紅瞳の秘預言24 問答

 がしゃがしゃと言う金属の擦れ合う音が、静かな山の中に響き渡っている。その中にがらがらと言う車輪の音が混じり、アクゼリュスがマルクト領になって以降ほとんど使われることの無かった街道はにわかに騒がしさを取り戻していた。
 音の元は整然と隊列を組み進んでいる神託の盾兵士たちと、彼らに周囲を守られている数台の馬車。無機質な音を立てながら進んでいた一行は、やがて僅かな平地でその動きを止めた。手綱を置いた馭者が台から降り、車両の扉を外から開けて内側へと声を掛ける。

「馬車はここまでが限界でさぁ。すいませんねぇ」
「いえ、助かりました。さあ皆さん、降りますよ〜」

 乗客を代表してジェイドが微笑んだ。それから一緒に乗り込んでいる子どもたちを見渡して声を掛けると、一斉に「はーい」と言う返事が戻って来た。この中では一番背の高い軍人が先に降り、同行者たちに手を貸して次々に降ろして行く。別の馬車からも、同行者たちが地面へと足を踏み出していた。

「お約束の後払い分です。少し色を付けておきました」

 全員が久しぶりに外の空気を胸一杯に吸い込んだところで、ジェイドは馭者に小さな袋を手渡した。じゃらりと鳴った音とその重みに、馭者が顔色を変える。

「こ、こんなに!?」
「ええ。どうぞお納めください」

 落ち着いた笑みを浮かべてジェイドが頷くと、馭者はこっそり冷や汗をかきながらも小袋を懐に押し込んだ。カイツール軍港からデオ峠の麓までの道程を完全借り切りと言う条件だったためか、本来の相場よりかなり多めの代金を渡されても当然だと考えたのだろう。

「へ、へぇ……それじゃまあ、有り難くいただいときます」
「ああ、口止め料も入っていますからね。よろしくお願いしますよ?」
「ひっ……しょ、承知しやした」

 ほんの一瞬、薄く細められたジェイドの目が冷たい光を宿す。その視線に震え上がり、顔を真っ青にしながら馭者はぺこぺこと頭を下げた。そうして心の中で、絶対に彼らのことを口にはすまいとローレライへの誓いを立てる。

「そ、それじゃこれで失礼しまっさ。預言の加護がありますように……行くぞ!」
「ありがとうございます。貴方にも音素の加護のあらんことを」

 軽い目礼を交わし、馭者は馬車に乗り込むと鞭を振るった。乗客を降ろしたせいか少し軽くなった音を立てながら、馬車は今来たばかりの道を麓の方へと戻って行く。それを見送ってジェイドは、同行者たちの方に視線を戻した。

「ふー。座りっぱなしだったから腰が痛ぇ」
「ルーク、おっさんくさー」

 腰に手を当てて伸びをするルークに、アニスが顔をしかめた。肩をすくめて微笑むナタリアとティア、肩を落として溜息をつくガイ。そんな中イオンはいつものように爽やかな笑みを浮かべ、「まあまあ」と宥めた。

「途中から山道になりましたから、揺れが少し厳しかったんでしょう」
「……お尻、痛い」

 少年の横に立っているアリエッタが、腰をさすりながら涙目で訴える。馬車での長旅には慣れていなかったのだろう。そう言えばルークもまだまだ長旅には慣れていないことを全員が思い出し、互いに顔を見合わせた。

「んまー、ここまで馬車で来れたおかげでだいぶ楽したんだし。贅沢っちゃ贅沢だよぉ」

 気分を変えようとしたのか、頭の後ろで手を組みながらアニスが言った。手にぶら下げていた荷物を背負い直しながら、ルークも頷く。

「そだなー。神託の盾のみんなには歩かせちゃったけど」
「この人数分の馬車を確保するのは大変ですからね。……少し、時間稼ぎもしたかったですし」

 前半は普通の声量で、後半はボリュームを落としてジェイドが答える。悪戯っ子のようにぺろりと舌を出して見せると、ナタリアが口元に手を当ててくすくす笑った。

「あらあら、そうでしたわね」
「みゅみゅ。内緒ないしょですの」

 ナタリアの真似をして、ミュウも自分の口に手を当てる。大きな耳がゆらゆらと動いて、彼を肩に乗せているルークの頬に軽くぶつかった。「おら、邪魔だブタザル」と軽く耳を避けてやるルークを見てから、ティアがジェイドに視線を移した。

「それで大佐、この先がアクゼリュスですよね」
「ええ、デオ峠を越えた先になります。ここからしばらく歩きになりますが、大丈夫ですか?」

 『記憶』に残る道筋を辿りながらジェイドは頷いた。『前回』はこの辺りでリグレットの襲撃を受けたような気もするが、ぼんやりとしか思い出せない。思い出せるのは彼女が撤退した後に見た、ルークの今にも泣き出しそうな怒り顔だけ。

 多分、『前の私』はここでルークを傷つけたんでしょうねえ。どうせ説明不足だとは思いますが。

 彼の『記憶』には、はっきり覚えている部分とそうで無い部分でかなりのムラがある。バチカルへ向かうときのキャツベルトなどもそうだが、思い出せない部分は本当にぼんやりと情景が見えるだけだ。重要な知識は詳細過ぎるほど残っているから、『戻って』来るに当たり『記憶』の取捨選択を行ったのだろうか。
 ほんの一瞬だけ自分の内側に潜り込んだジェイドの意識を外部へと引きずり出したのは、元気いっぱいなルークの答えだった。

「大丈夫大丈夫、俺だってこのくらい歩けるぜ。バチカルに帰るときだって頑張って歩いたしなー」
「おー、ルーク頼もし〜♪」

 おどけたように声援を送るアニスの横で、心配そうにアリエッタが見上げている。その視線に少年が気づくと、幼いけれども実年齢はティアより少し上である彼女はにこっと笑った。

「ルーク、しんどくなったらお兄ちゃんに乗って」
「アリエッタ、甘やかすのはいけないと思うわよ?」

 ティアが肩をすくめ、アリエッタをたしなめた。桜色の髪の少女はぬいぐるみをきゅっと抱きしめると、少し不服そうな表情を浮かべる。

「でも、ルークしんどそう」

 要するに、アリエッタはルークの「腰が痛い」と言う台詞をまともに受け取ったのだろう。それに気づいたルークが、慌ててぱたぱたと手を振った。そして、彼らの会話を楽しそうに見ていた導師をアリエッタの目の前に押し出す。

「いやいや、俺乗せる前にイオン乗せろよ。確実に俺より体力無いぞ」
「え? あ、いや僕は……」
「うんっ、ルークがそう言うならそうする」

 彼女もルークの言い分には納得したのか、大きく頷いて満面の笑みを浮かべる。目を白黒させていたイオンも、やがて諦めたのかはぁと小さく溜息をついて「それじゃ、その時はよろしくお願いしますね」と答えた。

「そろそろよろしいですか?」

 彼らの会話が一段落付いたところで、神託の盾兵士の1人がそっと様子を伺いに来た。周囲を見張っている他の兵士たちを待たせていることに、そこでやっと彼らは気づく。

「ええ。そちらの休憩は?」
「この程度の強行軍には慣れております。ご心配無く」
「分かりました」

 兵士とジェイドが、短く言葉を交わす。最後に頷いてから、真紅の瞳はちらりと2人の親善大使に向けられた。いち早く気づいたナタリアが、淡く笑みを浮かべる。

「では、行きますわよ。ルーク」
「おっしゃ、行こうか」

 幼馴染みの少女に頷いて、ルークが荷物を持ち直すと全員に声を掛けた。ゆっくり動き始めた一団の中で、ガイは青い眼を細めながらルークの顔をひょいと覗き込む。

「早々に疲れたとか言うなよ?」
「言わねーよっ。ってーか、こう言う場合って一番体力の無さそうな奴に合わせるんじゃねえの?」

 ぷうと頬を膨らませながらルークが視線を向けたのはイオン。少年の荷物はアニスとアリエッタが分散して持っており、彼自身が手にしているのは音叉型の杖だけだった。
 それでもルークの言い分を受け入れたのか、ティアは緑の髪の少年に視線を向ける。

「そうですね。イオン様、疲れたらちゃんとそうおっしゃってください。無理してはいけませんよ」
「はい、そうします」

 ゆっくりと大地を踏みしめながらイオンは頷いた。そして、ふっと自分の足元に視線を向ける。
 ルークやナタリアたちが同じように時折足元を気にするのは、あの日聞いた話がずっと心の中に残っているからだろう。


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