紅瞳の秘預言21 邂逅

 ぱちり、と目が覚めた。
 廃工場内は外からの光もほとんど差さず、ティアが今いる空間もほぼ全体が闇の中に沈んでいる。あちこちからすー、すーという同行者たちの寝息が聞こえることでやっと、彼女は1人では無いのだと実感することが出来た。時折聞こえるグルルと言う唸り声は、アリエッタに同行している魔物たちの警戒の声だろうか。

「あら、ナタリア……?」

 壁にもたれていた上体を起こして見ると、並んで寝ていたはずのナタリアの姿が無い。慌ててティアは、胸元で眠っているミュウを抱きしめながら立ち上がった。

「……みゅみゅ? ふわぁ〜ですのぉ〜」

 極力気配を殺しながらの行動だったはずだが、草食獣であるミュウは気配に聡いのかぱちっと眼を開けた。大きくあくびをした後、小さな手で目を擦りながら自分を抱いてくれているティアの顔を見上げる。

「みゅ? ティアさん、どうしたですの?」
「あ、ごめんなさい。起こしちゃったわね……ナタリアがいないの」
「ナタリアさんですの?」

 口元に人差し指を立てながら小声で答えると、ミュウも理解出来たのか仕草を真似してこくこくと頷いて見せた。大きな耳をくるくる動かして、少女の声を拾おうと試みる。
 しばらくして、ぴんと耳が立った。ミュウはティアの肩によじ登ると小さな手で口元に筒を作り、耳元に小さな小さな声を届ける。

「……ナタリアさん、お外にいるですの。ジェイドさんとお話してるですの」
「あら、そうなの? 良かった」

 ほっと胸を撫で下ろし、ティアはその場を離れ外を伺うことの出来る出入口に向かった。日が昇ったらアクゼリュスへの旅が再開される。そのためにも寝ておかないといけないのだが、どうも目が冴えてしまったらしい。だが、眠っている同行者たちの邪魔をするわけにも行かなかった。

「ありがとう、ミュウ」
「お任せくださいですの。チーグルはお耳が大きい分、遠くの声も良く聞こえますの」
「ふふ、そうね」

 チーグルの頭をふわふわと撫でながら出入口傍まで着いたところで、足元からナタリアがひょこっと顔を出した。この場から外に出るにははしごを下りて行かなければならないのだから当然のことなのだが、不意を突かれた形になったティアは驚いて一瞬よろめいた。慌てて足を踏ん張り、どうにか転倒は免れる。

「きゃっ」
「あら、ティア? 起こしてしまいましたかしら」

 胸元より上を床から見せたところで、ナタリアが目を瞬かせた。肩をすくめ、音律士の少女は軽く首を振って答える。

「いいえ、単純に目が覚めちゃっただけよ。気にしないで」

 ティアは屈んで床に膝をつき、手を差し伸べた。その手を素直に取り、ナタリアは工場内へと戻ってきた。外を伺うと、昼間イオンやアリエッタたちのいたほぼ同じ位置に、ジェイドがこちらに背を向けて立っているのが見える。右手で左の腕を抱え込んでいるのは、もう癖になってしまっているのだろうか。

「みゅみゅ。ナタリアさん、お帰りなさいですの」
「只今ですわ、ミュウ」

 くるくると耳を回しながら無邪気に笑うミュウに、ナタリアもほっとしたような笑みを浮かべてその頭を撫でた。指先で喉元をくすぐってやると、気持ち良さそうに眼を細める。

「それにしてもナタリア、どうしたの? こんな夜中に起き出して」

 ティアも同行者の無事を確かめて安堵はしたものの、彼女の行動の意味を図りかねて首を傾げた。が、そう問うた途端白いナタリアの顔が一瞬にして真っ赤になったのに、思わず口元を押さえる。いくら他人の機微に鈍いティアとは言え、これだけ分かりやすい反応をされては察しが付くと言うものだ。

「あ……えと、あの、その、アッシュのことが、気になりまして……」
「ああ、それで大佐に」
「……ええ」

 頬に手を当て、耳まで真っ赤にしながら頷いたナタリアを、ティアは一瞬可愛いと思った。王の一人娘であり、王族としての教育を受けているせいか多少高圧的な態度を取りがちの彼女を最初は好きになれなかったのだが、こうやって本音をかいま見ると彼女もまた1人の女の子なのだと言うことがよく分かる。
 ナタリアにとってアッシュ……オリジナルのルークは、別れる前に心を交わした幼馴染み。レプリカのルークがバチカルの屋敷に戻って来たその日、彼女が『約束を思い出して欲しい』とルークに願っていたことをティアは思い出す。実際にはルークが忘れていた訳では無く、約束を交わした相手と言うのはアッシュと言うことだったのだが。
 お互い、今日の日が7年ぶりの再会と言うことになる。ほとんど言葉も交わさずに別れてしまったのだから、確かにナタリアとしては気になるところだろう。

「それで、大佐は何とおっしゃったんですか?」

 からかうような口調では無く、真剣にティアは尋ねる。そっと彼女の顔を覗き込むと、視線を少し逸らしたままナタリアは、小さな声で答えてくれた。

「次に会ったときは、手を繋いで離さないように、と」
「大切な人なのね。……会えて良かったわね」
「……はい」

 ティアの言葉にこくんと頷いて、幸せそうに微笑むナタリア。きゅっと自分の手を握りしめ、その優しい瞳に決意の光を宿らせた彼女を見つめてティアも小さく頷いた。


 トゥエ・レィ・ズェ・クロア……

「え?」
「あら?」
「みゅ?」

 2人と1匹が顔を見合わせた。出入り口の向こう……工場の外から、歌声が低く流れ込んでくる。それが譜歌である、とティアはすぐに気づくことも出来た。
 現在彼女たちとその同行者の中で、譜歌を操ることの出来る音律士はティア1人。しかし彼女が今歌っている訳は無く、そも歌声は男性のものであることが聞けばすぐに分かる。

「歌ですわね。この声は……」
「ジェイドさんですのー」

 首を傾げたナタリアに、耳をくるくる動かしながらミュウが答える。彼らは再び顔を見合わせると、出入り口から顔を出して外を伺った。
 淡い光を向こう側から受けているせいか、黒にも見える青い背中は先ほどと同じ位置に佇んでいる。ただ左腕を抱えていた右手が外れており、その手は雲間から覗く星々、そして譜石帯へと差し伸べられていた。
 じっと歌声に耳を傾けていたティアが、はっと目を見開いた。旋律を辿っていれば、彼女ならばすぐに分かる事実に気づいたのだ。

「これ……ユリアの譜歌だわ」
「ユリアの譜歌?」
「みゅっ。ええとええと、すごい譜歌ですの。ティアさん、ユリアさんの子孫だから歌えるですの。前に皆さんで言ってましたの」

 ミュウがひそひそと、以前聞いた説明を彼なりに噛み砕いた言葉で事情を知らないナタリアに伝えた。チーグルの仔の説明にナタリアは目を丸くして、自分の前に立っている少女をまじまじと見つめ返す。

「え、ユリア・ジュエの子孫……だったのですか?」
「その……はい、一応そうだと兄が……」
「まあ。ユリアの血脈は現代まで続いていたのですね」
「で、出来の悪い子孫でごめんなさい」

 感心するナタリアに、ティアは思わず頭を下げた。
 兄であるヴァンはその血脈についてあまり口にすることが無かったが、ティア自身は外殻大地に出て来るまでその血を誇らしいものだと考えていた。ローレライ教団の礎であり、7つの巨大な譜石を残しオールドラントの未来をそこに刻み込んだ聖女。その血を引く自分は、彼女に倣い誇り高く生きるべしと胸に誓っていた。
 だがこの世界に出てきて、ティアは様々な人たちを知った。ルークやイオンと言ったレプリカの存在を知り、何の変哲も無い庶民の娘でありながら自身に誇りを持つアニスを知ることで、『ユリアの血脈』が己を構成する要素の1つでしか無いことに彼女は気づきつつある。
 そうなると……恩師の1人であるカンタビレから兄への注意を促され、勢いに乗って実兄の暗殺を目論見ながら果たせず、公爵子息を意図的にでは無いが拉致すると言う不手際をしでかした自分は何と愚か者か。先祖である始祖ユリアに向ける顔が無い。

「いえ、何も私はそんなことは言っていませんわ。出来が悪いと言うのなら私も、赤い髪も碧の瞳も持たない王女ですのよ。おかげで小さい頃は苦労したものですわ」

 そんなティアに、ナタリアはふんとひとつ息を吐くと腰に手を当てた。彼女の少し癖のあるふわっとした金髪は、父親であるインゴベルトには似ていない。ティアは良く知らないが噂によれば、母親である王妃とも似ていないらしい。
 だが、隔世遺伝や外部からの血に影響されてしまう外見要因が王位継承権の重要な要素とされている現状には、さすがにティアも首を傾げた。血統による王位継承と言う制度自体はキムラスカもマルクトも採用しているものであり、それに異を唱えるつもりは無い。だが、容姿に継承権が付与されると言うキムラスカの制度には、どうもなにがしかの意図を感じる。まるで、赤い髪と碧の瞳の遺伝子を未来永劫に伝えなければならないと言うかのように。

「キムラスカの王位を継ぐ者の条件、だったわね。どうして容姿にこだわるのかしら」
「さあ。遠い昔のご先祖様がたのお考えなど分かりません」

 ぷうとナタリアの白い頬が膨れる。遠い昔のキムラスカ王家は何を考えてそのような決まりを作ったのだろうか、と幼い頃から彼女はずっと怒っている。もっともそのおかげでナタリアはルーク……現在のアッシュと言う、共に歩んで行きたい相手に出会えたのだけれど。


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