紅瞳の秘預言19 真実

「…………なあ、ジェイド」

 かすれた声が、救いを求めるように軍人の名を呼ぶ。振り向くと、ガイとティアに寄り添われてルークがぼんやりと立ちすくんでいた。足元でミュウが、大きな瞳を揺らめかせながら不安げに見上げている。

「はい、ルーク」

 まっすぐに向き直り、少年の名を呼び返した。他の誰でも無い、今目の前に立っている朱赤の焔の名。

「……俺、レプリカだってさ。アッシュがオリジナルなんだって」
「え?」
「ルーク……」

 唐突な告白に驚くティアと、眼を伏せ赤い髪を撫でてやるガイ。2人の表情を交互に見つめてからジェイドは、ゆっくりと頷いた。

「……はい」

 他に、答える言葉は見つからない。
 既にジェイドは、全てを知っているのだから。


「お久しぶりです、カンタビレ」

 上空から名を呼ばれ、隻眼の女性はそちらを振り仰いだ。空にぽっかりと浮かんでいる椅子を認めると、悪戯っぽい笑みをその強気そうな顔に浮かべる。

「おや、死神殿じゃないか。あたしに顔を見せるってことは、斬られる覚悟が出来たってことかい?」

 周囲の神託の盾兵士たちが次々に剣を構えるのを、第六師団長カンタビレは右手の一振りで収めさせる。代わりに自身の剣の柄に手を掛けると、ディストは椅子の上で大げさに肩をすくめて見せた。

「出来てない訳じゃ無いんですけどねぇ。やらなくちゃならないことが出来ちゃったんで、それが終わってからにして貰えます?」
「往生際が悪いねえ。恩師のレプリカに目処でも付いたのかい?」

 カンタビレが柄から手を離すと、音も無く椅子が降下してくる。視線の高さを彼女と合わせたディストが、彼には珍しく悪意の見えない笑みを浮かべた。

「それは諦めました。私の大事な人が望んでいませんから」
「おやおや。何だ、宗旨替えしたのか」
「ええ。元の鞘に戻ったとも言いますが」

 黒髪に黒い詠師服のカンタビレと、銀髪に黒と赤の派手な私服を纏うディスト。同じ神託の盾騎士団の師団長でありながらその有り様があまりに違う2人は、互いに腹の内を見せないように笑いながら視線を交わし合う。
 ふとディストが真剣な眼差しになり、ぽんと肘掛けを叩くと口を開いた。

「時間が惜しいので、さっさと本題に入ります。アクゼリュス、知ってますよね」
「セフィロトのある街だっけ。最近、障気が吹き出してるんだったね」

 カンタビレは頷いた。大詠師モースに疎まれ、神将と呼ばれることの無い彼女ではあるが、第六師団の規模自体は神託の盾内にある師団では最大のものだ。それを利用して彼女は、オールドラント全域の情報をこまめに収集させている。もっともモースから下される任務により大陸間移動なども当たり前にこなすため、情報集積は必要不可欠のものであるのだが。

「ええ。ピオニーも避難指示を出させてたらしいんですけどねえ、鉱山夫の方々仕事熱心な人ばかりで」
「馬鹿だねぇ。命あっての物種って言うじゃないか」

 くすりとこぼす笑みは、あくまで苦笑であって嘲笑では無い。アクゼリュスから産出される良質な鉱石が、オールドラントにおいて重要な役割を果たしていることは誰もが知る事実だ。その鉱山で働く彼らが、自身の仕事に誇りを持っていることを否定する気には、カンタビレはならない。

「つまり助けに行けってかい? かまやしないけど、形式的にでも上役からの命令は欲しいとこだねえ」

 事実を羅列するディストの言葉の中に含まれた依頼の意味を引きずり出し、カンタビレはにまりと不敵な表情になる。あくまでも自分とディストは同等の立場であり、かつ軍に所属する人間である。軍において上位からの命令は絶対のものであり、彼女は上司であるモースから冷遇されているとは言えその組織構造に異を唱えるつもりは無い。
 が、この研究にしか興味を持たぬ同僚は違う思考を持つ。足を組み、膝の上に肘を乗せ自身の手で顎を支えながら、面白そうにカンタビレの顔を覗き込んできた。

「モースもトリトハイムも、今忙しいんですよねー。何しろ導師イオンがダアトにいませんから」
「導師はマルクトが拉致ったって聞いたけど?」
「失礼な」

 モースからの伝令が確かそんなことを言っていたか。それをそのまま伝えると、ディストはむっと頬を膨らませる。研究の続行のために捨ててきた故郷ではあるが、それなりに愛着を持ち続けているのだろう。彼曰くの『金の貴公子』が愛し、護っている国であるから。

「私のジェイドがそんなことするわけありませんよ。導師はピオニーの依頼に応じて、ジェイドと一緒にキムラスカへ和平の親書を届けに行ったんですから。確か、もう届いてるはずですねえ」

 私の、と言う言葉を自身の名の前に付けられて、『死霊使い』当人はどう思っているのだろうとカンタビレは内心溜息をついた。だが、導師イオンが彼と共にキムラスカへ向かったと言う話には軽く目を見張る。おぞましい二つ名を持つ軍人が、国内において如何なる地位にあるか知らない彼女では無い。

「へえ、マルクトの皇帝が懐刀を差し出したのかい。本気なことは確かだね」
「ピオニーの切り札ですからね、ジェイドは」

 マルクトの皇帝を呼び捨てにするのは、この男にとっては当たり前のことだ。カンタビレは彼の過去に関しては大して詳しくもないが、マルクト皇帝とその懐刀たる『死霊使い』がこの男と共に少年時代を過ごしたと言う話は世界中を駆け巡っていれば嫌でも耳に入ってくる。
 しげしげとカンタビレが自身を見つめているのに気づき、ディストはくすりと肩を揺らすと再び口を開いた。さほど時間に余裕があるわけでは無い。手早く用件を済ませる必要がある。

「それは良いんですが、モースと主席総長の思惑に従うなら、導師もアクゼリュスに行かなくちゃならないんですよね、これが」
「導師が……ふうん、セフィロト絡みか」
「そう言うことです。と言うわけで、導師護衛と住民救援の名目で向かっちゃくれませんかね。陸路で行けば、ケセドニア辺りで鉢合わせ出来ると思います。詳細はここに」

 勘の鋭い彼女に感謝しつつ、懐から書面を取り出す。その中には、『レプリカ計画』の概要とセフィロトの構造について記してある。既にディストには、ヴァンの野望を必要以上に隠蔽しておく気はさらさら無かった。
 現実の進行は、既にジェイドの『記憶』とは食い違っている部分もあるはずだ。しかし、いずれにせよイオンにはアクゼリュスセフィロトのダアト式封咒を解くと言う重要な役目がある。如何なる手段を使ってでも、ヴァンや他の六神将たちがイオンを鉱山の街へと導くだろう。彼と同じくイオンレプリカであるシンクには、譜術使用の負担は大きすぎるから。

「あんたにしちゃ気が利くじゃないか。……で、六神将は何企んでるんだい」

 差し出された書面を懐にしまいつつ、カンタビレの隻眼がディストの眼を射抜く。それは普通の相手ならば背筋を凍らせるほどの鋭利な視線だが、今の彼には何の脅威にもならない。

「主席総長が音頭取ってますけども。言ってみれば世界を壊す、ですかねえ。でも、私はもう教団を離れる気満々ですよ。世界を壊したら、ジェイドも死んじゃいますから」
「あんたもほんと、『死霊使い』には執着してるねえ。長い片想いだこと」
「片想いで良いんですよ。少なくともジェイドは、私のことを友人として信頼してくれてます」

 にっこりと微笑み、女傑の揶揄に平然と言葉を返すディスト。カンタビレは驚いたように数度激しく瞬きをして、肩をすくめた。

「おや。一歩前進ってとこかね、良かったじゃないか」
「はは、ありがとうございます」

 冗談かと思ったが、ディストのこの態度はかなり本気のようだ。小さく溜息をついてカンタビレは、この話題は今後出すまいと心に決めた。30を越えた独身男の、同じ年齢でしかも同性の友人に対する惚気など聞かされてはたまらない。
 と、さすがにディストも気づいたのか顔を引き締めた。軽く眼鏡の位置を直し、白い頬を細い指で掻く。

「……と、アッシュとアリエッタも事情は知っています。あの2人は多分、主席総長からは離れるでしょう」
「ふうん……となると、残るはシンク、ラルゴ、リグレットか。確かに事情知っても抜けそうに無いね」

 ヴァンを頂点とする六神将たちだが、それぞれ長への忠誠度はかなり異なる。それを知っているから、カンタビレはディストの言葉に頷いた。そして、口の端を引き笑みを浮かべてみせる。

「まあいいさね。導師護衛及びアクゼリュス住民救援の任、第六師団確かに受けたよ」
「よろしくお願いします」

 軽く頭を下げ、ディストは椅子の高度を少し上げる。そこでは、と一度動きを止め、僅かに身を乗り出して声を張り上げた。

「ああ、アクゼリュスに着いたらまず最初に第十四坑道の内部確認と封鎖をお願いします。そこが主席総長の狙いなんで、一般人入れないようにしちゃってくださいな」
「十四ね。了解」

 譜業椅子を見上げ、手を振って答えるカンタビレ。「お願いします」と返し更に高度を上げたディストにはもう視線を向けることなく、振り返ると張りのある声で部下に叫んだ。

「野郎ども! 目的地変更だよ、準備しな!」


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