紅瞳の秘預言23 和解

「私が貴方の役割を担えば、貴方とアッシュは預言を越えて生き延びることが出来るでしょう。その後はキムラスカに戻るか、それともマルクトに逃れるか、お好きになさってください。皇帝陛下には前もって貴方がたのことをお知らせしてありますから、悪いようにはなりません」

 ピオニーはジェイドの持つ『記憶』を全て知っている。ルークやイオンがレプリカであることも、モースが預言遵守のためにルークを殺そうと画策していることも、ヴァンがオールドラント表層をレプリカ世界に塗り替えようとしていることも。その上でジェイドを裏からサポートし、議会への工作を行い世界の行く末を『記憶』とも、第七譜石に記された秘預言とも違う未来へ導こうとしている。
 だから、例え自分が死んだ後であってもルークたちがマルクトに逃れれば、彼は保護してくれるはずだ。レプリカであるルークは、ジェイドにとって我が子のような存在なのだから。

「……駄目だ」

 だが、ジェイドの提案にルークは首を振った。『あの時』とは違いまだ長い朱赤の髪が振り乱されて、白のコートにラインを描く。

「どうせ無理矢理にでもやらされるんなら、俺が自分でやる。超振動で、アクゼリュスを壊す」

 天板の上に自分の掌を広げ、それに視線を落としてルークは言った。ぐっと手を握りしめ、上げられた視線が譜を刻んだ真紅の瞳をレンズ越しに射抜く。

「アクゼリュスを壊すのは、やらなきゃみんなが困るんだよな? 良く分かんないけど、アッシュがそんなこと言ってたような気がする」

 セフィロトをもう1つ落とさないと、アルバート式封咒は解除できない。

 廃工場を出たところで出会ったアッシュから告げられた、ディストの伝言。重要な固有名詞はまったく含まれておらず、恐らくは伝えるよう頼まれたアッシュ自身にもその正確な意味は分からなかっただろう。この時点でアクゼリュスの第十四坑道奥にセフィロトツリーを構築するためのパッセージリングが存在することは、恐らくローレライ教団の上層部しか知らないのではあるまいか。
 だがルークは、少なくともアッシュが託された伝言がアクゼリュスに関わるものであり、それが遂行されなければやがて世界が危機に陥るであろうことに何と無くではあるが気づいていたらしい。アッシュもそうだがルークも頭の回転が速く、勘が良い部分があるところをジェイドは『記憶』の中で知っていたから、さほど驚くことは無かった。

「ですが、貴方に負担が掛かります……」
「それでもジェイドは死なない。俺はちょっとしんどくなるかも知れないけど、それでも死にはしない。音素のコントロールの仕方は、あんたが教えてくれた」

 反論しようとするジェイドの言葉を封じるように、ルークは強い口調で言葉を重ねる。テーブルの上に身を乗り出し至近距離でジェイドの顔を見つめる瞳は、怒りと悲しみがない交ぜになっていた。

「俺があんたのこと嫌ったら、あんた自身に何が起きても俺が悲しくないとか考えてたんだろ」
「……それは……」
「んな訳あるか!」

 噛みつくような、ルークの叫び。子どもの真剣な眼差しが、必死にジェイドを見つめている。その表情は『記憶』の中で、ジェイドの心に何度も刻まれていた。
 セントビナーで、民衆の避難を手伝っていたとき。
 パッセージリングの操作を自身が行う、と言ったとき。

 ──障気中和を、自分がやると決めたとき。

 こんな時ルークは、自分の意志を引っ込めない。それをジェイドは知っている。だから彼は口を閉ざし、少年の次の言葉を待つことにした。

「そりゃちょっとは平気かも知れないけど、さ」

 多少興奮が収まったのか、ルークの声量が落ちた。だがその視線がずっとジェイドの顔から離れることは無く、ジェイド自身も大人しく彼の言葉に聞き入っている。

「だけどジェイドは俺にいろんなこと教えてくれて、俺のことずっと守ってくれて……あんたがいなきゃ、そもそも俺は生まれて無かったんだよな」
「……はい。そうなりますね」

 そう尋ねられ、ジェイドはかすれ声で答えた。それは、否定のしようが無い事実だったから。
 元々、フォミクリーの技術を生み出したのはジェイドである。生体レプリカであるルークは、そのフォミクリーが無ければこの世には存在し得ない。カンタビレがジェイドをルークの生みの親だと称したのは、間違いでは無いのだ。

「……そんだけ、俺にとってあんたは大事な奴なんだ。もし死んじまったりしたら、いくら嫌いでも悲しいのは一緒だよ……それに、何か誤解だったみたいだし」

 俯いてしまったジェイドの顔を覗き込むように、ルークが下から見上げてくる。その表情が『記憶』の中にいた短い髪のルークを思い起こさせたが、ジェイドには視線を逸らすことが出来なかった。
 出来たのは、もうひとつ念頭に置いていた彼との友情を裂く理由を口の端に乗せることだけ。

「……生まれはどうあれ、貴方はキムラスカの王族で私はマルクトの軍人です。あまり近しい仲になってしまっては第三者から見た場合、互いに内通を疑われてもおかしくありません。現在のところは和平交渉の前段階ですが、小さなきっかけでまた敵になる危険性を孕んでいます」

 ジェイド自身は皇帝ピオニーの懐刀であり、当の皇帝は内通の可能性を全くもって気にしてはいない。だがルークの方は王族のレプリカと言う存在であり、キムラスカの上層部がどう言った目で彼を見るかをジェイドは『記憶』の経験で知っていた。いや、意図的に行動を違えているこの世界では、『記憶』より更に酷い扱いを受ける可能性があることも分かっている。『死霊使い』と長らく旅路を共にしているこの少年が、マルクトのスパイに仕立て上げられているのでは無いかなどと言う疑念を持たれるかも知れない。もっとも、ジェイドと『初めて』会った直後のナタリアがそう言った疑惑を胸に抱いていたことを彼は知らないのだが。
 だから。

「……だから、わざと嫌なこと言ったのか?」
「本来は、お互い距離を置くべきなんですよ。たまたま出会って、たまたま目的が合致しただけの同行者なのですから」
「……そんなこと、言うなよな……」

 苦笑を浮かべ頷いたジェイドに、今度はルークが顔を俯けた。それはどちらかと言うと彼の顔を見られないと言うよりは単にしょげただけのようで、テーブルの上で自身の指をちまちまと動かす様子が幼子のごとく見える。いや、実年齢は未だ7歳の幼子なのだけれど。

「俺、キムラスカとマルクトの関係がどうとか、あまり詳しいこと知らねえ。せいぜい父上がマルクトの人から恨まれてるとか、逆にジェイドがキムラスカの人間に嫌がられてるとか、そのくらいしか分からない」

 そこまで言って、ルークの顔が上げられた。先ほどまでのようにどこか思い詰めた表情ではあったが、僅かに強張りが緩んでいるようにも見える。ジェイドが先を促すように微かに首を傾げると、ルークはおずおずと口を開いた。

「でもさ、これから戦争無くして仲良くしたいんだろ? 少なくとも、マルクトの皇帝陛下はそのつもりなんだろ? イオンだって賛成してくれてるんだ。だったらさ、別に俺とジェイドが友達だっていいじゃんか」

 照れくさそうに笑った少年は、テーブルの上に置かれていたジェイドの手に自分の手を重ねた。外部との交流がほとんど無かった少年が1人で考えて至った、好意を伝えるための行動として。

「その、俺、友達ほとんどいねーしさ。外に出られなかったから、ジェイドがいろいろ教えてくれたのってすっげえ楽しかったんだぞ」
「ありがとうございます」

 ジェイドも素直に笑って答える。ルークの手の下でもそりと指を動かして、ふと言葉を繋いだ。

「……私と友人になっても、大して得は無いと思いますがねえ」
「ほら、そう言う物言いするから誤解されるんだぞ、ジェイドは」

 途端、ルークの頬が膨れた。ジェイドの形の良い鼻先に人差し指を突きつけて、軽くくりくりと捏ね回してやりながら僅かに強められた口調の言葉を投げかける。

「あんたは損得で友達作るのか? 皇帝陛下やディストと仲良しなのは、あんたにとって得だからか?」

 真正面から睨み付けるように見つめられて、ジェイドは目を見張った。
 変な物言いをしてはいるものの、ジェイド自身は元々欲求が薄いのか、他人との付き合いに関して損得を加味したことはあまり記憶に無い。そもそも、そう言った思考を描いたことは無いのだ。

「……考えたこと、ありませんでした……そうか、そうですよね」

 少し顔を伏せ、ルークが挙げた2人の顔を思い浮かべる。
 マルクトの至高の座に着く、太陽のような色の髪と性格を持つ彼。
 薄闇の中で研究に没頭する、月のような色の髪を持ちずっと自身を好いていてくれた彼。
 2人を思い出すだけでジェイドは、胸の奥のどこかが暖かくなるのを感じた。これは利害の外にある感情なのだと、いくら感情に疎いジェイドでも理解は出来る。

「現在の立場から考えれば、確かに陛下やサフィールと友人であるのは得だと思います。ですが、彼らと出会ったのは子どもの頃ですから……利害関係ではありません。単純に、友人です」
「だろ?」

 正直な考えを声に出して表現すると、朱赤の髪の少年は少し自慢げに胸を張りながら頷いた。自分の言葉を年上の友人に受け入れて貰えて、よほど嬉しかったのだろう。
 ふと、その表情が曇った。量の多い髪をくしゃくしゃと掻き回しながら、ルークが頭を下げる。声を詰まらせながらも紡がれた、謝罪の言葉と共に。

「……その、さ。多分俺、ジェイドのこと誤解してたと思うんだ。その、偉そうなこと言ってごめん」
「いえ。誤解されるだけの原因がこちらにあったのですから、謝るのは私の方です。変な誤解をさせてしまって、済みませんでした」

 ジェイドも、素直に頭を下げた。他人への謝罪をしたことが無いわけでは無かったけれど、純粋に自分が悪いと思っての謝罪は果たして何度したことがあっただろうか、とジェイドは少しだけ唇の端を引き上げた。


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