紅瞳の秘預言19 真実

 オリジナルとレプリカが同時に存在し得る場合、彼らの間に起きる問題。それは、人格を持つ1人の人間でありながら『複製品』として扱われてしまうレプリカとその周囲に与える、心理的負担だった。
 これが同時に出生した一卵性双生児ならば、影響は低いだろう。一方が他方の複製のごとく扱われる事例が無いとは言えないが、彼らはあくまで同じ姿を持ち同時に生まれたきょうだいであり、個々の存在として扱われることの方が圧倒的に多い。
 だが、ルークは10歳のアッシュから複製され10歳の姿で突然世界に生み出された存在だ。その存在はオリジナルであるアッシュ無くしては成立し得ず、また製造の目的もアッシュ……『ルーク・フォン・ファブレ』の代替物としてキムラスカの目をごまかすため。その過程において、彼自身の人格などは完全に無視されている。
 また、対象の周囲に存在する人物に与える影響を無視することも出来ない。今回のようにオリジナルとレプリカのすり替えなどと言う事態が起こり得るために、それ以外の人物も実はレプリカでは無いのかと危惧する者も出てくるだろう。音素構成を調査すればすぐに判明することではあるが、ルークの場合はそれらに携わる研究者……スピノザまでも協力者の立場にあったため、今までその事実が漏れることは無かったのだが。
 このような問題が起き得るからこその、生体レプリカ技術の封印だったのに。

「あ、あんたはどうなんだ? 俺のことをそんな目で見るのか?」

 ある意味生みの親とも言える軍人を見上げてくる少年の瞳は、怯えの色を映し出している。過去のジェイドならば、恐らくはそうだと頷いていただろう。
 けれど、今は。

「コーラル城に私を助けに来てくれたのは、アッシュにそう指示されたからですか?」
「え……」
「嬉しかったんですよ。目が覚めたときに、皆さんが私を囲んでいてくれて。貴方に助けられたのだと気がついて、とても嬉しかったんです」

 真紅の眼を細め、柔らかく笑みながらジェイドは返答の言葉を紡いだ。無意識に左の腕を抱え込んだ右手に、軽く力がこもる。
 本当ならば、捨て置かれても不思議では無いだろう。『記憶』の中でヴァンがルークに提示したように、彼が神託の盾を率いコーラル城へやってくる可能性もあった。その場合、自身がどのような措置を施されていたかはさすがの彼にも分からない。

「お、俺は……護られてばっかりはいやだったし、俺がそうしたかったから、自分の意志で行ったんだ。誰にも指示なんてされてねえ」

 けれど意識が戻ったとき、ルークやアニスたちはそこにいてくれた。少年の言い分からして、彼の主張が通っての行動だったのだろう。
 『船員の願いを受けて仕方無く』では無く、『ルークがそうしたかったから』。
 いずれにせよ、アッシュの指示では無かったのだけど。
 それでもジェイドは、嬉しかったのだ。ルークが己の意志で、自分を助けに来てくれたことが。

「コーラル城で私を助けてくれたのは、ファブレの屋敷の中で7年育って、エンゲーブで私と出会った、他の誰でも無い貴方です。アッシュではありません」

 恐る恐る手を伸ばし、朱赤の髪をそっと撫でる。一瞬びくりと震えはしたものの、ルークはジェイドの手を振り払うこと無く大人しくしていた。

「……」
「貴方がオリジナルかレプリカか、ルークかアッシュか、そんなこと関係無いんです。貴方は貴方と言う1人の人間です。それを、忘れないでください」

 祈るような願いの言葉に、ルークは小さく頷いた。


「ジェイド」

 不意に、鈴が鳴るように声が響いた。全員の視線が、声の主である森の色の髪を持つ少年に集中する。

「僕も、決心が付きました」
「イオン?」

 柔らかく微笑むイオンの顔を、ルークは不思議そうに見つめる。一方ジェイドは、微かに眉をひそめた。

「……まさか」

 そんなジェイドの前に歩を進めると、イオンは懐から白い封筒を取り出した。蝋封が剥がれているから、イオンはその中身に目を通してあるのだろう。
 それを、イオンはジェイドに差し出した。反射的に受け取り、中に入っている紙を取り出して目を通す。

「ディストからの手紙です。貴方はきっとこの内容を知っていますよね。……僕のことも」
「……あの馬鹿、ここまで……」

 ディストからアリエッタに託され、イオンに届けられた封書。その内容は『レプリカ計画』に関するものであり、恐らくはディストのデータベースからプリントアウトされた物であろう現在のオールドラントの構造についての資料も添付されていた。
 当然、『記憶』を持つジェイドは全て知っている。イオンの正体も、ディストに知らされるまでも無く『覚えて』いる。それでもディストが資料を出して来たのは……ジェイドの『記憶』を公表すること無くこれらの情報を公開するためだろう。

 本当に、サフィールには苦労を掛けてしまっていますね……済みません。私はどこまでも、愚か者です。

「ですが、よろしいのですか?」

 一度友人の姿を思い出した後、その記憶を心の奥底にしまい込んでジェイドはイオンに問う。その意味を少年は即座に理解し、大きく頷いてみせた。

「決心が付いたと言いました。僕なりに考えて出した結論です」

 ルークがレプリカであることが判明した今、彼だけが現存する生体レプリカでは無いことをイオンはここで明言するつもりだろう。『記憶』の中ではずっと後になるまでルークたちには知らされなかったことだが、彼自身が明かすと決めたのであればジェイドに止める理由は存在しない。

「ジェイド、その手紙は貴方に預けます。頃合いを見て、皆に伝えてください。記されている内容については、僕が保証します」
「分かりました。イオン様のお心のままに」

 ジェイドは胸に手を当て、頭を下げる。この少年もジェイドの事情は知らないはずだが、それでも神託の盾六神将の1人が親展として差し出した重要な情報を託してくれる程度には、自身のことを信頼してくれているようだ。
 それを、素直にジェイドは感謝した。愚かな自分を信じてくれる、この純粋な少年に。

「ありがとう。……アニス、アリエッタ」

 導師の笑顔は、2人の少女の名を呼ばわった時にも崩れないままだった。はっとして居住まいを正した少女たちの前に立ち、イオンは改めて表情を引き締める。

「僕はまず、貴方たちに謝らなければいけません」
「へっ? ど、どういうことなんですかイオン様、謝らなきゃいけないって」
「イオンさま?」

 アニスとアリエッタは同じように目を丸くして、互いの顔を見つめ合った。ティアやナタリアも、不思議そうな視線を彼らに向けている。ガイは眼を細め、冷徹な表情で場を見守っていた。

「アリエッタ。僕は、貴方が2年前まで導師守護役として守っていた『イオン』ではありません。2年前に彼から造り出された、7番目のレプリカです」
「え?」
「イオン様が……?」

 白い衣服の胸元を、手がきゅっと握りしめた。少し震えつつイオンは、顔を伏せること無くまっすぐに少女たちを見つめる。2人は半ば呆然としながらも、自身がレプリカであると告白した少年から視線を外すことは無かった。
 そして。

「イオンがレプリカ……本当なのか? ジェイド」
「はい」

 ルークの疑問に、タイムラグも無くジェイドは頷く。
 赤毛の少年と金髪の青年がその返答と同時に視線の温度を落としたことには、彼は気づかなかった。


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