紅瞳の秘預言22 決心

 イオンの疲労を見かねたアニスの申し出で彼女とイオン、そしてアリエッタはアスターに会った後一足先に宿に入った。ベッドで導師を休ませ、手持ちの道具を点検しているアニスにアリエッタがふと話しかける。

「ねえ、アニス」
「どしたの? アリエッタ」

 足りないものをメモに書き出しながらアニスが答える。アリエッタは、イオンの布団を直しその枕元に自分がいつも持っている人形を置くとアニスに向き直った。

「……イオン様がイオン様じゃないって、ヴァン総長のせい?」
「ほへ? んまー、そうなるよねえ」

 唐突な質問だったが、アニスは素早く廃工場内で聞かされた話の記憶を頭の奥底から引きずり出して答えた。
 今寝床の中で休んでいるイオンは、アリエッタを動物から人間に変化させた導師イオンでは無く、彼のレプリカである。既にオリジナルは亡く、しかしアリエッタもアニスもそのことを知らされないまま役目を入れ替えられた。導師のレプリカを製造しオリジナルの死を隠蔽した首謀者は、大詠師モースとヴァン・グランツ。

「アリエッタのイオン様が死んじゃうって分かったから、主席総長とモースが組んで今のイオン様を作ったってことでしょ? そんでもって、こっそりすり替えちゃったせいで分かんなかったんだから、当然主席総長も悪いよねえ」

 その事実を知ってケセドニアに到着した後、ヴァンが自分たちに同行すること無くアクゼリュスに向かったことを聞いてアニスは正直ほっとしていた。こっそり犯罪に手を染めていたことが分かっている人物が、それ以上に何らかの策謀を巡らせていないとは思えない。自身はイオン以外には知られていないもののモースのスパイであり、そのモースと手を組んでいるヴァンに利用されないとも限らないのだ。
 ダアトに残してきたお人好しすぎる両親の顔を思い出し、アニスは大きく溜息をついて肩を落とした。何とかしないと、また利用される。あの親たちの生命と引き替えに。

「……ディスト、言ってた。ヴァン総長、アリエッタの故郷復活させてくれるって。でもそこに住むのは、アリエッタじゃなくってレプリカのアリエッタだって」

 ぽつりぽつりと呟かれたアリエッタの言葉を、アニスの耳は思考に耽りながらも間違い無く捉えた。その中に綴られた内容に、少女は目を丸くする。

「……は? 何それ。主席総長、アリエッタもレプリカに入れ替えるつもりなの?」
「良く分からない。でも、ディストのお友達なら、きっともっと良く知ってる」

 アリエッタは彼女なりに、今自分が口にして良いことと悪いことの区別は付いている。ヴァンが全てをレプリカに入れ替える計画を進めていることはディストから知らされていたけれど、それを口にしたとしてアニスが信じるかどうかは分からない。だが、アリエッタ自身が入れ替えられると言う話であればきっと彼女は聞いてくれる、そうアリエッタは考えて言葉を口にしていた。

「ディストの友達って……あ、大佐か。確かに大佐なら、もっとちゃんとしたこと知ってるかも知れないね。入れ替えるって言うのも、アリエッタだけじゃ無いのかも」

 そしてアニスは、アリエッタの言葉を素直に受け入れてくれた。むうと眉間にしわを寄せ考え込む彼女に、アリエッタも小さく頷いて言葉を続ける。

「うん。アリエッタ、もっとちゃんとしたお話、知りたい」
「それはあんただけじゃないって。……でもアリエッタ、あんた大丈夫なの?」
「え?」
「その……イオン様が、アリエッタのイオン様じゃないってこと、とか」

 言いにくそうにアニスが口にした言葉を、アリエッタはきょとんと目を丸くしながら聞いた。
 アニスは、オリジナルのイオンを『オリジナル』と呼ぶことはしなかった。自分の知るイオンをレプリカと認めたくないと言うこともあったのだろう。だが、それよりも彼女はオリジナルかレプリカかに関係無く『アリエッタの仕えていたイオン』と『自分の仕えているイオン』が単に別人であると区切ることにしたのだ。
 ジェイドが何度も言っていたように、レプリカもまた1個の人間であるという理解をアニスは無意識のうちにしていた。それはアリエッタも同様で……同じ顔を持つとは言え別の存在なのだから別人だ、と至極単純に考えているのかも知れないが。

「……アリエッタのイオン様、アリエッタが泣いてたらきっと悲しい。今のイオン様も、きっと悲しい。アリエッタ、どっちのイオン様も大事」

 アニスが使った同じ言葉でオリジナルのイオンを示しながら、アリエッタは自分の気持ちを素直に言葉に表した。だがアニスは軽く首を傾げ、腑に落ちない表情で彼女に問いかける。

「別人だよ? そりゃ、あんたが気がつかなかったんだからすごくそっくりなんだろうけど」
「違うイオン様だけど、アリエッタにはどっちも大事。アニスには一緒なの?」
「え?」

 不思議そうな顔をしてアリエッタに問い返され、アニスは目を瞬かせた。一瞬だけ考え込む表情になり、癖のある髪をがりがりと掻きながら自身の考えを言語として再構成する。

「うーん……あたしはアリエッタのイオン様、あまり良く知らないからなあ。あたしがずっとお仕えしてるのは、今のイオン様だし」
「そっか」

 アニスが導師守護役に抜擢されたのは、オリジナルイオンが死に代わってレプリカイオンが導師として表に立つことになったその当日だ。それまでは導師のそばに行くこともほとんど無かった彼女には、2人のイオンが違うことなど分からない……それを狙ってモースやヴァンは、スタッフの総入れ替えを行ったのだろうが。
 入れ替え。自身の意志に関係無くそうされた赤い髪の2人を思い出し、アニスは小さく溜息をついた。

「……ルークのパパやママ、ルークがレプリカって知ったらどう思うかなあ」
「アリエッタ、分からない」
「あたしも分かんない。でも、イオン様とは違うんだよね。アリエッタのイオン様は死んじゃってるけど、ルークはアッシュが生きてるから」

 ルークのオリジナルであるアッシュが既に死んでいるのならば、ルークはそのままファブレ家の嫡男としての立場にいれば良い。だが、本来の嫡男であるアッシュはダアトで無事立派な青年に成長している。本当の息子が生きていることを知れば、ファブレ公爵夫妻はどうするだろうか。

「……アッシュ、パパやママに、会いたくないのかな」
「会いたいに決まってるじゃん。自分の親だよ?」

 ライガの女王を母とするアリエッタと、ダアトに両親を残してきたアニス。双方共に、親を思う気持ちに変わりは無い。自分たちより幼い頃に親から引き離されたアッシュが、両親に会いたくないと考えるなどとは微塵も思わなかった。幼馴染みだったナタリアの顔を見たときにアッシュが照れくさがっていたことをアニスは覚えているから、余計にそう思える。

「会えないのは、やっぱりヴァン総長のせい?」
「でしょ? 要するにぃ、主席総長がアッシュをさらってルークを作ってアッシュの代わりに家に帰しちゃったから、アッシュは家に帰れなくなったんだから。だからってアッシュをお家に帰しちゃったら、今度はルークがどうしたらいいのか分かんなくなっちゃうけど」

 こういう場合、レプリカってどういう扱いになるのかなあ。大佐に聞いてみようかな。
 でも、兄弟なら良いなあ。ルークのママ、すごく優しい人だったってティア言ってたもん。

 バチカルに到着したその日、訪れたファブレ公爵邸。ルークの母シュザンヌは我が子の失踪に心を痛め床に伏しており、その要因を作ったティアは彼女に面会し謝罪していた。

 ティアさん。何があったのかは知りませんが、実の兄妹が諍いを起こすのは悲しいことです。
 兄を持つ妹として、きちんと向き合ってお話をして仲直りをして欲しいと思いますわ。
 それと、ルークにはナタリア様とガイの他にお友達がいませんの。どうか仲良くしてあげてくださいね。

 アニスは直接シュザンヌに会うことは無かったものの、ティアがそう言われたことを彼女から聞かされた。仲良くして欲しいと言われたのはティアだけでは無く、バチカルまでの旅路を共にしてきた彼ら全員に向けられた言葉だったのだろう。例えその中に、屋敷を訪れることの無かったマルクトの軍人が入っていたとしても。

「ルークのママ、すんごく優しい人みたいだからきっと大丈夫だよね。アッシュもルークも家の子ですって、きっと言ってくれるよね」

 腕の中のトクナガをぎゅっと抱きしめて、アニスは殊更明るい表情でそう言った。彼女の希望も無論含まれてはいるのだが、ティアの話に聞いた母親ならばきっと、2人のルークを同じように我が子として慈しんでくれるに違いない。

「そうだと良いな。ルーク、ひとりぼっちになったら寂しい」

 アリエッタもにこっと無邪気な笑顔を浮かべて頷いた。それから、その瞳に決意の光を宿らせる。

「決めた。アリエッタ、イオン様にずっとついて行く」
「おっ?」

 小さな拳を握りしめそう宣言したアリエッタの顔を、アニスは真正面から見つめた。普段は泣きそうに眉をひそめている彼女の顔が力強く、頼もしい表情を浮かべているのがはっきりと分かる。

「アニスは悪く無かった。悪いのはヴァン総長。ルークのこと、ママの恩人なのにいじめるから」
「……ありがと」

 軽く頬を染め、僅かに視線をずらしてアニスが呟く。顔を指先で掻きながら視線を戻し、アニスは同じ主に仕える少女を見つめ直した。


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