紅瞳の秘預言25 真意

「ああ、そうそう。忘れるところでした」

 不意にアスランが、ぽんと両手を叩いた。ジェイドに向けられた視線はどこか悪戯っ子のような暖かいもので、不思議そうに首を傾げる彼にそれでも悪印象を感じさせることは無い。

「グランコクマに、ネイス博士から鳩が届きました。こちらにはカイツール経由で連絡が入りましてね」
「サフィールから?」

 『ネイス博士』の呼称を使われるのは、この場にいない彼にしてみればマルクト出奔以来十数年ぶりなのではないだろうか。そう思考を巡らせているジェイドの目の前で、ルークが顔一杯に疑問符を浮かべながら首を捻っていた。

「ネイスって……聞いたことあるんだけどなー」
「うーん……あー!」

 同じように考え込んでいたアニスが、思い出したのか大声を上げる。びくんと身体を震わせたライガを慌てて宥めるアリエッタを他所に、少女はルークににじり寄った。

「ディストの本名だよ、確か。サフィール・ワイヨン・ネイスだったよね」
「ああ、そうだそうだ。思い出した、ジェイドが一度言ってた。ナイス思い出し」
「へっへー、任せて〜」

 ぽんと掌同士を合わせ、にっと笑いつつ互いの顔を見てから子どもたちはくるりと視線を2人のマルクト軍人に向けた。長い髪を掻き上げながらジェイドが、幼馴染みの名が出された理由をアスランに問う。

「珍しいですね。彼は何と」
「はい。アクゼリュス住民の救出について神託の盾第六師団に協力を要請したことと、特務師団長アッシュ及び第三師団長アリエッタ両氏の協力を得たことの報告がありました。おかげでこちらは本隊と第六師団との合流を選ぶことが出来たんですよ」

 アスランの答えに、ジェイドは改めて彼の顔を見やった。正確には、その報告の向こう側で悪戯っ子のように笑っているだろうディストの顔を。
 ジェイドはディストには自身への協力だけを要請しており、具体的に何をして欲しいのかはルークに関する事項以外指定したつもりは無い。だから、それ以降にディストが取り計らった数々の便宜は全てディスト自身がジェイドのためにと考えてしてくれたことばかり。

 ……どこまでも、面倒を掛けています。私には貴方に返せることなんて、何も無いのに。

 心の中だけで自分を慕ってくれている幼馴染みに謝りながら、平静を装いつつジェイドはゆったりと頷いて見せた。自身はあくまでも、冷静沈着で無ければならない。そうで無ければ、この個性豊かな親善大使の一行を守りきることなど出来はしないのだから。

「なるほど。アッシュは別行動を取っていますが、アクゼリュスで会えると思います。アリエッタのグリフィンを使っていますから、それだけ気をつけていただければ」
「うん。アッシュ、アリエッタのお友達と一緒。アリエッタは、イオン様と一緒にいる」
「分かりました。申し渡しをしておきます」

 ジェイドの返答とアリエッタの言葉を受け取ったアスランは微笑みを浮かべた。そして、もう一度くるりと全員の顔を見回す。その表情は、誰かを捜しているようにも取れる。

「それから……導師守護役のアニス・タトリン奏長はどなたですか?」
「はーい、あたしでーす」

 珍しく階級付きで名を呼ばれ、黒髪の少女が勢い良く手を挙げた。彼女の顔を見つめ、一度同僚に視線を向けたアスランはジェイドが頷くのを確認してから、アニスに向き直る。

「ネイス博士より、貴方宛の言伝です。オリバーとパメラは引き受けるので安心しなさい、と」
「……っ!」

 アニスの喉が、ほんの僅かの空白を置いてこくりと動いた。かたかたと小刻みに震え始めた小さな唇に、アリエッタがきょとんとした目を向ける。

「?」
「ダアトにいる、彼女のご両親です」

 意味の分からなかったアスランの耳元で、ジェイドが囁く。数瞬の間表情を凍らせていたアスランだったが、すぐにその意味を悟り小さく頷いた。

「パパ……ママ……」

 少女の口から、聞こえる限度ぎりぎりの小さな声が漏れた。全員の視線を一身に受けていたアニスが、不意にがばっと顔を上げる。大きな瞳には、涙が溢れんばかりに湛えられていた。

「……ごめんなさいっ! あたし、今までみんなを騙してた!」

 地面にへたり込み、叫ぶとそのままアニスは平伏する。悲痛な表情を浮かべてイオンが少女をじっと見つめている様子を、ジェイドはどこか感情を削り落としたような顔で見ていた。
 今は辛いだろうけれど、きっと『記憶』よりは良い未来になるから。


 すり鉢状に凹んだ大地。崖の中途に家が張り付くように並ぶ、鉱山の街。その空気はどこかどんよりと濁っており、全体的に生気が感じられない。それでも、家々の間を神託の盾兵士やマルクト軍人たちがきびきびと動き回りながら住民たちを誘導している様子は、今ルークたちがいる高台からでも何となくではあるが確認出来た。

「……これが、アクゼリュス」

 下から吹き上げてくる風に長い髪を煽られながら、ルークは背筋を悪寒が走り抜けるのを感じていた。それは、彼と並び街を見下ろしている全員に言えることだが。

「すごい、ねぇ……」
「みゅ……さびしいところですの」

 癖のある髪を押さえながら、アニスが呟く。ミュウはルークの襟元にしっかりとしがみつき、か細い声で小さく鳴いた。

「これでも、障気の噴出は落ち着いた方だそうですよ。一時は底の方にガスが充満して、上からでは視認も困難だったとか」

 街の中を走り回る白と青の動きに目を配りながら、アスランが軽く頭を振る。ティアが世界の構造を脳裏に展開しながら、自身の考えを口にした。

「ディバイディングラインの圧力にも関係があるのでは無いでしょうか? あれの存在が、外殻大地への障気噴出を防いでいるようですから」
「なるほど。柱が壊れかけて安定していないから、大地に亀裂が出来てる。本来なら、外殻大地の下に充満してる障気はディバイディングラインで上に出てこないように抑えつけられてる。だけど、その圧力が弱まってたりすると吹き出して来て被害が酷くなる、ってことか」
「ええ」
「なるほど」

 ガイの推測は、ティアの思考をそのまま言葉にしたもの。頷いた彼女とアスランを見上げ、イオンは厳しい表情を浮かべてやっと辿り着いたアクゼリュスの街を見下ろした。

「いずれ、この地は落ちる運命だったんですね。もうセフィロトツリーは限界を迎えています。力を加えなくとも、柱は消えるから」

 少年の言葉に、ルークはごくりと息を飲む。
 例え自然にアクゼリュスが崩壊すると分かっていても、モースやヴァンは自分にこの街を破壊させるつもりなのだろう。そうで無ければ、預言は成就しないから。

 預言って、何なんだよ。変えることが出来ない未来なら、聞く意味なんて無いじゃんか。

 ぎりと歯を噛みしめて、それでもルークは自分の思いを口にした。

「だけど、地面が落ちても人まで落ちることは無い。街が無くなる前に、住民は全部助け出さないと」
「その通りです。それを怠ったために、ホドでは多くの人命が失われましたから」

 少年の言葉を受け頷いたジェイドに、ガイが眉をひそめた。それはつまり、ホド崩落時に住民の避難誘導が為されていなかったことを意味しているのだから。実際に自分たちガルディオスの一家は、崩落を知らないまま嫡男であるガイの誕生パーティを開いていた。ファブレ公爵に一族を滅ぼされていなければあるいは、崩れ行く故郷の大地に飲み込まれ死んでいたかも知れない。
 ホドとアクゼリュスが異なる点は、その立地条件くらいのものであろう。海に近かったホドの崩落は津波を引き起こしフェレス島を壊滅させ、沿岸部に甚大な二次災害をもたらした。だがアクゼリュスは人里離れた山奥であり、また内側に向かってすり鉢のように凹んだ構造であることから、土砂崩れや地滑りなどの二次災害は全て開いた穴の中へと向かうだろう。もっとも、街が1つ崩壊して開いた穴から周辺へ崩壊の被害が拡大することは十分懸念される事項なのだが。
 それでも今は、ルークの言う通りに住民を救出することが最優先事項だ。預言の中に、アクゼリュスの住民が消えると連想される言葉は存在しないし……例え存在していたとしても、助けることの出来る人命をみすみす失わせるなどと言うことはガイには出来なかった。そしてそれは、ルークを初めとする彼ら全員に共通する思いだろう。

「では、フリングス少将。神託の盾第六師団と合同で救出作戦に当たってください。我々は責任者からお話を伺った後、視察と指揮に当たります」
「よろしくお願いします、カーティス大佐」

 思考を巡らせるガイを他所に、ジェイドとアスランは最後の簡単な打ち合わせを終わらせた。アスランは力を込めた眼差しを見せると、「行くぞ!」と短く命を発し青の軍隊を動かす。整然とした隊列は彼の命に従い、あっと言う間に眼下の光景へと消えて行った。
 青い背を見送ってジェイドは、同行者たちを振り返る。その表情は真剣なものであり、彼の顔を見た全員がきりりと姿勢を改めた。

「では、我々も参りましょう。ナタリア、ルーク、足元に気をつけてくださいね」
「え、ええ。分かっておりますわ」

 ひとつ息を飲んでから、ナタリアが小さくこくんと頷く。ルークも頷き、顔に被った長い前髪を掻き上げた。

「気をつける。ブタザル、しっかり掴まってろ」
「はいですのー」

 ぽんと頭の上に置かれた主の手に、ミュウは額をすりすりと擦りつけた。彼に今出来ることは、愛しい主の傍に寄り添っていることだけである。


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