紅瞳の秘預言20 亀裂

 深刻な顔をして考え込んだルークを他所に、イオンはアリエッタへと向き直った。それに気づいたのかアニスはふいとそっぽを向き、アリエッタはおずおずとぬいぐるみを抱きしめ直す。

「だから、アリエッタ。アニスが貴方のイオンを奪った訳ではありません。貴方がたが喧嘩する理由なんて、最初から無かったんです」

 まっすぐに見つめてくるイオンの瞳を、アリエッタは見返すことが出来ない。ぬいぐるみで顔を半分隠しながら、上目遣いにちらちらと導師の顔を伺っている。しばしの沈黙の後流れ出た声は、半ば涙声になっていた。

「……イオン様、死んじゃった……? イオン様は、アリエッタのイオン様じゃないの……?」
「はい。今までずっと騙していて、済みませんでした」

 大人しく頭を下げ謝罪するイオンに、アリエッタはようやく顔を上げる。ぬいぐるみのせいで口元は見えず、彼女の表情を第三者から伺うことは出来ない。

「……アリエッタ、頭ごちゃごちゃしてます。どうしていいか分からない、です……」

 かすれた声で少女は、必死に言葉を紡ぐ。魔物に育てられ人間の言葉の語彙が多いとは言えない彼女だが、そのたどたどしい言葉は十二分に自身の心境を物語っていた。
 それでもアリエッタは、1つ頭を振るとまっすぐにイオンを見つめ返した。何度かぱくぱくと口を動かした後、自身で考えた上の結論を問う。

「だから、ごちゃごちゃが無くなるまで、一緒にいて、いいですか?」
「はい、それはもちろん」

 イオンは満面の笑みで頷く。それにつられるようにアリエッタも、そして横目で2人の様子を伺っていたアニスの顔もふわりと綻んだ。

 と、そこまで顔を伏せじっと黙り込んでいたルークが顔を上げた。その表情からは感情が薄れ、どこか冷たい色に変わった碧の瞳が長い前髪の間から覗く。その目が睨み付けたのは、先ほどからまるで顔色を変えていない青い服の軍人。

「……ジェイドは、イオンもレプリカだってことも知ってたのか」
「はい、知っていました」

 感情の含まれない言葉が紡ぐ問いにもまた、ジェイドは素直に頷いた。
 否定すると言う選択肢もあるはずだが、ジェイドがそれを選ぶことは無い。時期尚早故に話さない話題はあっても、そうで無い場合には基本的に進んでルークや同行者たちに情報を公開してきた。
 『記憶』の世界では、自身が情報公開を渋ったために事態の悪化を招いたことがあまりにも多すぎた。それがルークの消滅を招く結果となったことが、時を戻った今でもジェイドの心の奥に凝りとなって残っている。故に、この世界でジェイドはルークに対し、与えることの出来る情報は与えて来たつもりだった。

「何で、あんたはそんなにいろいろ知ってるんだ? 俺よりずっと長く生きてて、頭も良いって言うのは分かるんだけどさ」

 アッシュと同じ色の冷たい瞳で見つめられ、ジェイドは一瞬目を見張る。自分の対応がどこか間違っていたのだろうかと思考を巡らせるが、彼には思い当たる節は無い。
 現在のジェイドは、本来の記憶や知識の他に『一度経験した未来の記憶』をも持ち合わせている。故に本来ならばこの時点では知り得ない様々な事実を知り、思考もそれに沿ったものである。
 だが、まだそれをルークに教えるつもりは無かった。否、出来れば全てが終わっても彼には知らぬままでいて欲しい、とジェイドは願っている。
 『今、この世界に生きているルーク』では無いとしても、自分自身が死を迎える未来など知る必要は無い。
 そう言った思い故の選択ではあったのだけれど。

「私は軍人です。ですから、軍特有の様々な手段で知識や情報を手に入れることが出来るんですよ。ただそれだけに、余計な任務や守秘義務と言ったものも同時について来るのですが」

 ともかく、問われたことには素直に返答した。もっともさすがに『未来の記憶』を持っている、などとは口には出来ないから、そこだけは僅かに嘘をついたのだが。

「……ですから、これからも知っていながら貴方がたにお話し出来ないことが出て来るかも知れません。私も出来るだけお話しするようにはしますが、こちらの事情と言うものも考慮していただけると有り難い」
「事情は分かるよ。分かるけど……何かジェイド、何も知らない俺たちを見て笑ってるように思える。俺は元々世間知らずだからってのもあるだろうけど、それでも」

 そう指摘されて、やっとジェイドは気づいた。
 幼い頃から妹に恐れられ、数少ない友人の他は近寄ることも無く、軍に入ってからは敵味方共に畏怖され敬遠された理由の1つ。
 ジェイドにとっては当たり前の知識でも、周囲の人々にとってはそうでは無い。そんなことも分からずに彼は、自身と同様の知識を持たぬ人々をどこかで見下し軽んじていた。
 『記憶』の中のルークが、親善大使として任命されたが故に己の地位を過信し、同行者たちを見下していたのと同じように。

 歪みは世界によって正される。
 罪は、罰されなければならない。
 忘れていましたよ。そんな当たり前のことを。

「そう、見えますか」

 意図的に、感情の無い言葉で返すとルークは口を真一文字に結んだまま頷いた。その横で、同じように温度を下げた青い瞳の青年も小さく頷いて言葉を返す。

「……俺も、意見としてはルーク寄りだな。あんたはマルクトの皇帝に近いから、他の連中より機密に近いのは分かるが」

 ガイの含みを持った言葉遣い。その中に混ざっている彼自身の感情も、ジェイドには手に取るように分かる。

 俺の素性を知っていて、仇の息子と仲良くする姿を見ていて、お前は笑うのか。

 そんな風に思われても仕方が無い。自分は全てを知って、全ての知識と記憶を持ったまま未来から戻って来た。だから、ある意味では預言士以上に未来を知っている。
 伝えるべき知識はその時期によって選んではいるものの、まだ何も知らぬ彼らを嘲笑する意図は全く無い。
 けれど、彼らには自分はそう見えると言うことらしい。それならば、どうするべきか。
 数瞬の間に結論を出して、ジェイドはくくっと喉の奥で笑って見せた。

「そう見えるのでしたら、そう取っていただいて構いません。お話し出来ないことは、出来ないとはっきり言うしかありませんからね」

 冷たく言い放ち、軽く鼻であしらってやる。朱赤の髪の少年と金髪の青年は、そんな態度を取ったジェイドに対しあからさまに嫌な顔をした。少女たちも、導師とその護り手たちも、露骨に表情を歪める。
 これで恐らく、彼らの心は自分から切り離されただろう。ジェイドは目を閉じ、同行者たちに背を向けた。

「今夜の見張りは私がします。貴方がたは早めにお休みなさい」

 背中に突き刺さる冷たい視線を感じながら、彼は足早にその場を離れる。このまま留まっていたら、心の中に澱んでいる感情をぶちまけてしまいそうでたまらない。
 本当は、こんなつもりでは無かったのだと。

 彼らが愚かな自分から離れるのなら、それで良いではないか。
 弁明など、出来ようはずも無いのだ。
 そのようなことはジェイド・カーティス、お前には許されていない。

 お前は魔界の海で、子どもの言い訳を聞こうとしなかっただろう?


PREV BACK NEXT