紅瞳の秘預言24 問答

 ケセドニアの夜を過ごした宿屋。ルークたちとジェイドとの和解がなった後、彼らは再び元いた一室に集合していた。テーブルの上に広げられていた資料に関する説明を、ジェイドから受けるためだった。
 まずはセフィロトの位置。そして、イオンが受け取ったディストからの書簡に入っていたこの世界の構造をジェイドは、出来るだけ平易な言葉を使って彼らに説明して見せた。

「外殻大地、と、魔界……」

 ルークたちはジェイドとイオン、そして自身が魔界出身であることを明かしたティアから聞かされたこの世界の構造をいまいち飲み込めずにいた。ティアを除けば、実際にその構造を見たことが無いからなのだろう……それは仕方の無いことだ、とジェイドは思う。自身とて、『記憶』の中でアクゼリュスが崩壊し魔界に落ちるまでその二重構造を知ることは無かったのだから。

「……何か、実感湧かねえなあ……」
「ですわよね。この地面が実は高い空の上にあるなんて」

 とんとん、と床を踏みしめるルークを見ながらナタリアが溜息をつく。まじまじと床を見つめ、ガイが腰に手を当てながら軽く頭を振った。短い金の髪は、僅かに揺れてその動きに答える。

「それを、セフィロトの下に生えてる柱が支えてくれてるってのもなぁ。まあ確かに、セフィロトってのは世界各地に散らばってるみたいだけどさ」
「これは、ローレライ教団上層部のみに伝わる最高機密です。他のほとんどの方々は、生まれてから死ぬまでそれを知ることは無いでしょうね」
「私も、魔界育ちで無ければ知らなかったと思います。兄は既に主席総長の地位にありますから、知っていてもおかしくは無いんですけれど」

 イオンが真剣な顔をして紡いだ言葉に、ティアも深く頷く。椅子に腰を下ろしているイオンに寄り添っているアリエッタは、少し考えてから口を開いた。

「アリエッタは、ヴァン総長とディストから教えて貰った。アッシュも一緒にお話聞いた」
「つまり、師団長より上の方々はご存じと言うことですのね」

 アッシュの名を聞いて、ほんの僅か顔を赤らめたナタリア。ちらちらと彼女たちの顔を伺っていたアニスが、ティアに向けて身を乗り出した。

「そう言えばティア、リグレットに直で指導受けてたんだっけ。やっぱ魔界で?」
「ええ。私が外殻大地に出て来たのは今回……って言うか、ファブレのお屋敷に行く前に出て来たのが初めてよ。知識では知ってたけれど、空が青くて空気が綺麗でびっくりしたわ」
「あー、大地が蓋になってて太陽の光が届かないのか。そりゃ驚いたろうなあ」

 ティアの言葉を受け、ガイはその様子を脳裏に描いてみようとして失敗した。ティアが外殻大地に出てくるまで青い空を想像出来なかったように、今の彼らには天を閉ざされ障気で満たされた魔界の空を想像することは出来ないだろう。実際に、その目で見るまでは。

「それで、大佐が何で知ってるの……ってのは聞くだけ野暮ですかぁ?」
「やっぱりディストから聞いたの?」

 アニスとアリエッタ、2人の少女が揃って青の軍服を視界に入れた。視線に気づき、彼女たちの方を向いたジェイドの表情は、すっかり元の穏やかな笑みを取り戻している。この表情が再び見られただけでも、ルークと仲直りしてくれて良かったとジェイド自身を除く全員がそう感じていた。

「ま、野暮と言いますか私は長く軍人をやっていますからね。それなりの情報網も持ってるんですよ。サフィールから戴いた資料ももちろんありますが」

 彼らの心境を知ること無く、指先で眼鏡の位置を直しながらジェイドは答えた。幼馴染みが送ってよこした資料はある種のカモフラージュであり、元々ジェイドが『未来の記憶』を持っているために全てを知っていると言うことをカバーするためのものなのだから。

「蛇の道は蛇、ってことか。……それで」

 一瞬だけ笑みを浮かべてから、ガイが話題を元に戻した。図解に視線を向け、外殻大地と記されている部分を指先で軽く叩く。

「この大地を早めに元の陸地に降ろさないと、とうに耐久限界を迎えている柱……セフィロトツリーだっけか、が耐えきれなくなる。で、降ろす前処理としてセフィロトの操作を禁じている封咒の解除が必須で、そのためにはアクゼリュスのセフィロトを壊すことが必要になる……と」

 青年が口にしたのは、受けた説明の簡易的なまとめ。ディストがアリエッタやアッシュに託した伝言などを揃えて状況を鑑みると、結局はそう言うことになる。
 預言の通りに、アクゼリュスは破壊されなければならない。そのことを確認するかのように向けられた青い視線に、ジェイドは笑みを消して頷いた。

「はい。セフィロトを破壊すれば街の真下にあるセフィロトツリーを消すことになりますから、必然的に街も消えます。あの地一帯は魔界に崩落し、地面には大きな穴が開くでしょうね」
「それにルークが巻き込まれるから、あの預言か」

 大きく溜息をつくと、吐き捨てるようにガイは呟いた。『そこで若者は力を災いとし、キムラスカの武器となって街と共に消滅す』と言う言葉の意味を、今更のように理解する。
 ──この際、かの預言がもうひとつの意味を持つことにジェイドは触れなかった。レムの塔における障気中和は、その前にプラネットストームを抑えてしまえば起きることでは無いから。

「そのセフィロトは、アクゼリュスの坑道の最奥部にあるのでしたわよね。そうなると、そこを壊してから街の外に脱出するのはまず不可能ですわ」

 アクゼリュス内部の地図は、第六師団の兵士が元鉱山夫を通じて手に入れた。少し古いものではあるが、セフィロトへと繋がる第十四坑道は正確に記されておりその最奥部に何らかの空間があるであろう扉が描かれていた。イオンで無ければ開くことの出来ない、ダアト式封咒によって閉ざされた扉。
 『記憶』の中では後戻りすることも叶わず、その場にいた全員がティアの譜歌に守られ魔界へと落ちて行った。ヴァンとアッシュはグリフィンの背に乗り天井に生じた亀裂から上空へと逃れたのだが、現在同行している全員を魔物たちの背に乗せ運搬するには恐らくあの空間は狭すぎるだろう。

「アリエッタ、お友達に頼もうか?」
「地底深くですからね、恐らくさほど広くない空間です。かなり危険ですよ」

 だから、アリエッタ自身の提案をジェイドはやんわりと退けた。あの魔物たちはアリエッタにとっては兄弟、友人であり、その彼らを危険に晒すのはさすがに気が引ける。
 それでも引かない様子の少女に、小さく溜息をつく。ならば、彼女が守りたい人物だけでも。

「……最悪、貴方とイオン様だけでも逃げられるならばそうしてください。ダアトが危ないのであれば、グランコクマに行けば陛下がどうにかしてくださいますから」
「うん、分かった」

 こくんと頷いた少女の表情は、明るく晴れていた。自身の意見が受け入れられたことに喜んでいるのだろう。
 そんなアリエッタの笑顔を見て、ティアが何かを決意したように小さく頷いた。全員の顔を見渡し、自身の胸に手を当てる。

「大丈夫、私が何とかするわ」
「ティア、君がかい?」

 不思議そうに目を見張るガイの横で、ルークが「あ」と声を上げた。彼女が声を上げると言うことは、その手段は恐らく1つだけだから。

「もしかして、譜歌か?」
「ええ。前に聞いたことがあるの……魔界に落ちた子どもが、譜歌を歌って助かったって」

 ティアがわざと固有名詞を口にしなかったことに、ジェイドは僅かに眼を細めた。
 この場合の『子ども』とは即ち、彼女の実兄であるヴァンのことだ。ホドの崩落時ティアはまだ生まれてはおらず、だから当時の事柄について彼女が知っていることは周囲からの伝聞になる。
 ホドの崩落に巻き込まれたヴァンは、ティアを身ごもっていた自身の母を守るために譜歌を歌った。その効力からか彼らは魔界への軟着陸を果たし、ユリアシティから派遣された調査団の一行に救出された。
 保護されたヴァンの母はティアを魔界で生んだ後死し、2人の『ユリアの子孫』はユリアシティを統べるテオドーロ市長の義理の孫として育てられ今に至る。
 つまり、兄の経験を元に彼女は同行者たちを守りきるつもりなのだ。『記憶』の中で彼女が行動した、そのままに。

「では、アリエッタのお友達とティアの譜歌の二段構えで行きましょう。アッシュも合流してくれると思いますから、彼に同行しているグリフィンもいますしね」

 ジェイドが頷いて答えると、ガイはしばし思考を巡らせた後軽く眉をひそめた。口元に手を当てて、全員から視線を外すように目を動かす。

「ただ、問題は……ヴァン謡将か。こっちが事情をある程度知っていることがバレれば、どう言った手を打ってくるか分からないからな」
「ディストとアリエッタがこちらについていることは主席総長、知ってるよねえ。ってことは、大雑把な事情はそっから漏れてると考えてんじゃないかなあ?」

 アニスがガイの言葉を受け、彼女なりの考えを口にする。が、耳に届いた小さな声に少女はぎくりと冷や汗を掻いた。

「師匠……」

 主席総長、と言う単語を耳にしてルークがふっと表情をかげらせたのだ。
 これまでの様々な証言から、敬愛する師匠が犯罪者であり自身をアッシュの代替物として創造したことは理解している。けれどルークは、自身がこの世界に生み出されてから7年間優しく厳しい師であったヴァンを、どうしても自分の心から追い出すことは出来なかった。

「ルーク、大丈夫ですか? やっぱり、ここはアッシュに」
「いいよ。俺がやるって決めたんだから」

 ナタリアが顔を覗き込みながら尋ねると、慌てたように少年は顔を上げて首を振った。納得は出来ていなくても、ヴァンが陰謀を胸に秘め行動していることは既に分かっているのだから。

「師匠が何を考えてるのか、俺にはまだ良く分からない。だけど、もし師匠がおかしなことを考えているんなら弟子である俺が止めなきゃいけないもんな」

 ぐっと胸元で拳を握りしめ、低い声で言葉を紡ぐ。そんなルークの横顔を、ジェイドは感情を消した表情でじっと見つめていた。


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