紅瞳の秘預言29 作戦

 だが念のため、ジェイドは別の可能性も示唆した。少しでも、ルークが傷つく可能性を減らすために。

「ですが向こうも、こちらがそう考えていることは察しているでしょう」
「つまり、シュレーの丘で網を張って俺たちが掛かるのを待っている可能性がある」

 彼の言葉を引き継ぐように、ガイが己の考えを口にした。
 『前回』と今回の違いと言えば、明白になっているのはアクゼリュスが一応無事であることと六神将のうちアッシュ・アリエッタ・ディストの3名がこちら側についているということ。つまりそれだけヴァン側の戦力は減っている訳で、故にヴァンが『記憶』の時よりも慎重に動いている可能性は捨てきれない。

「こちらにはユリア・ジュエの子孫であるティアと、単独で超振動を使うことの出来るルークとアッシュがいますわね」
「主席総長にしてみたら、喉から手が出るほど欲しい人材だよねぇ」

 ナタリアとアニスが交わす言葉は、ジェイドが『自分が現在のヴァンだった場合』の思考を見事にトレースしていた。ダアト式封咒に関しては最悪シンクかフローリアンで代替が利くものの、パッセージリングの破壊には超振動レベルの強い力が必要となる。『記憶』のヴァンは何度もアッシュに翻心を促していたが、それはつまりアッシュの超振動が必要だった、と言うことだ。

「ええ。ですが、現在の我々にはバックアップが全く無い状態です。つまり、何か問題が起きた時にどこからも援護を受けることが出来ない」

 イオンが目を閉じ、強い口調で言葉を紡いだ。現時点ではジェイドの生存をほぼ確信しているとは言えその証拠を掴めないマルクト、ルークの死を望んで止まないキムラスカとダアト……どの勢力も未だ、彼らの生存を証明出来てはいない。生きているかどうか分からない人物への援護など、考えられないのだ。
 故にジェイドは、まずその証明を手に入れることを選んだ。

「ですので、一度グランコクマに出てピオニー陛下にお目通りを願おうと考えているんですよ」
「旦那の生存を証明して、マルクトを後ろに付ける訳か。シュレーの丘はマルクト領だし、確かにその方が動きやすいな」

 ガイはジェイドの魂胆を見抜き、なるほどと頷いてくれた。続けてアニスが「さんせーい」と手を挙げる。

「キムラスカ……って言うかー、モースにしてみればルークが生きてるのは預言に反してて困るけど、マルクトにしてみれば大佐が生きてるのはそれこそ万々歳だもんねー」
「モース、ルーク見つけたらきっといじめる。アリエッタ、いやです」

 同僚の少女の言葉に、アリエッタも頷いた。ティアは元から外殻大地の情勢には疎いせいか、「私は皆に従うわ」と大人しく話を聞いている。アッシュが無言で小さく頷くのを確認して、ジェイドは親善大使の2人を視界に入れた。

「一時的にですが、キムラスカやダアトとは敵対することになるかも知れません。ルーク、ナタリア。覚悟はよろしいですか?」
「……お、おう」
「……辛いですけれど、アッシュがいてくださいますもの。大丈夫、ですわ」

 ルークは拳を握って、ナタリアはアッシュの袖を指先で摘んで、ほぼ同時に頷いた。2人とも、引くことの出来ない状況であることは理解しているようで、ジェイドは小さく息をついた。

 これから多分、辛いことになると思います。……責めるなら、私にしてくださいね。

「あの……大佐。そうすると、どうやって外殻大地に戻りますか?」

 不意に声を上げたのはティアだった。ひとまずの方向性が決まった以上、次の問題は彼女が指摘したそれであることに間違いは無いだろう。

「ティアはどうやって上に出たんだ?」

 魔界育ちであることが分かっているティアに、ルークがそう尋ねるのは自然の成り行きだった。ティアもその問いが出てくることは分かっていたのか、準備していたらしい答えを口にする。

「ユリアシティと外殻大地を繋ぐ道があるの。ユリアロードって言うんだけど……でも、外殻大地側の出口は教団の自治領よ。ルークたちは拙いんじゃないかしら」

 そう言われ、思わずルークは息を飲んだ。
 確かに、ティアの言う通りである。ユリアロードの出口……アラミス湧水道が存在するパダミヤ大陸から脱出するにはダアトの港を使うしか方法が無く、そこで教団の者に発見される可能性は高い。
 しばし何事かを考えていたアッシュがふと顔を上げた。視線を向けた先は、青い服の軍人。

「……アクゼリュスの逆をやることは出来ないか?」
「アッシュ?」

 金の髪の王女は彼の言葉の意味を理解できず、首を傾げる。対してジェイドは『記憶』の中で一度聞いていた提案だったから、すぐに「ああ」と納得したように頷いた。

「セフィロトツリーを一時的に再構築して、タルタロスを打ち上げると言うことですか?」
「ああ。街を1つ引き上げるのは無理だとしても、タルタロスだけなら帆で記憶粒子を受け止めれば出来なくは無いと思うが」

 それは『前回』、ルークを置き去りにした自分たちが外殻大地へと戻るために使用した方法だった。あの時も発案者は同行していたアッシュであり、ジェイドはその案を具体化してテオドーロ市長に話を通しただけ。実現させるための音機関がユリアシティで入手出来ることは、ジェイドは『既に』知っている。

「またローレライにお願いするの?」
「……いえ。一時的にセフィロトの機能を活性化させるくらいならば、ユリアシティでどうにかなるのでは無いでしょうか」

 アリエッタの不安そうな疑問に、安心させるような微笑みを浮かべながらジェイドは答えてみせる。ちらりとティアに視線を投げると、彼女は一瞬躊躇はしたもののはっきりと頷いた。

「お祖父様に聞いてみます」
「お願いします。使えそうなものがありましたらガイ、お願いしますね」
「ああ、任せてくれ」

 音機関を触れるらしいと聞いて、金の髪の青年は色めき立った。ガッツポーズをしてみせる彼に、全員が少し引き気味ながらも笑顔を浮かべる。そんな中ジェイドは、真紅と朱赤に視線を戻す。
 『知って』いるからこそ、これだけは言っておかなければならない。2人が一緒に行動しているこの世界では、余計に気をつけなければならないことを。

「そうそう。ルーク、アッシュ……貴方がたは今後、出来るだけ1人にならないようにしてください」
「え?」
「何故だ?」

 ルークは目を丸くして、アッシュも僅かに目を見開いて、ジェイドを見つめる。ルークの方が少し幼い表情であるのは、その生きてきた時間の長さにも関係あるのだろう。
 その時間を、成就させるべきでは無い預言のために止めることになってはならない。

「預言では、既に『聖なる焔の光』は消えていることになっています。大詠師モースやキムラスカ上層部に取ってみればつまり、貴方がたは既に死んでいなければならないと言うことです」
「んでヴァン謡将にしてみりゃ、お前さんたち2人は便利な超振動使い……だしな。どっちに転んでもやばいってことか」

 ジェイドの言葉の後は、ガイが引き取った。思わず動いた真紅の視線に晒されたガイの顔は、ルークを見ているときに良く見られる保護者の表情を浮かべている。

 あんたが全部、背負うことは無いんだぜ? 旦那。

 そう、青い視線にたしなめられたような気がしてジェイドは、指先で眼鏡のブリッジに触れた。特に位置がずれている訳では無い……単に、心を見透かされたようで恥ずかしかったのだ。
 一方、ルークとアッシュは同じように顔をしかめていた。ジェイドとガイ、2人の言葉の意味を理解出来ない焔たちでは無い。自身に降りかかるかも知れない危機を感じ、ルークはつい空色のチーグルを手元に引き寄せるとぎゅっと抱きしめた。

「……殺されるか、さらわれるか……か。冗談じゃねーな」
「みゅみゅ、大丈夫ですの。ご主人様はボクが守るですの!」
「うん、ありがとな。ミュウ」

 ふわふわとした毛並みを撫でてやりながらルークは、ほっとしたように肩の力を抜いた。ミュウが自分を安心させるために……と言うよりはかなり本気で自分を守ってくれるつもりでいるのが、少しおかしくて。
 アッシュはと言うと、袖をしっかりと握りしめたナタリアに詰め寄られる形になっていた。その目は潤んでいて彼の身を心底案じていることが分かるから、アッシュも強く出ることは出来ないでいる。

「アッシュ、お願いしますわね。また離れることにでもなったら、私は……」
「分かっている。心配するな、ナタリア。だが、まあ気をつけよう」

 それでもはっきりとした言葉で彼女の思いに答えてやる。7年離れていたそのツケを、アッシュはこうやって1つ1つ取り返していくつもりなのだろう。

「僕がもう少し、導師としての権力を持っていれば良かったんですが」

 胸元に下げている聖印を指先で弄びながら、イオンが小さく溜息をつく。今となっては仕方の無いことであり、そもそも外殻大地の勢力から見れば彼も生死不明の状態である。ここから如何に挽回するか……を、緑の髪の少年は自分なりに考えているだろう。この世界では、ジェイドの『記憶』よりも味方は多いのだから。

「ユリアシティでも、気をつけてね。こんなこと言いたくは無いんだけど、あそこもローレライ教団の街みたいなものだから」

 前髪を軽く掻き上げながらティアが口にしたどこか不安げな言葉に、2人の焔は同時に頷いた。


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