紅瞳の秘預言23 和解

 朱赤と深緑。対照的な2つの色を持つ2人の少年が、廊下の床に座り込み互いをじっと見つめていた。金の色を持った男女と空の色を身体ににじませた聖獣が、その2人を見守っている。

「……んな、確実にって……冗談だろ?」

 口の端をひくひくと引きつらせながら、やっとの事でルークが声を出した。それは僅かにかすれていて、少年の口の中がカラカラに乾いているだろうことが分かる。恐らくは、緊張で。

「だって、あいつだぞ。『死霊使い』ジェイドだぞ? そんな、死ぬわけ……」
「冗談ならどれだけ良いか、と僕だって思いますよ」

 イオンは、大きな目を潤ませながらそれでもルークの顔を見ている。薄い唇をきりと噛みしめて、しゃがみ込んだ自分の膝に置いた手をぎゅっと握りしめて。

「彼自身の身体に、第七音素を取り込む譜陣を刻みつけるんです。彼が自分の目に、音素を取り込む力を高める譜陣を刻んだのと同じように」

 そして、ゆっくりと説明の言葉を紡ぎ始めた。譜眼についてはコーラル城でガイが説明してくれたから、ルークも知ってはいるはずだ。

「第七音素を取り込むことが出来れば、それを利用して譜術を使うことは出来るようになります。だけど、先天的に素養を持たない人の身体は、無理矢理に取り込んだ第七音素に対して拒絶反応を起こします」
「拒絶、反応……」

 オウム返しに呟かれたナタリアの言葉が、床に落ちるようにして消えて行く。

 私は第七音素を扱う素養は無いので、通常の譜歌ですらそもそも意味を成さないんですがね。

 微笑みながらジェイドが口にした言葉を、ルークは思い出す。槍を扱う実戦にも長け、譜術士としては右に並ぶ者がいない彼にも出来ないことがあるのだと、驚いた記憶が蘇って来た。
 あの時ルークは、単純に現在のジェイドが第七音素を扱えないだけだと理解していた。彼は他の6種の音素を操ることが出来るのだから、第七音素もただ扱えないだけでどうにかやりようはあるのだろう、と高をくくっていた。
 また、第七音譜術士の数が少ないのはティアに教わって知っていた。だが、その詳しい理由までは知ることも無くここまで来たのだ。
 ──先天的に素養を持たない人間は、第七音素を『扱えない』のでは無く、『扱ってはならない』のだ。
 それをルークが知ったのは、たった今。元々さほど日焼けしていない少年の顔が更に青ざめたのは、きっとそのことを知ったせいだろう。

「拒絶反応って……どんな風になるんだ?」

 ルークの口から漏れた言葉が、僅かに震えている。イオンは1度目を閉じると、殊更に言葉を紡ぐ速度を落とした。そうで無ければ自分の声も震えてしまうと、そう感じたからだろうか。

「実例を見たことは無いんですが……書物によれば全身の音素が変異し、それと共に肉体も変化を起こして人の姿を失うそうです。肉体の音素が暴走を始めると精神も崩壊して、程無く死に至るとか」
「……心も、身体も……」

 そうしてイオンが口にした説明が、さらにルークの顔色を失わせる。傍で聞いているガイとナタリアも、元々白い肌から色を失いながら顔を見合わせた。

「そもそも、素養を持たない人間が第七音素を操ろうとすれば暴走して事故を起こします。これは創世暦の時代から何度も記録に残っているんです……だからこそ、素養を持つ第七音譜術士は重要視されている」

 導師のレプリカとしてこの世界に生まれ、与えられた役割についてからというものイオンにあまり自由は与えられなかった。預言を詠み、書類に印を押し、大詠師から命ぜられる任務に就くだけの日々。そんなイオンの気晴らしは、護衛として付けられた導師守護役の中から自らが選んだアニスとの会話と、そして読書だった。
 オリジナルよりも体力が落ちていることもあり、外に出ることの余り無いイオンは図書室に籠もり、数多の蔵書を読み漁ることを楽しみとしていた。その中にはローレライ教団の教えに反する禁書として封印された書物も多数存在し……そうして見つけたうちの1つが、第七音素が素養を持たない者に対して与える害毒を記した書物だった。
 自身がその生まれにおいて第七音素を大量に使用するレプリカであるイオンはその内容に興味を持ち、禁書をじっくりと読み込んで内容を覚えきったのだ。まさか、こんな所でその記憶を引きずり出すことになるなどとは思わずに。

「素養を持たない者が第七音素を無難に扱うための音機関も存在はしています。だけどその開発及び製造コストは、第七音譜術士を1人育てるのに必要な費用の何十倍も何百倍も掛かります。それに、その音機関を造れる技師もとても少ない。だから、現在第七音譜術士は先天的に素養を持つ者だけがなることが出来るんです」

 そう言われてルークが思い出したのは、コーラル城にあった巨大な音機関。ディストはその巨大譜業を利用してルークを生み出し、ジェイドの傷を癒した。レプリカ製造はともかくとして、治癒士が自分の身1つで行える治癒譜術を彼は城の地下室の大半を占めていたあの音機関無くしては行えない、と言うことに今更ながら気づかされた。

「私は治癒士の修行をしていますけれど、確かにこの力は重要なものだと先生から教わりましたわ。ですが……そう言った事情がありましたのね」

 ナタリアが、頬に手を当て考え込みながら言葉を口にする。半眼のまま彼らの話をじっと聞いていたガイが、顔を上げてイオンに視線を向けた。

「……旦那は、知ってるのか?」
「知っているはずです。譜陣付与の技術は彼が開発したものだそうですから、知っていて黙っているんでしょう……僕はたまたま書物で読んだことがあったから知っていましたが、現在その技術は封印されているんです。だから、知っている人は少ない」

 肩越しに振り仰ぎ、少年は問いに頷いて答えた。自分の膝の上で大きな耳を揺らせるミュウの頭を撫でてやりながら、ルークは唇を噛む。

 守ります。

 最初に出会ってから程無く、かの軍人は少年に告げた。その通りに彼は傷を負い、身柄を拘束されながらもずっと少年を護り続けて来た。
 それなら、今彼がやろうとしていることもきっと、ルークを守るためなのだろう。
 身体と心を壊し死んでしまうと言う結末になったとしても、ジェイドはルークを守るという言葉を最期まで違えることは無い。
 だが、ならば何故ジェイドはルークを見下すような発言をして見せたのか……それが、ルークには理解出来なかった。

「ルーク」

 その答えをもたらしたのは、とことこと歩み寄ってきた桜色の髪を持つ少女だった。胸にぬいぐるみをギュッと抱きしめ、顔を半分隠しながらアリエッタはまっすぐに、ルークの元まで辿り着く。

「アリエッタ?」

 座り込んだままのルークをじっと見つめ、アリエッタはしばらく口をもごもごさせていた。やがて、どうにか言いたい言葉を構築することが出来たのかおずおずと口を開く。

「あのね……あのね。ジェイド、ルークに悲しんで欲しく無いの」
「え?」
「ジェイド、ほんとはルークのこと好き。でも、ルークが悲しいといけないから、いじめたの。嫌いになって欲しかったから」

 人の間で育った期間の短いアリエッタは、同年代の他の人物よりも語彙が少ない。だがそれ故に、彼女は言いたいことを素直な言葉で示す。その幼い容貌が浮かべる表情も偽りの無いもので……だからルークは、アリエッタが嘘をついている訳では無いのだとすぐに理解出来た。

「嫌いな相手なら、離れても悲しくないから……ですか?」

 イオンが低い声で呟いた問いに、アリエッタはぬいぐるみに顔を埋めながら小さく頷いた。

 今なら、安全な場所に身を隠すことが出来ます。

 感情を消した顔で、ジェイドはそうルークに告げた。きっとそれは、彼だけに向けられた言葉では無かったのだろう。全ての同行者たちと、そして恐らくはその場にいないアッシュにも。
 青い服の軍人だけが、意味のない笑みを浮かべながら鉱山の街と共に消えるつもりなのだ。
 短くはない旅路を共にした少年たちから、ずっと誤解を受けたままで。

 嫌いな相手が死んでも、ルークを悲しませずに済むから。


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