紅瞳の秘預言29 作戦

 不意に、かつかつと靴音が響いた。慌てて顔を上げた2人と1匹の前に現れたのは、甲板で魔界の光景を眺めていたはずの軍人。同じ顔が当たり前のように2つ並んでいることに少々驚いたらしく、指先で眼鏡の位置を直している。
 それでもジェイドは、普段の表情を取り戻すと微かに首を傾げて口を開いた。

「おや……ルーク、アッシュ。何をしているんですか?」
「んぁ、いやえっと、そのっ」
「立ち話だ。気にするな」

 おろおろするルークに対し、アッシュは落ち着いた様子でさらりと答えを返す。そんな2人を見比べてジェイドは、ふわりと笑みを浮かべた。
 彼が『覚えて』いる光景には、こんな風に仲良く並んでいる2人を見ることは無かった。ルークはあまり明るい表情を浮かべなかったし、アッシュは大概眉間にしわを寄せて不機嫌そうな表情ばかりだった記憶がある。
 だから、こうやって2人が反目し合うことも無く立ち話をすることが出来ると言う状況がジェイドには嬉しくてならない。思わず手を伸ばし、腕の中に2人を抱き寄せた。

「え? えー、ちょっと、ジェイド?」
「おい、こら死霊使い!?」

 両手に感じる2人の反応はそれぞれに違っていて、やはりこの2人は別の存在なのだと言うことをジェイドに教えている。
 それに、温かい。
 ルークもアッシュも、こうやってちゃんと生きている。それを確認して、ジェイドは2人を解放した。それから朱赤の焔に視線を向け、その頭を軽く撫でてやる。

「済みません、つい。ルーク、目を覚まされたようですね。良かった」
「え、あ、うん」

 そう言われてルークは、やっと自分が長い眠りから覚めたらしいことを思い出した。少し顔を俯けて、しゅんとした表情になる。

「えっと、話はティアから聞いた。その……迷惑掛けて、ごめん」
「いいえ。私も、少しグランツ謡将を甘く見ていたようです。こちらこそ、護りきれなくて済みませんでした」

 にこにこと微笑みながら少年の顔を覗き込んでくるジェイドの表情は、ルークが夢の中で見た儚い笑顔とどこか重なり合って見える。そして、ふと気がついた。
 夢の中で、ジェイドの顔に浮かび上がっていた変な模様が譜陣であることに。

 そうすぐと言うわけでは無いと思いますが、間違い無く。

 それに気づいたルークの手が、無意識のうちに軍服の上からぺたぺたと彼の身体を触り始めた。夢の中のジェイドと同じように、今目の前にいるジェイドがその身体を傷つけているのでは無いかと危惧して。

「……今度は何ですか。譜陣はまだ刻んでいませんってば」

 呆れたように上げられたジェイドの声に、アッシュもはっと目を見開いた。彼もまた、夢の中で見たジェイドの姿を思い出したのだ。
 破れた軍服の間から垣間見えた肌。そこに刻まれていたのが、譜陣であることに。

 こいつも、俺と同じ夢を見たのか?

 露骨に顔をしかめたアッシュの前で、ルークは頬を膨らませながらジェイドの顔を睨み付ける。まっすぐに軍人の顔を見つめ、そして強い口調で言葉を口にした。

「まだも何も、今後それ禁止。二度とすんな」
「禁止……ですか? そもそも封印技術ですから、やらかしたりしたら犯罪になってしまうんですけどね」

 肩をすくめてジェイドは、どこか不思議そうに首を傾げながらルークを見ている。その表情がまるで悪びれないものであることにふて腐れつつ、朱赤の髪の少年はなおも強い口調をやめなかった。

「犯罪とか言ってもやりそうだから、言ってるんだ! 絶対やるんじゃねえぞ!」
「……はい、分かりました。ルークがそう言うのならば」

 大人しくルークの言葉を聞いていたジェイドだったが、やがて観念したようにこくりと頷いた。そんな軍人と、その返答に「よし!」と満面の笑みを浮かべたルークを無言のまま見比べていたアッシュは、やがて呆れたように溜息をついた。

「……仲良いな、お前ら」
「んー、まあ付き合い長いし?」
「この子は手間が掛かる子ですのでね」

 無邪気に笑うルークと、苦笑を浮かべるジェイド。穏やかな場の雰囲気につられて、アッシュも思わず顔を綻ばせた。自分がそんな表情を浮かべていることには気づかないままに。

「まあそうだろうな。最初こいつを見たときには、一体どう言う育ち方をしたのかと」
「わ、悪かったな」

 アッシュの言葉を聞いて、思わずルークが頬を膨らませる。と、その頭にぽんと青い手が置かれた。同じ色の手は、アッシュの頭にもちゃっかり乗っている。

「はいはい、2人とも落ち着きなさい。ところで、そろそろ昼食の時間だと思いますが?」
「あ、そーだ。食堂に来いってティアが言ってたっけ」

 部屋を出てくるときに少女が叫んでいた言葉を、ルークは思い出す。「ご飯ですのー」と駆け寄ってきたミュウを手で拾い上げ、ぽんと肩に乗せた。

「じゃあ、3人で一緒に行きましょう。アッシュも良いですね?」

 ジェイドが当たり前のように声を掛け、ひょいとアッシュの肩に手を乗せた。反対側の手でルークの肩も抱き寄せて、幸せそうに微笑む。

「どうせ目的地は同じだからな……こら死霊使い、この手は何だ」
「良いじゃありませんか。友人と肩を組むくらい」
「いつの間に俺はてめえの友人になったんだ」

 不機嫌そうな言葉とは裏腹に、アッシュはジェイドの手を振り払おうとはしなかった。半ば諦めたような顔をして腕を組んでいるあたり、本心としては悪くないのだろう。
 一方ルークの方は、楽しそうに笑っている。こちらは既に友人だと認識しているジェイドが友を増やしたらしいと言うことが、単純に嬉しいようだ。

「俺はジェイドとはもう友達だぞ。アッシュは……何だろ、兄上?」
「む」
「そうなるんですかねえ。アッシュからルークが生まれたことを思えばお父さん、かも知れませんが」

 かつてカンタビレからルークの生みの親だと言われた当人が、口を尖らせた青年の顔をちらりと横目で見ながら言葉を口にする。途端、アッシュは顔を真っ赤にして声を張り上げた。

「俺にはこんなクソ生意気なガキはいねえ!」
「誰がアッシュの子どもだよー!」

 唐突な大声に顔をしかめながらもルークは、心の中でほっと一息をついていた。

 うん、大丈夫だ。
 あんなの、夢に決まってるよな。
 ジェイド、約束したんだから、守ってくれるよな。


 食堂に全員が揃ったのは、それから10分ほど後のことだった。
 通路を兼ねている広場で魔物たちは生肉をがつがつと平らげて、満足そうに毛繕いをしている。
 人間たちはガイが無難に整えた昼食を摂り、ミュウはドレッシングの掛かっていない野菜サラダを一皿貰い綺麗に片付けた。
 そうして全員が腹を満足させたところで、ジェイドは仲間たちの顔を見渡した。自身が『記憶』している危機を出来るだけ回避するためにも、ここである程度は今後の行動予定を決めておかなければならない。
 差し当たっては、目の前の問題だ。

「明日の朝にはユリアシティに入港出来ると思います。そこでまず、街の責任者の方にお会いしましょう」
「責任者?」

 ぽかんと目を見張ったルークに、並んで座っているティアが「私の祖父よ」とそっと教えた。正確には義理の祖父と言うことになるがともかく、責任者の身内が同行していると言うのはほとんど知己の存在しない魔界においては有り難いことだ。

「へー。ティアのお祖父様かあ」
「その後はどうする? 何にせよ、上に戻らなけりゃならんだろう」

 感心しているルークを尻目に、アッシュが僅かに顔をしかめながら問う。ジェイドと並んで座っているガイも同じように眉をひそめつつ、小さく頷きながら言葉を繋いだ。

「そうだな。マルクトはフリングス少将当たりが連絡を入れてくれるだろうから良いけれど、キムラスカの方はルークやナタリアが死んだと考えてもしょうがない状況だ」
「外殻大地の方々から見れば、アクゼリュスが丸ごと消えてしまったと言う状況ですものね……」

 アッシュの隣にいるナタリアが、頬に手を当てて考え込む表情になる。ジェイドは眼を細め、自身の知る事情を思考の上に乗せた。
 そもそもアスランとピオニーはジェイドの『記憶』を知っているから、アクゼリュスで消息を絶ったジェイドが暫しの後に生還を果たすであろうことは計算の内だ。サフィールも情報を共有しており、彼に関しても問題は無い。問題があるとすればその他の重臣や議員たちと言うことになるが、そちらに関してはピオニーがある程度抑えておいてくれるだろう。つまり、マルクト側の反応を気にする必要は全く無い。
 だが、ダアトやキムラスカは事情が違う。当然ながらインゴベルトやファブレ公爵、モースやヴァンは『記憶』の存在を知らない。知らせたところでモースや現時点のキムラスカ上層部が信じる訳が無く、最後の敵となるヴァンには知られるわけにいかない。
 要するに、マルクト側はある程度親善大使一行の生存を知っているが、ダアトとキムラスカは知らない。そして、親善大使の1人であるルークが死んだと思い込むことでマルクトへの戦端を開く道筋は出来ているのだ。


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