紅瞳の秘預言18 交錯

「ええ。だけど、実際に知りませんでしたから。教える機会が無かった、と言われればそれまでなんですけど……おかげで、エンゲーブで食料泥棒に間違われて大変だったんですよ。もっとも、それがきっかけでミュウに会えたんですけれど」
「みゅみゅ、そうですのー」

 ティアが肩をすくめながら、どこか悪戯っ子のような笑顔で言う。楽しそうに鳴くチーグルにナタリアもつられて笑みを浮かべ、それからやっと自分が笑っていることに気づいた。

「この工場に入るときにも、何故工場跡が抜け道になるのか分かりやすく説明しましたよね。旅の間、大佐はあんな風にいろんなことをルークに教えていたんです。ルークもそれは楽しそうに学んでいました」
「まあ……勉強、あまり好きではありませんのに」
「机に向かうことを強制されるのが嫌いだったんでしょうね、きっと。興味のあることはルーク、自分から覚えようとしていましたし」

 ティアが教えてくれるルークの挙動を、ナタリアは脳裏に想像する。それはきっと、彼にとっては楽しかったことだろう。
 屋敷の中に閉じこめられてるよりも、本の中の知識だけを自分に積み重ねるよりも、ずっと。

 ぴくり、と袋状の大きな耳が動いた。ナタリアの膝を飛び出し、ミュウが短い足で駆け寄ったのは戻ってきたルークの足元だった。
 少年の後ろからガイ、そして最後にジェイドが姿を見せた。これで全員が、この場に戻ってきたことになる。

「ご主人様ー、ガイさん、ジェイドさん、お帰りなさいですのー」
「うっせブタザル。……ただいま」

 蔑称とも思える呼び名でミュウを呼びながら、ルークはその場にしゃがんで小さな頭を乱暴に撫でてやった。すぐに少年の肩へと駆け上ったミュウを手で包み込むようにしてルークは立ち上がる。

「ああ、ただいま。ティアもいたんだ」
「ええ、少しナタリアと話を」

 ガイとティアは、距離を保ちながらも短く言葉を交わしただけに留まる。そうして、待っていた少女たちに報告をしたのはやはり、ジェイドであった。

「恐らく出口であろう方向は分かりました。ですがもう少し時間が掛かりますので、ここで仮眠を取ることにしたいのですが」

 提案の形を取った指示に、素早くティアが頷いた。そうして、並んで座っている少女を振り返る。

「分かりました。外に出た時点で魔物と対峙する可能性もありますし。良いわよね? ナタリア」
「え、ええ。そうですわね」

 自分がそう呼べと言ったにもかかわらず、普通に名を呼ばれてナタリアは思わず目を瞬かせていた。家族とルーク以外にそう呼ばれた経験は、ほとんど無いのだから。


 交代で短いながらも睡眠を取り、一行はガイとジェイドの先導でやっと出口へと辿り着いた。
 折りたたみのはしごを下ろし、1人ずつ地面へと降り立つ。しとしとと降り始めた雨で、周囲は幾分霞んで見えた。
 殺風景な広場の中で、まず目を引いたのは青い、鳥の姿をした魔物。

「──え?」
「フレスベルグ?」

 ルークとガイが目を見張る。ティアが口元を押さえ、胸に抱いているミュウと視線を交わした。
 と、魔物に守られるように固まっていた一団の中から声が上がった。黒髪をツーテールに結わえた、導師守護役の少女がこちらに向かって大きく手を振っている。

「あ! ほんとにルーク様たちだ! おーい!」
「ルーク! ジェイドも、皆さんも!」

 彼女ともう1人の少女に挟まれるように立っている緑の髪の少年が、満面の笑みを浮かべ名を呼ばわる。ピンク色の髪の少女も振り返り、朱赤の髪を認めてふわりと微笑んだ。

「あ、ルーク、ほんとに来た!」
「アニス……イオン様も」
「アリエッタ……ですか。また、どういう訳ですかねえ……」

 ティアと、その横に並んだジェイドが呆然と彼らの名を呼んだ。初めてこの時間を訪れた彼らはともかく、『記憶』を持つジェイドですらアリエッタの存在は予想外だったのだ。もっとも、恐らくはディストの差し金だろうとジェイドはすぐに気づいたけれど。
 そうして、その場にはもう1人青年がいた。
 黒い詠師服と、その背に流れる真紅の髪。

「あ……アッシュ! てめー!」
「あれは……」

 雨にけぶる光景の中でも、濡れたせいで血に染まったようにも見える髪ははっきりと浮かび上がっていた。
 ルークに名を呼ばれ振り返ったその姿は、ナタリアの遠い記憶を呼び起こす。

 幼馴染みと同じ顔立ち。
 深みのある紅の、癖の無い長い髪。
 雨に濡れ、普段は撫でつけている前髪が額を隠すように流れていて。

「……ルーク?」
「ナタリア……どうして」

 微かに呟かれたはずのその名に、黒衣の青年ははっきりと反応した。


PREV BACK NEXT