紅瞳の秘預言22 決心

 扉の方向をじっと見ていたジェイドが、軽い口調で肩をすくめる。

「少し、いじめちゃいましたねぇ」
「大佐、貴方は……」

 何てことを言うのか、と言葉を続けようとしたティアだったが、ふっと緩められたジェイドの表情に一瞬言葉を詰まらせた。
 凍り付いたような真剣な表情でも、意味のない笑顔でも無くジェイドは、バチカルへ向かう旅の中で幾度も見せていた穏やかな笑みを浮かべていたのだ。
 少女に見つめられているのに気づくと、ジェイドは青い指で眼鏡の位置を直した。

「大詠師モースにしてみれば、アクゼリュスが消滅すると同時に『聖なる焔の光』が消息を絶てば良い。つまり、ルークもアッシュも手を汚す必要はありません。しばらくの間姿を隠していればそれで良いんです」
「……へ?」

 ぽかんとアニスが口を開いたまま、言葉の意味を考えているのか動かなくなる。レンズの奥の目を細めながら、ジェイドは言葉を続けた。

「私が第七音素を利用して譜術を使います。あの街の地下には第七音素の元となる記憶素子が充満している場所がありますから、第七音素さえ使えればかなり強力な譜術が使用できるようになりますからね」
「で、では大佐が……」

 こちらはやっと意味を理解したのか、ティアがほっとしたように微笑んだ。柔らかい表情のままジェイドは頷く。彼女たちを安堵させるための表情を、形作って。

「ええ。ですから安心してください。ルークにもアッシュにも負担は掛けませんよ」

 無意識のまま左腕を右手で掴み、ジェイドは薄く表情を変えた。それは先ほどまでとは違う、彼が普段から浮かべている感情の無い笑みであり、故にティアにはジェイドの思考を読み取ることは出来なかった。
 不意にナタリアが、ばんとテーブルを叩きながら立ち上がった。視線を向けた先は、幼い頃から親しくつき合っている金の髪の使用人。

「そ、それならばルークにこのことを伝えなくては行けませんわ。ガイ、行きますわよ」
「俺もかよ!? んまあ、行きますけど」

 はいはいと肩をすくめつつ、ガイも立ち上がる。少し距離を開けて2人が出て行くのをじっと見送っていたジェイドの軍服の裾が、くいと軽く引かれた。
 視線を向けると、そこに立っているのは魔物使いの少女。彼女は泣きそうな表情のまま、じっと端正な顔を見上げていた。

「ジェイド。聞いても、良い?」
「何ですか? アリエッタ」
「ジェイド、ルークいじめたの、ルークに離れてほしかった?」

 不思議そうに首を傾げたジェイドだったが、アリエッタの問いには動揺したのか露骨に表情を変化させた。幼い時間を魔物の中で育った彼女の感覚は、時折他人よりも鋭いことがある。どうやら、ジェイドはそれを失念していたようだ。

「ママ、お兄ちゃんやお姉ちゃんに親離れして欲しいとき、わざといじめた。それで、お兄ちゃんやお姉ちゃんがいなくなっちゃった後、寂しがってる」

 アリエッタが言葉にしたのは、自然界ではよく見られる親離れの儀式。1人で生きていけるようになった子を親は追い立て、自身から遠ざける。アリエッタは人間でありライガとは成長の速度が違うため、母親たる女王の元で過ごす間何度かその場面を見ていたのかも知れない。
 そして彼女は彼女なりに、この軍人が急にルークに対し冷たい態度を取り始めた理由を、その親離れに当てはめて理解しようとしたのだろう。

「……どうも、私は芝居が下手になっているらしいですね」

 観念したように、ジェイドは笑って見せた。ルークやガイは完全に冷たい視線しか向けなくなっていたから、まさかアリエッタに見抜かれているとは思わなかったのだ。

「ジェイド、ルーク、嫌いじゃない? ルーク、きっとまだ、親離れには早い」
「はい。好きですよ」

 彼女にはもうごまかしは通じないと感じ、問われたことに素直に頷く。じっと自分を見つめている少女の表情が泣き顔から変化しないのが、少しだけ心に刺さった。

「良かった、ありがとう。……死んじゃ駄目」
「……お母上に、お元気でとお伝えください」

 笑顔を崩さないまま答えたジェイドの顔を見ていられないのか、アリエッタはしょんぼりと俯いた。2人の会話の意味を、アニスとティアは理解できないままでいる。


 赤い髪は、宿の裏口近くで見つかった。壁にもたれて座っているルークの傍に、ミュウとイオンが何も言わず寄り添っている姿を見て、ナタリアはほっと一息を付いた。

「ルーク。ああ良かった、ここにいらしたのですね」
「イオン様、ミュウ、済まないな」
「ナタリア、ガイ。ルークは大丈夫ですよ」
「みゅ〜。ご主人様、お迎えに来てくれたですの〜!」

 足早に歩み寄って来た2人に笑いかけるイオン。くいくいと襟を引くチーグルの頭を手で抑え、ルークは不機嫌な表情でそっぽを向いた。

「うっせぇな。どうせお前らも、俺かアッシュか選べっつーんだろ」
「いえ、そうでは無くて……アクゼリュスのことですけれど、大佐がやってくださるそうですわ」

 ナタリアが、嬉しそうに言葉を発した。顔の前で組まれた白い指が、どこか祈りを捧げているようにも見える。

「え? ……出来ないんじゃ無かったのかよ」
「いや、それがさ。第七音素を利用して譜術使えば行ける、って旦那が言ってた。だから、ルークもアッシュもやらなくても良いみたいだぜ。安全なところに隠れてろってさ」

 目を丸くして幼馴染みたちに顔を向けたルークに、ガイが笑いながらその髪をくしゃくしゃと掻き回す。2人の顔を見比べてミュウも、くるくると耳を回しながら笑顔になった。

「みゅみゅ! ジェイドさん、すごいですのー!」
「何だ、やっぱりあるんじゃないか」

 そこまで聞いてやっと、ルークの表情も明るいものに変わる。だが対照的に、イオンは元々白い顔を青ざめさせた。

「……まさか……その方法なら、聞いたことがあります」
「それなら、最初からジェイドがそうすりゃいいじゃん。何も、俺が超振動を使わなくたって……」
「駄目です! やめさせないと!」

 やっと浮き立った気持ちを、イオンの叫びが中断させた。かっとしてルークは壁から背中を離し、すぐ傍にいるイオンに噛みつくように反論の言葉を吐き出した。

「何でだよ! あいつが自分でやるっつったんだろ、やらせりゃ良いじゃねえかよ!」
「それでジェイドが死んでしまうとしてもですか!」

 イオンは、言葉を止めなかった。ジェイドの言う『方法』の危険性を今この場で知っているのは、自分しかいないことがはっきりしていたから。

「えっ?」
「……死ん、で?」

 金の髪の2人が、ぴたりと動きを止めた。言葉の意味を受け止められていないのか、その表情は一様に怪訝なものでしか無い。

「……へ? な、何言ってんだよイオン……」

 すぐ傍で導師の言葉を聞いていたルークも例外ではなく、ひくりと顔を引きつらせるだけに留められた。
 自分の言葉を理解しきれないのだと悟り、イオンは座り込んだままの少年の前に回った。碧の瞳を覗き込むように見つめながら、ひとつひとつの言葉をはっきりと音にしてルークの耳に流し込んで行く。

「ジェイドが第七音素を利用する方法を、僕は1つしか知りません。彼がその方法を使えることは、はっきりしています。だけど、そうしたらジェイドは……確実に死にます」

 貴方は貴方と言う1人の人間です。それを、忘れないでください。

 唐突に、ジェイドの穏やかな笑顔がルークの脳裏に蘇る。
 いつからか見ることの無くなった笑顔は、今目の前にいるイオンと同じように泣きそうな顔にも見えた。


PREV BACK NEXT