紅瞳の秘預言19 真実

「アッシュ。貴方も一緒に来ませんか?」

 だからなのだろうか、その言葉はごく当たり前に彼の口を突いて出た。
 どうやら既にヴァンの影響からは逃れているらしいアッシュの助力があれば、アクゼリュス以降のセフィロト解放もスムーズに進むはずだ。それに、先ほどの様子からすれば己のレプリカであるルークに対する嫌悪感も『記憶』の時より薄いようだから……きっと、2人は仲良くやって行けるだろう。

「いや、まだ無理だな」

 だが、ジェイドの誘いにアッシュは首を横に振った。それでもその顔に浮かべた微かな笑みは柔らかく、拒否がルークとその同行者たちへの嫌悪から出たもので無いことは一目で分かる。

「今俺が同行したら、他の六神将に筒抜けだ。部下は大概ヴァンの息が掛かってるし、シンクが俺の監視役らしくてな。ちと姿を消してもすぐに探し出しやがる」
「なるほど」

 青年の告げた理由に、ジェイドも納得して頷く。確かに、今の時点ではアッシュへの監視はまだ厳しいだろう。ヴァンの側にしてみれば、アッシュのアクゼリュス行きは意外とも思える動きなのだろう。しかし、リグレットが部下を率い出現した『記憶』を思い返すならば、アッシュはまだ独自行動は取りにくいだろう。

「では、次はアクゼリュスですね。あそこをどうにかすれば、貴方も動きやすくなります」

 『記憶』の中では、アクゼリュス崩落のどさくさに紛れてアッシュは独自の行動を開始した。
 アクゼリュスは、キムラスカとマルクトの国境地域に存在している。鉱山の街がキムラスカの王位継承者を巻き込んで消滅することで、それを望んでいたキムラスカも含め世界には少なからず混乱が起きた。
 ヴァンの野望を知ったアッシュはその隙を突き、神託の盾を離れ独自行動を始める。ジェイドたちとつかず離れずの行動を取りつつも世界を……ナタリアを救うために奔走した。もっとも、自身のレプリカであるルークとの仲はほとんど改善せず、その結果2人はそれぞれに生命を散らした。
 一度その過程を見てきたジェイドには、同じ道を歩む気は無い。
 変えられない未来の『預言』など、見ても意味は無い。

「そうだと良いが」
「アクゼリュスが崩壊すれば、グランツ謡将は己の計画を最優先に動き始めるはずです。あちらに残る六神将も、その動きに従うでしょう。ならば、貴方への監視の眼は緩くなる」

 神託の盾の内部事情を大して知りもしないはずなのにそう断言したジェイドに、アッシュは目を見張った。肩をすくめ、前髪を掻き上げると小さく溜息をつく。

「どこまで知ってるんだかな、てめえは」

 視線を合わせないまま独り言のように呟いた後、碧の視線は真紅の瞳にぴたりと合わせられた。そうして、一言だけ紡がれた言葉は、祈りにも近い願い。

「……ナタリアを頼む」
「ええ。貴方こそ、どうぞご無事で」

 優しい笑みを湛えた瞳が、同じ意味の願いを返す。アッシュは口を結んだまま頷くと、右手を挙げ軽く空へと手招きをした。と、1頭のグリフィンがふわりと舞い降りてくる。首元にちょこんと結んであるリボンが、それが野生の存在では無いことを示していた。

「アリエッタ、もうしばらくこいつは借りるぞ」

 その背に飛び乗ったアッシュが、ピンク色の髪の少女へと声を張り上げた。アリエッタは「うん」と頷いて、それから本来の年齢よりも幼げな笑顔になる。

「大事にしてね? アリエッタのお友達」
「……気をつける」

 苦笑を浮かべ、アッシュは魔物の首筋を軽く叩く。それが合図だったのかグリフィンは翼を広げ、空へと飛び立った。

 アッシュの姿が雲の合間に消えたことを確認して、ジェイドはイオンたちへと歩み寄った。アリエッタとアニスを従え、ライガとフレスベルグに背後を守られながらイオンはまっすぐにジェイドを見つめている。

「何故、イオン様はこちらに?」

 『記憶』と違い、漆黒の翼に拉致された訳では無い。それなのに同じ場所でまみえたイオンに、純粋に疑問をぶつける。
 イオンはジェイドの顔を見上げ、一瞬眉をひそめる。だが、胸元できゅっと手を握ると口を開いた。

「僕とアニスはダアトに戻るところだったんですが、途中でリグレットの部隊にさらわれそうになりました。そこへアリエッタが来てくれて、助けてくれたんです」
「ここで待っていればルーク様たちに会えるからって、連れてきて貰ったんですぅ。そしたらアッシュまで来ちゃって、ディストに頼まれたことがあるからみんなが来るまで待ってるって」
「ディストに頼まれた、ですか」

 横でアニスもフォローの発言を入れる。友人の名を聞いて、ジェイドは微かに安堵の表情を浮かべた。まず間違いなく、銀髪の学者は自分の願いを叶えてくれたのだと分かったから。

「アリエッタも、イオン様にお手紙渡してって、ディストにお使い頼まれました。終わったら、アリエッタの好きにして、良いって」
「そうですか……貴方も」

 おずおずと言葉を紡ぐアリエッタにも、ジェイドは微笑む。ふわっとした髪をそっと撫でてやるとくぅんと喉を鳴らしたのは、親兄弟であるライガと同じ反応だろうか。
 アリエッタは手を引っ込めたジェイドに笑顔で視線を向けた後、イオンに向き直った。胸元に人形を抱きしめている手に、僅かに力がこもる。

「だから……アリエッタ、イオン様と一緒に行って、いいですか?」
「えー?」
「アニスには聞いてないもん」

 不満げな声を上げた現職の導師守護役にきっぱりと言い置いて、アリエッタはイオンをじっと見つめる。少年は少女の瞳を覗き込むように僅かながら首を傾げ、そうして微かな声で呟いた。

「……僕も、覚悟を決めるときが来たみたいですね」

 まっすぐ背筋を伸ばし、ダアトの民の前に立つときの凛とした表情になるとイオンには、幼いながらも威厳が満ちる。がつ、と杖の先端が地面を軽く削った。

「アリエッタ。導師として貴方への命を下します。アニスと共に、僕の護衛をしてください。……これなら、モースもヴァンも貴方を僕から引き離すことは出来ませんよね」

 最初の命令は厳しい表情で、その後の少年としての本音はふわっとした笑顔で、イオンはアリエッタに告げる。その意図を理解して、少女は満面の笑みを浮かべ大きく頷いた。

「はいっ! アリエッタ、イオン様の護衛を仰せつかります!」

 心底嬉しそうな笑顔のアリエッタに、自分を無視されたようで膨れていたアニスもがくっと肩を落としつつ大きく溜息をついた。彼女とて、本気でアリエッタを嫌っているわけでは無い。向こうから突っかかってくるから、反撃していただけのことだ。

「……んまあ、イオン様がそうおっしゃるならあたしとしても異論はありませぇん」
「ありがとうございます、アニス」

 かりかりと癖のある髪を掻く少女にも、イオンは笑顔を向ける。それから彼が視線を向けたのは、青い軍服を纏う軍人だった。

「イオン様はこの後、どうなさるおつもりで? ダアトに戻られますか」
「ええ。そのつもりだったんですが、今僕がダアトに帰るのはどうも得策では無いようです」

 彼の問いに一度頷いた後、少し考える表情になる。もっともイオンの意志は既に決まっていたようで、微かに笑みを浮かべてもう一度ジェイドの瞳を見つめると答えを返した。

「アクゼリュスに向かうのであれば、貴方がたに同行させてください。僕もピオニー陛下から依頼を受けた、和平の使者ですから」

 これで、グランツ謡将も喜ぶでしょうね。イオン様がご自分から向かわれるのですから。

 導師の言葉にゆっくりと頷きながら、ジェイドは今頃船に揺られているであろうヴァンの姿を思い出す。
 あの男の思う通りには、進ませない。

 背後から、気配が動かない。
 ジェイドはゆっくり振り返ると、空を見上げたまま立ち尽くしている王女の名を呼んだ。

「……ナタリア。どうなさいました?」
「ルーク……あれは、ルークでしたわ……え、でも、それならルークは……どういうことですの……?」

 戸惑いの表情を隠すこと無く、ナタリアは口元に手をやりながらぶつぶつと呟いている。2人のルークを同時に目撃したことが如何なる意味を持っているのか、理解しかねているのだろう。
 中指で眼鏡のブリッジを押し上げてジェイドは、答えを端的に示すことにした。足音を立てずに歩み寄り、彼女の肩に手を置いて意識を自分に向けさせる。

「……カーティス大佐。あれは……あのルークは……」
「さすがですね。彼が、貴方のルークです」
「……え?」

 貴方のルーク。
 その言葉の意味を図りかねたのか、ナタリアが驚いたように目を見張る。まっすぐに彼女の顔を見つめ、続く言葉を紡いだ。

「本当はもう、分かっておられるのでしょう? 理性では無く、心のどこかで」

 ナタリアが7年間、戻って来るのを待ち続けていた『ルーク』。
 離れていた年数だけ成長して彼は帰って来たのだと、真紅の瞳は彼女に告げた。


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