紅瞳の秘預言19 真実

 雨は激しくなることも止むことも無く、しとしとと降り続けている。そのせいかくすんだ色の風景の中、真紅と黒を纏った青年はまるで浮かび上がるように佇んでいた。
 同じように風景から浮き上がっているのは、朱赤と白を纏った少年。同じ造作の顔を持つ彼は、鏡のように向き合っているその顔をじっと見つめている。

「……アッシュ、聞きたいことがある。そこ動くな!」

 一度深呼吸をして、ルークは青年の名を呼びながら足を踏み出した。早足で、まっすぐアッシュの目の前へと突き進む。剣の柄へ手を伸ばすことは無い。敵では無いのだと、どこかで理解しているのだろう。

「お、おいルーク」
「みゅみゅみゅ〜っ」

 思わず後を追いかけようとしたガイを止めるように、青い腕が伸ばされた。くすんだ金髪と青い軍服が、ガイがルークの元へ向かうことを拒絶している。結果、少年を追うことが出来たのは小さな身体で懸命に駆ける空色のチーグルだけだった。

「旦那!」

 眉間にしわを寄せ、腕を押しのけようとしながらガイが怒鳴りつけた。だが青い腕はその細さに似合わず、ほとんど動くことは無い。普段から軍服を纏っていながらこんな時だけ、ジェイド・カーティスが軍人であることを思い知らされる。
 肩越しに、赤い視線がガイを見つめる。彼の言いたいことが分かっているかのように、感情の無い顔でジェイドはぽつりと言葉を落とした。

「いつかは分かることです。早いか、遅いかの違いだけだ」
「そ、そりゃそうだけど……」

 やはり、ガイの意向は読まれていた。口ごもってしまった青年に向き直ることの無いまま、ジェイドの言葉は淡々と続けられる。

「早い方が良いんです。あまり早くてもあの子には飲み込めなかったと思いますが……遅いと、取り返しの付かないことになる」

 ガイからは、微かに伺うことの出来る端正な横顔。雨に濡れた顔が一瞬泣いているようにも見えて、ガイははっとした。
 ルークが時々口にしていた、泣きそうな顔。
 赤毛の少年を守る、と言明するときに彼が見せると言うその表情。
 この軍人は、全てにおいて朱赤の髪の少年を守るためにあると言うのだろうか。

「……そう、なのか?」
「はい」

 小さく頷いたジェイドの視線は、赤毛の2人にまっすぐ注がれている。何の表情も浮かべていない赤い瞳は、それ故に彼が心の奥深くに閉じこめた感情を色濃く映し出していた。

「ガイ? どうなさったんですの?」
「大佐、何のお話ですか?」

 ナタリアとティアが、ガイに気を遣ってか僅かに距離を取りつつも訝しげな表情を浮かべた。ガイはジェイドと同じく振り返りもせず、じっと赤い髪を見つめながら言葉を紡ぐ。

「悪い。後でちゃんと話す……旦那もそのつもりだろ」
「無論。この問題の責任は、私にありますから」

 僅かに長い髪が揺れる。そのせいか、背後に立つガイたちからはジェイドの表情は全く見えなくなった。
 だから、彼らは気づかなかった。
 ジェイドが一度強く唇を噛んで、その後表情を凍らせたことを。

「ルーク様?」

 大きな目を丸く見開いたアニスの目前、アッシュからは5メートルほどの間を置いてルークの足が止まった。彼女と並んで立っているアリエッタは、2人を何度か見比べた後そっと眼を伏せる。そしてイオンは、軽く唇を噛みしめながら眼を逸らすこと無く、彼らに視線を注いでいた。

「何を聞きたい」

 アッシュが、身体ごとルークに向き直った。以前に会った時よりも、心なしかその表情は和らいでいるようにも見える。だがそうなると、余計にこの2人が酷似した容姿を持っていることがよく分かる。
 同じ顔が、自身の前にある。ルークは胸に手を当てもう一度深呼吸をしてから、ゆっくりその意味を尋ねた。

「ほんとは怖いけど……はっきりさせておきたい。俺とお前、どっちがオリジナルだ?」
「死霊使いから話を聞いたのか」

 形の良い眉が、ぴくりと動いた。何の、とは問い返さず小さく頷いたルークに、アッシュは微かに溜息をつく。そして、答えを口にした。

「俺が、オリジナルだ」
「……そっか。やっぱり」

 これまで知り得た事実から、覚悟はしていたのだろう。それでもルークは泣きそうに眼を見開いて、力なく笑う。左手で顔を覆い、そのまま前髪をくしゃりと掴んだ。

「……あはは……そっか、はは……」
「みゅ……ご主人様?」

 ずっと少年の足元にまとわりついていたミュウが、そっと主の顔を見上げる。と、ずり落ちるようにルークは地面にへたり込んだ。長い前髪が、俯いた少年の顔を覆い隠す。

「ルーク!」

 少年の異状に気づき、ティアがルークに駆け寄る。腕が避けられたことで彼女の背を追うガイを視線だけで見送りながら、アッシュは足音を立てない歩き方で1人佇むジェイドの元に歩み寄った。以前何度かまみえた時は薄い笑みを浮かべていた顔が、今は何の感情も湛えていない。軽く眉をひそめ、それには気づかないふりをして短く問うた。

「お前は行かないのか」
「私にそんな権利があるとでも?」

 僅かに顔を伏せ、ジェイドが答える。その言葉にも感情を読み取ることは出来ず、青年はつまらなそうに碧の瞳を細めた。
 軍人の背後で奇妙な表情を浮かべているナタリアと一瞬視線が合ったが、アッシュは慌てたように視線を逸らす。懐かしい彼女の存在を意図的に無視し、言葉を続けた。

「ふん。ディストの友人なら、もう少し面の皮が厚いかと思ったが」
「比較対象を間違えていますよ、アッシュ。私は……あれと違って、何も感じないだけですから」
「良く言う」

 吐き捨てるようにアッシュは言葉を叩きつける。それでも全く反応を見せないジェイドに、どこかいらつきを覚えながら。
 もしジェイドが己の言う通り『何も感じない』のであれば、レプリカの正体が割れた時点でそれをルークに突きつけているだろう。そうしなかったのは『ルークを気遣う』と言う心、更に言えば『ルークに負の感情が生じることを恐れる』と言う感情を彼が持っていたからに他ならない。
 無論、ジェイド・カーティスも1人の人間であるからには感情を持っていて然るべきだろう。特定個人への偏った感情移入も、当然ながらあり得ることだ。対象が自身のレプリカだと言うのがアッシュにとっては多少引っかかるが、他人の感情をとやかく言う筋合いは無い。
 ならば、何故彼は今己の感情を閉ざしているのか。

 まあ、俺の知ったこっちゃ無いがな。ディストか、マルクトの皇帝に任せるべきだろう。

 見るとも無しに『死霊使い』を観察しながら、アッシュは心の内で呟いた。ただ、ディストが『ジェイドを守りたい』と言っていた言葉の意味を、何となくだが把握出来たような気がする。


「死霊使い。ディストから伝言を預かっている」

 名を呼ばれ、ジェイドは顔を上げた。アッシュの碧の眼は、自分を睨み付けるようにまっすぐ見つめている。だが軽く前髪を掻き上げたその表情は、ジェイドが『覚えて』いるこの時よりはずっと柔らかい。彼の解放をディストに託したことが、功を奏したのだろうか。

「セフィロトをもう1つ落とさないと、アルバート式封咒は解除できない……そうだ。これで分かるのか?」
「ありがとうございます。把握しました」

 腑に落ちない表情で問うたアッシュに対し、ジェイドは唇の端を引いて頷く。ディストの言わんとしているところは、その言葉だけで十分に理解出来た。
 セフィロトの機能を操作するために解かねばならない封咒の1つ、アルバート式封咒。それらを本来の方法で解除することは既に叶わない、と言うことだ。そうして強引に解除するための方法とはつまり、今1つのセフィロトの破壊。
 つまり、アクゼリュスを意図的に崩壊させろとディストは示唆しているのだ。
 理論的には既に崩壊しているホド、プラネットストームの基点となるアブソーブ・ラジエイト両ゲートを除く7のセフィロトのいずれを破壊しても構わないだろう。
 だが現在自分たちはアクゼリュスを目的地として旅路を進めており、密かに野望を巡らせているヴァンもまたアクゼリュスに向かっている。ヴァンや大詠師モースの目論見は預言の通りに鉱山の街を崩壊させることにあり、いずれ道を違えるとは言え現時点でその目的は一致している。
 つまり、破壊するべきセフィロトをアクゼリュスに定めれば、彼らが妨害してくることは無い。
 無論、ヴァンやモースはアクゼリュスの崩壊を悲劇と成すことでキムラスカ・マルクト間に戦争を起こさせるつもりであり、その生け贄としてヴァンが同行している先遣隊や街に残った一般住民を巻き込もうとするはずだ。実際、『記憶』の世界では先遣隊は先回りしていた神託の盾騎士団に全滅させられ、住民たちは脱出が間に合わず崩落に巻き込まれた。この世界においてはジェイドが前もってピオニーに状況を伝えているため、彼が上手く手はずを整えているはずなのだが。
 ジェイドとしては、出来れば神託の盾以外の被害者を0に抑えたい。そうで無ければ、きっとルークが心に傷を負う。あの子で無ければ成し得ない、セフィロトの破壊を手がけたが故に。
 魔界の海の上で自分が壊した子どもの、泣きそうな笑顔が蘇る。もう二度と、あの表情を見たくは無い。
 そうして今目の前にいる青年の、泣きたくとも泣けないあの表情も。


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