてたですの」

 作り笑顔のナタリアと、本心から出た笑顔のミュウ。2人の言葉を聞き比べて、ティアは「そうなの」と頷いた。引きつっていた口元を指先で修正しようとするナタリアには、視線もくれない。

「貴方のことだから、みんな仲良くして欲しいですのーって言ってたのかしら」
「みゅみゅ! ティアさん、どうして分かったですの?」
「だって、ミュウはみんなのこと大好きだもの」
「はいですの!」

 少女とチーグルの会話は、ナタリアに触れないまま進む。少し癖のある短い髪を揺らしてナタリアは、不機嫌に顔を歪めかけた。けれど、ミュウが自分に目を向けていることに気づき慌てて表情を引き戻す。

「だからナタリアさんにも、ジェイドさんのこと好きになって欲しいですの。ボク、そうお願いしたですの」
「まあ」

 そこで、ミュウに一直線だったティアの視線もナタリアに向けられた。年が近いとはいえ、それぞれの育ってきた環境から人付き合いが上手いとは言えない彼女たちは、チーグルの子どもを介することでやっと会話を交わすことになる。

「ナタリア王女、そんなお話なさってたんですか?」
「……ナタリアで構いませんわ、ティア。ええ、ミュウに説得されてしまいましたの」

 これからアクゼリュスまで、長く旅をすることになる。王女と言う地位は、旅路では何の役にも立たない。そう思いナタリアは、ティアに名で呼ぶことを求めた。ティアが小さく頷いたのは、了承の返答だろう。

「だってだって、ナタリアさん、ジェイドさんのこと好きじゃないみたいに言うですのー。ジェイドさん優しいですのー、ボク大好きですのー」

 ナタリアの膝の上で、じたじたとだだをこねるミュウ。ティアはクスリと微笑みを浮かべると、指先で青い頭を軽く撫でてやった。

「そうね、大佐は優しい人よね。でも、知らない人には怖い人なのよ?」
「はいですの。でもでも、それでご主人様とナタリアさんが喧嘩するのは、ボクいやですの」

 ぷう、とミュウが頬を膨らませる。こういった感情表現は人間でもチーグルでも同じなのだ、と変なところでティアは感心した。それから、ナタリアに視線を戻して問う。

「ルークと喧嘩したんですか? ナタリアおう……いえ、ナタリア」
「え、ええ、まあ……その、ルークがあまりにカーティス大佐に肩入れするものですから……つい」

 率直な問いに、ついもごもごと口ごもってしまったナタリア。僅かに首を傾げてからティアは、ふわりと笑みを浮かべて言葉を紡ぐ。これはきっと、共に旅をしてきた仲間にしか分からないことだから。

「肩入れと言うか……あれは保護者に懐いた子ども、って感じだと思うんですが」
「保護者ですか?」
「はい」

 対象であるルーク、そしてジェイド自身にはさほど自覚は無いだろう。だが、2人の関係を外側から見ていたティアにしてみれば、それはごく自然なものだった。導師がその関係性を主張したのも理解出来る。

「旅の途中でよくイオン様がおっしゃっておられたんですが、大佐はルークにとって父親のような存在なのだそうです。実際、ルークにいろいろな事を教えておられましたし」
「そうですの。ジェイドさん、ご主人様のパパさんですの」

 言葉の意味が分かっているのかどうかはともかく、ミュウもティアの言葉に乗ってくるくると踊る。きょとんとしていたナタリアは、ふと眉をひそめた。まるでキムラスカの教育制度を馬鹿にされているように感じたのだろうか。

「いろいろな事、ですか? きちんと教育は受けさせていたはずなんですけれど」
「ルーク、お金を出してものを買うことを知らなかったんですよ?」
「……そ、そうらしいですけれど」

 だが、ティアの台詞にナタリアは言葉を詰まらせた。
 いくら王族貴族とは言え、そんな当たり前の常識をルークが知らなかったなどとは思えない。だがこれに関してはジェイドの話にも出てきたことであり、今またティアの口から同じことを聞かされたと言うことはそれが事実なのだと認めるしか無かった。

「大佐がおっしゃるには、ファブレのお屋敷の中だけで生活するには不要な知識だったので教えられなかったのではないか、と」
「そ、そうですの? ……けれど、それはおかしいですわ。常識として」


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