紅瞳の秘預言20 亀裂
緑の髪の少年は、愁いを帯びた表情で顔を俯かせている。『決心が付いた』とジェイドに告げはしたものの、やはり自身の正体を明かすと言う事態が彼を躊躇させているようだ。けれど、そのためらいは僅かな時間で消え去った。
ぱちり、と油に含まれた不純物が火で弾ける音がしたのを合図に、彼は顔を上げた。既に放たれた第一声のその意味は、ここで明らかにせねばならない。
「アリエッタが仕えていた本来の……オリジナルの導師イオンは、彼女が守護役を解任されたその日に息を引き取りました。これは預言に記されていたことでもあり、記述に寸分違わず成就したんです」
良く通る声が、閉鎖空間に響く。ルークがレプリカであることを知らされたときと違い、今度は既に知っているジェイドを除く全員が顔色を変えていた。1人、何の感情も浮かべずに目を閉じている軍人の姿がこの場では異様に思える。
「そ、そんな……イオン様、イオン様じゃないの……?」
「……そっか……それで、導師守護役なんかがごそっと入れ替わったんだ」
人形をぎゅっと抱きしめながら混乱するアリエッタに対し、アニスはどこか冷静に眼を細める。自身がアリエッタと入れ替わりに導師守護役に就任した、その当時のことを思い出しているのだ。
当時、とある日を境にしてアリエッタを含むそれまでの導師守護役が全て外され、アニスを初めとする少女たちが新たに選ばれた。それだけで無く、導師に近しい役職は大詠師や詠師職を除き総入れ替えとなったのだ。表向きには組織再編のための人材刷新と言うことだったが、それにしては詠師の入れ替えがほとんど無かったと言うことで裏に何らかの事情があったのでは無いかと言う推測もなされていた。
だが、こうやって『裏にあった何らかの事情』が判明した以上、その理由もはっきりする。アニスはぐっと手を握りしめ、言葉を吐き出した。
「イオン様が前のイオン様じゃないって、みんなにバレるとまずいからそんなことになったんだ。あたしは前のイオン様を良く知らないけど、アリエッタなら気がつくかも知れないもんね」
「それで、アリエッタ、守護役を外されたの……?」
「そうだよ。ルークとアッシュが違うみたいに、前のイオン様と今のイオン様だってきっと違うんだから。アリエッタは前のイオン様と沢山一緒にいたから、きっとその内バレると思ったんだよ」
今にも涙を溢れさせそうに目を見開いているアリエッタの頬を、ライガがぺろと舐める。露骨に眉を歪めたアニスが、自分の掌を握った拳でぱしと叩いた。
そこまでじっと何かを考え込んでいたティアが、思い当たったかのように顔を上げた。イオンに視線を向け、慎重に口を開く。
「でも、上層部は何故そのようなことをお考えになったのでしょうか? 代々の導師のお名前は、預言に記されているはずですよね」
「そう言えば、伺ったことがありますわ。ローレライ教団の導師はその名前が代々預言に刻まれていて、先代が亡くなられるとその名を持つ方を探すのでしたわね」
ナタリアも、ティアの言葉に頷く。
ユリアの詠んだ預言の中には、ローレライ教団を率いる導師の名が並んでいる下りがある。教団幹部は、先代の導師が崩御すると次の導師の名を調べ、その名を持つ子どもの中から後継者に相応しい能力を持つ者を選び次代導師として教育した。本来の……オリジナルのイオンもそうやって、導師として選ばれた存在である。
先代導師エベノスの崩御は、ルークの誘拐とほぼ同時期であった。そのため一時は、これは表沙汰にされることの無い預言……『秘預言』に記されているかも知れない天変地異の前触れでは無いか、とキムラスカ上層部では噂されていたことがある。その根も葉も無い噂は、後継者として選ばれたイオンの即位とその働きによりあっという間に消えていったのだったが。
イオンは彼女たちの顔を見渡してから、僅かに俯く。ほんの少し声量を落とし、ティアの疑問に対する答えを口にした。
「……預言には僕の……イオンの名を最後に、導師の名は記されていません。つまり預言に従うならば、僕のオリジナルが最後の導師だったんです」
ゆったりした服の胸元を掴んだ手に、ぎゅっと力がこもる。
オールドラントの人間が暦として新創世暦を使うようになって2000年と少し……その長きに渡り、人々はローレライ教団が管理する預言に生活の先行きを見、人生の未来を読み取って貰いながら生きてきた。その教団を統べる導師の預言を詠む力は強大なものであり、譜石の一部から本来その譜石に刻まれていた預言の全てを詠み取ることも可能である。
中でも、始祖ユリアが詠んだ7つの預言の具現化である譜石は重要なものとされている。現在失われている第七譜石にはオールドラントの未来が刻まれており、一部の欠片でも発見することが出来ればそれを導師が詠むことで未来が判明する。
導師が失われると言うことはつまり、星の未来が見えなくなると言うことである。最初からそんなものが見えていない世界であるならばともかく、預言と共に生きてきたオールドラントの人々からすればそれは、未来への不安を募らせる緊急事態に違いあるまい。
もっとも、ジェイドの『記憶』に残っている第七譜石の預言は、さほど遠くない未来にオールドラントが滅ぶと言う結末。第七譜石の欠片からそれを詠まされたイオンは力を使い果たし、障気に蝕まれたティアを救って消えた。もう1人、預言を詠まされた存在……今のイオンと同じレプリカであるフローリアンは、今はまだモースの手の内にあるのだろうか。
軽く頭を振り、ジェイドは思考を切り替えた。今考えることは、所在を確認することの出来ないフローリアンのことでは無い。レプリカだと判明した、2人の子どもたちのことだ。
「じゃ、じゃあその後は……」
既に次の導師の名が無いことを知ったティアが、顔を青ざめさせる。ガイは僅かに首を傾げながらも、己の推測を整理して言葉に紡いだ。
「預言通りなら、もう導師となる能力を持った人間は現れない。そうなると当然、教団の未来も危ういな。導師と言う存在が、民衆を教団に引きつけてると言っても過言じゃないんだ」
「はい」
ガイの推測を、イオンが頷いて肯定した。
イオン自身、オリジナルを引き継いで導師となってからダアトの街を歩いたことが何度かある。その度ごとに自分に注がれる暖かな視線が、導師と言う存在に民衆が持つ敬愛と信頼の念を彼に感じさせた。自分がモースにより軟禁されていると知った民衆が起こしたデモも、イオンは知っている。
そして、導師の存在が消えることで民衆の間に広がるであろう不安の念も。
「預言により明らかになった導師の死を隠蔽し、教団の生命を長らえるためにモースはヴァンと共謀し、死亡前に導師イオンのレプリカを数体作成しました。そのうちの1人……7番目に生まれたこの僕が預言を詠む力を見込まれ、オリジナルに代わって導師の地位に就くことになりました」
「師匠が!? イオンまで、師匠が作ったってのか!」
「おかしくは無いですね。現在、フォミクリー研究において最先端にあるのは私では無くディストです。あれの作る譜業機関には独特の癖がありますから、彼で無ければかなり扱いづらい」
驚いて声を張り上げたルークの肩を、ジェイドが軽く叩いて宥めた。そうして彼は、淡々と言葉を紡ぐ。
元々はジェイドの開発した技術であったそれは、いつの間にか彼の知る以上に世界の裏側に広がっていた。救いと言えば技術を持ち出したディストがそれ以上に情報を拡散させること無く、ローレライ教団内部だけに留まっていると言ったところだろうか。譜業に長けるキムラスカ側に情報や技術が漏洩していれば、今頃グランコクマの周囲をレプリカ兵士の部隊が十重二十重に包囲していてもおかしくないのだ。
「厳密に言えばグランツ謡将を通じ、大詠師モースがディストに命じてイオン様のレプリカを造らせた、と言うことになるでしょうね。実際にあれが手がけたかどうかは、当人に聞いてみないと分かりませんが」
「……そ、そうなんだ……」
思考を巡らせながら冷静に言い放つジェイドの言葉に、ルークはごくりと息を飲んだ。
導師イオンの寿命を知ったモースとヴァンは、フォミクリーを利用して今目の前にいるイオンを作った。預言にイオンが教団最後の導師と記されていたから、最高指導者を失うと言う教団最大の危機を逃れるために。
「別の導師を探して来て立てる、なんて案は出なかったんだろうな。モースにとっちゃ、預言が絶対のものなんだから」
「恐らくそうだと思います。が、フォミクリーを利用して抜け道を造り出すとはね」
ガイとジェイドの会話を聞きながらルークは、ふと自身の存在について考え込んだ。
何故自分は、オリジナルであるアッシュと入れ替えられる形でルークとしてあるのか。
ND2018。ローレライの力を継ぐ若者、人々を引き連れ、鉱山の町へと向かう。
そこで若者は力を災いとし、キムラスカの武器となって。
バチカルの城の地下でヴァンは、ルークを助けたくて誘拐したのだと明言した。だが自分が本来のルーク……アッシュのレプリカであると言うことになれば、ヴァンが助けたかったのはアッシュだと言うことになる。
そして、預言。
ヴァンがルークに告げた預言の続きが真実ならば、その預言を回避するためにルークは生まれた……製造されたと言うのだろうか。
預言に詠まれた『聖なる焔の光』はND2000に生まれた赤い髪の子どものことであり、それは即ちオリジナルのルーク……アッシュのことだ。だから、本来ならキムラスカの武器にされるのもアッシュであるはずだ。
それが、レプリカである自分とすり替えられたことでアッシュはその未来を回避したことになる。インゴベルト王やファブレ公爵……そして恐らくモースは朱赤の髪のルークがレプリカであることを知らず、預言の通りにアクゼリュスへ送り込もうとしているのだから。
師匠はアッシュを助けたくて、だからアッシュをさらって俺を作ったのか?
俺はルークでも何でもなくて、アッシュの身代わりになるために作られたレプリカなのか?
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