紅瞳の秘預言19 真実

 ふわり。
 本来ならば魔物の背にでも乗らなければ辿り着けない高度で、ディストはこきこきと首を鳴らした。普段ほとんど付き合いのないカンタビレ相手の交渉は、さすがに肩が凝る。

「ま、上手く行ったのだから良しとしましょうか。味方は多ければ多いほど、ジェイドが苦労しなくて済むんですから」

 ふう、と大きく溜息をついて空を見上げる。譜石帯がきらりと輝くのが視界に入り、眼鏡を外してぱちぱちと瞬きをした。特に眩しい訳では無いけれど、近い距離の物ばかり見ている眼には新鮮に映る。

「……さてと。そろそろリグレット辺りにはばれちゃってますかね〜」

 何も言わずにダアトを出てきたディストだったが、既にアリエッタやアッシュが動いていることを考えると自身の謀反が既に知れているであろうことは簡単に推測出来る。アッシュはまだ彼自身の意志で動いているとも取れるだろうが、ダアトに保護されてからヴァンの手駒として働いているアリエッタの独自行動は勘の良いリグレットにその背後関係を気取られている可能性が高い。

「コーラル城は潰してくるとして……ワイヨン鏡窟のデータを破壊している時間は無いですねぇ」

 脳内に入っている研究機関のリストをざっとめくりながら、ディストは譜業椅子を作動させた。廃墟の城へと向かう彼の遥か下を、第六師団であろう神託の盾兵士たちがいくつかの部隊に別れ動き始めている。
 教団大詠師派がキムラスカ上層部と癒着しており、またディスト自身がマルクトからの亡命者であることも手伝って、彼の研究はキムラスカ領内の研究拠点で行われていることがほとんどだ。ダアトの自室とコーラル城にあるフォミクリー機関以外に南部のワイヨン鏡窟、ベルケンドの第一音機関研究所も拠点としてディストはたびたび利用していた。
 キムラスカ傘下にあるベルケンドには、さすがのディストも外部への情報流出を恐れデータを残しておくことは無い。それを除く施設は実質的にダアトの支配下にあるため、ディストの研究データが相互バックアップの形で保管されている。つまり、どこか1個所を抑えれば彼の研究データはほぼ最新の物を入手することが出来ると言うことだ。ヴァンにそのデータを利用されないためには、全ての拠点から現存データを引き上げなければならない。
 とは言えダアトの自室については出てくるときにデータは全て消去しており、コーラル城はアクゼリュスへの行きがけに立ち寄れば良い。問題は、場所が1つだけ離れているワイヨン鏡窟だ。
 データ消去に、ディスト自身の配下を使う訳には行かない。単独行動を選択したアッシュと同じく彼の部下にもヴァンの息は掛かっており、報告していないはずの事柄をヴァンやその副官であるリグレットから指摘されることもあった。その監視が息苦しくてディストは、普段から単独行を選ぶことが多い。利害の一致のみで結ばれた上下関係であるから、致し方の無いことではあるのだが。

「ま、しょうがないですねえ。ピオニーに頼む訳にも行きませんし。データ取られたところで、私がいなければフォミクリー音機関の動作には時間が掛かるでしょ。その前に総長を潰してしまえばどうにかなりますか」

 ジェイドのためにヴァンを裏切ると決めた時から、ディストは処刑覚悟でマルクトに戻ることを決意していた。皇帝ピオニーはジェイドを公私共に重用しており、また国を出奔したディストをも当たり前のように友と呼んでいることを噂に聞いている。
 ならば、ディストが全てのデータと共に己の首を差し出しジェイドへの助力を願えば、きっとあの皇帝は首を縦に振るだろう。そう、ディストは確信している。
 腹が立つけれど……自分もピオニーも、同じようにジェイドを思っているから。

「ジェイド。貴方は今、どうしていますか? また、泣きそうな顔してるんじゃ無いでしょうね?」

 キムラスカとダアトに囲まれ、1人青を纏いながらアクゼリュスを目指しているだろう友人の顔を思い出し、ディストは白い頬をむっと膨らませた。多分それは、彼が守ると決めた朱赤の炎への嫉妬心。

 ジェイドをあんまり泣かせたら、いくら聖なる焔でも怒りますよ。覚悟しなさい。

 ふん、と鼻息も荒くディストは、譜業椅子の移動速度を最大にした。


 一度廃工場の中に戻り、出口近くで一夜を過ごすことにした一行は、そこでジェイドから説明を受けた。
 今この場にいるルークは、神託の盾六神将『鮮血のアッシュ』のレプリカである。
 つまり、7年前にさらわれた本来の『ルーク・フォン・ファブレ』は、アッシュである。
 その事実を聞かされた一行は、既に感付いていたガイとイオン、そしてディストから事実を知らされていたアリエッタを除き一様に顔色を青ざめさせた。当のルーク自身は顔を伏せ、ガイの肩にもたれかかっている。腕の中に抱えられたミュウは声も無く、じっと主の胸にすがりついていた。
 それでもルークは、自分がヴァンから『ルークを拉致したのはヴァン自身である』という事実を聞かされたことを告白してくれた。その証言が加わると、7年前の事件の背後が朧気ながら見えてくる。
 この場合の『ルーク』もまた、アッシュのことであると推測される。つまり、事実としてはヴァンがアッシュを拉致し、彼からレプリカとしてルークを造り出し『記憶喪失状態で発見された』としてファブレ家に放り込んだ、と言うことになる。
 事件が発生した時点では、マルクトのフォミクリー研究はそれ以前にピオニーに諭されたジェイドによりほぼ封印状態になっていた。彼ら以外にレプリカ製造技術を持ち得るのは、技術を持ってローレライ教団に逃れたディストのみ。彼がアッシュの拉致以前からコーラル城にフォミクリーの施設を建造していたならば、ルークはそこで造り出され白紙状態のまま放置されたと推測することが出来る。彼が『コーラル城で見つかった』のは確かに嘘では無いわけだ。
 つまり、意味不明であったルーク拉致の黒幕はローレライ教団であり、その目的はオリジナルルークであるアッシュをレプリカである現在のルークと入れ替えることだった、と言う推測が成り立つ。

「……俺、ルークじゃ無いんだな」

 ルークにとっては自身の正体も、敬愛する師が犯罪に手を染めていたことも衝撃だった。が、それらの事柄を淡々と、澱み無く説明してみせるジェイドに最大の衝撃を受けていた。
 顔を上げ睨み付けると、彼は感情の無い真紅の瞳で少年を見つめ返す。

「……全部、知ってたのか」
「はい」
「それで、黙ってた」
「はい」

 少年が少ない言葉でぶつけた疑問に、ジェイドは頷いてみせた。推測であれ『記憶』であれ、彼がルークの正体を知っていたことに変わりは無い。
 一度通り過ぎた時間の中でも、既にこの頃にはルークがアッシュのレプリカであることにはジェイドは気づいていた。それを口にしなかったのは偏に、自身の過去の罪をさらけ出す勇気が無かっただけのこと。
 だが今の世界では、『記憶』よりもずっと早く真実を公にすることとなった。ルークとアッシュの真実を早めに明らかにすることで、互いの和解や周囲の理解も早く進むだろう。それは、ジェイドの願いでもある。
 過去の恥を晒すことで赤毛の少年が救われるのならば、安いものだ。

「…………何でだ」

 しかしルークは……いや、この場にいるジェイド以外の全員はそう言った背景を知らない。故に、彼を責め立てるような視線が集中する。1人、薄々事情を知っていたガイだけは冷静に、少し離れた場所から一同を見渡しているのだが。

「確たる証拠もありませんでしたし、性急に教えると貴方が混乱すると思ったからです。前にも言いましたが、レプリカはオリジナルの姿のみを複製した存在です。記憶や感情は、生まれてからの生活の中で自分で生み出し、蓄積し、構築したもの。そう言った意味で、貴方はアッシュとは別人です」

 まっすぐにルークを見つめ、ジェイドは言葉を紡ぐ。誰にも気づかれないほど微かに震える言葉だけが、抑えつけている感情を映し出す。

「それでも、外見がそっくり同じだと言うこととその出自から、周囲の目は貴方をあくまでアッシュの複製品と見る視線が大多数を占めるはずです。貴方は、それに耐えられますか?」
「……っ」

 厳しい言葉を突きつけられ、ルークは顔をしかめ拳を握りしめた。


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