紅瞳の秘預言22 決心

 渓谷に近い山道のそこかしこに、白い鎧が転がっている。血に塗れた兵士たちは既に息を止めた者もあるが、微かに呼吸を続けている者も多い。
 その真ん中に、異形の女が立っている。白と黒のドレスを纏い、2つの色の翼を広げながら彼女は、手に付いた血をぺろりと舐めた。

「んふ。なぁに、最近の神託の盾ってこの程度? 平和にかまけている訳でもあるまいに、弱いわねえ」

 赤く染まった唇が、無邪気な笑みを形作る。その足元に倒れている兵士が、よろりと蠢いた。

「……う……うぅ……」
「あら、生きてた」

 軽く爪先で地面を蹴り、女は兵士たちから距離を取った。淡い色の髪が風に流れ、ふわりと光の粉をまき散らす。彼女の視界の中で、神託の盾兵士たちは必死に起き上がり、剣を杖代わりによろよろと逃走を始めた。
 にぃ、と女の美しい容貌に残酷な笑みが浮かぶ。しっしっと手を払いながら、彼女は冷たく言い放った。

「さあ、邪魔よ邪魔。これ以上棺を増やしたくないなら、さっさと消えなさい。追いかけたりはしないから、死体も持って帰ってね。あなたたちじゃ足りなさすぎるわ」
「く、くぅう……て、撤退! リグレット師団長にほ、報告をっ……!」

 部隊長らしい兵士が、手を振り上げる。三々五々逃げていく彼らをのんびりと見送って彼女は、ひらひらと手を振った。親しい友人と別れるときのように。

「はぁい、さようなら。次は私に会わないよう、ローレライにでも祈るのね」

 程無く、山道は彼女といくつかの血だまりを残して静かになった。軽く手を振り、譜術の力で地面を抉って血を消すと女は、空を振り仰いだ。小鳥たちの鳴き声が少しずつ森の中に戻ってきていることにほっと息をつき、彼女はにっこり笑いながら小さなカプセルを手に取った。ぽいと口の中に放り込み飲み下してから、ぽつんと言葉を呟く。

「さて、そろそろ退散しないとね。ジェイド、貴方も頑張ってちょうだい」

 遠くから、神託の盾とは違う色を纏った部隊が山道を登ってくるのが見える。女は眼を細めると身を翻し、緑の中に姿を消した。


 ND2018、ローレライの力を継ぐ若者、人々を引き連れ鉱山の街へと向かう。
 そこで若者は力を災いとし、キムラスカの武器となって街と共に消滅す。
 しかる後にルグニカの大地は戦乱に包まれ、マルクトは領土を失うだろう。
 結果キムラスカ・ランバルディアは栄え、それが未曾有の繁栄の第一歩となる。

「……以上が、あの場で詠まれた預言の全文です」

 目を閉じて、朗々と預言を紡ぐジェイド。『記憶』の中でイオンが詠んでくれた、第六譜石に刻まれた預言。あの時はこの全文を確認したことで預言と現実との矛盾点に気づき、そこから『預言に振り回されることの無い未来』を目指すための一歩を踏み出したのだったか。

「知っていたのですか? ジェイド」
「はい」

 訝しげに自身を見上げるイオンに、ジェイドは言葉少なに頷いた。『どうやって知ったのか』と問われれば彼は、『記憶』について語ることも辞さなかっただろう。が、聞いていた彼らの興味はそちらではなく、『預言の内容』に向けられている。そのことにジェイドは、ひっそりと胸を撫で下ろした。少なくともイオンが否定しなかったと言うことで、この預言が真実のモノであると言う傍証にはなり得るからだろう。

「マルクトが領土を失って、キムラスカが栄える……そりゃ、インゴベルト陛下も乗り気になるよねえ」
「でも……それじゃあ、ルークが『街と共に消滅』することが前提条件よ」
「外交経験の無いルークを親善大使に仕立てたのはそれでか。ルークをアクゼリュスに向かわせること自体が目的だったんだ」
「後々戦争を起こすきっかけとするには、街ごと住民が全滅するという災害の発生は確かに大きいですわ。人災と見なし、罪をマルクトにかぶせる気ですのね」

 アニス、ティア、ガイ、ナタリア。彼らが口々に紡ぐ言葉が、ルークに自分が巻き込まれている事態の重大さを把握させた。アリエッタが握りしめた拳が微かに震えているのが、少年の視界の端に映り込む。

「モース、きっと止めない。預言通りにしたいから」
「でもでも、預言通りになったらご主人様、死んじゃうですのー!」

 ミュウが大きな目を潤ませて、ルークの腕にしがみつく。青いチーグルを抱きしめて、ルークはぎりと唇を噛んだ。やはり自分は、その預言からアッシュを逃すための代替物として創造されたのだ。

「少なくとも、この預言が成立すればキムラスカはしばらくの間繁栄することが約束されています。逆にマルクトは領土を失うことになります。……この場にいる者で、預言成就により不利益を被ると分かっているのは生命を落とすことになるルークと、マルクト所属である私だけですね」

 淡々と言葉を紡ぐジェイドに、全員の視線が集中する。感情を浮かべないまま、血の色を濃くした瞳は朱赤の髪の少年を見つめた。不利益を受ける、自分以外の存在を。

「どうしますか? ルーク。今なら、安全な場所に身を隠すことが出来ます」
「え」

 告げられた言葉の意味を理解するのに、僅かながら時間が掛かった。つまりジェイドは、アクゼリュスに行かなくても良いとルークに告げただけの話なのだが。
 しかし、その後に続く言葉がルークの表情を険しいものに変化させた。

「もっともその場合、アクゼリュスの崩壊はアッシュが手がけることになるでしょうね。そもそも、預言に詠まれた『聖なる焔の光』は彼のことですから」

 アッシュの名を出されて、ナタリアが狼狽えた。慌ててティアが背中を支えてやるが、金の髪の少女は顔を伏せ胸元で手を握りしめる。

「お前、俺に選べって言うのか。自分か、アッシュか」
「15年前のホドの崩壊は、超振動によるものなんです。それくらいの威力が無ければ、街を1つ滅ぼすことは出来ません。……街の住人を全滅させるだけなら、今の私の譜術でも十分ですがね」

 本気で相手を殺さんばかりの鋭い視線を、ジェイドは平然と受け止める。感情の介入を許さない彼の言葉は、室内の気温を肌で分かるほどに低下させた。

「ルーク。貴方には前に言ったと思いますが、貴方は1人で超振動を使用することが出来ます。貴方のオリジナルであるアッシュも、それは同じです」
「な……」

 更に突きつけられた事実に、ルークは言葉を失う。単独で超振動を発動させる能力を持つ存在が、ルークだけでは無いことをこの場で知らされて。

「考えておいてください、ルーク。いずれにせよ、我々が向かっているアクゼリュスには神託の盾が待っているでしょう。貴方かアッシュ、どちらかが街の破壊を強制されることは目に見えています。到着するまでに、心を決めておいていただきたい」
「……っ」

 もう、反撃するだけの言葉を口にすることはルークには出来なかった。無言のまま立ち上がり、ミュウを胸元に抱きしめたまま少年は駆け出した。

「ルーク!」

 1人イオンだけがすぐさま席を立った。乱暴にばたんと閉められた扉を開き、そのままルークの後を追って走り出す。その軽い足音が、それまで凍り付いていた同行者たちの時間を進める役目を果たした。


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