紅瞳の秘預言30 魔界

 翌朝、タルタロスは無事ユリアシティに到着していた。
 外殻大地から降り注ぐ滝はあまりの落差に途中で霧と化し、さらに最下層たる街の周辺では気化してしまっている。そうして魔界にはほとんど存在しない清らかな水は、カーテンのように魔界唯一の街を包み込んでいた。
 障気と水のカーテンを切り裂くようにふわりと現れた巨艦は、悠々と港に碇を降ろした。街がざわりとどよめき、三々五々集まって来た住民たちが見守っている様子が、甲板からよく見える。

「行ってらっしゃいズラ〜。タルタロスの留守は、このタルロウ様に任せるズラ!」

 ここまでの旅を滞りなく終えて満足げなのか、ジェイドたちを見送りに来たタルロウはくるくると回る。「よろしくお願いしますね」と苦笑しながらジェイドが頭を撫でてやると、照れたように譜業人形は自分の頭を掻く仕草をして見せた。本当に、変なところで人間臭い動作をするものだ。

「ジェイド様にお願いされたら、何が何でも任務を遂行しないといけないズラ! 頑張るズラよ!」
「頼りにしてるよ、タルロウちゃん♪」
「こら、ちゃん付けで呼ぶなズラ! 様を付けるズラ!」
「あたしは大佐のお友達でぇ、ディストともお友達なんだけどなぁ?」
「みゅう! ボクもジェイドさんとはお友達ですの!」
「こ、これは失礼しましたズラ! アニス様にミュウ様ズラ!」
「よろしい♪」
「みゅみゅ〜」

 最初は少しばかり警戒していたものの、アニスはミュウにつられるような形でタルロウと気安く会話をするようになっていた。彼女にしてみればタルロウは、トクナガの兄弟とも言える存在。故に気軽に会話を交わすことが出来る相手、なのだろう。

「本当に頼もしいですわ! ディストにお会いしたら、是非このお礼を申し上げなくてはなりませんわね」
「いや、まったくだ。造形はともかく、こんな滑らかな動きをこのサイズで実現しちまってるなんて、やっぱすごいぜ」

 一方、ナタリアは相変わらずこの譜業人形の働きぶりに、ガイはタルロウ自体の性能に感心している。
 譜業と見れば目を輝かせるガイは、サフィールの手になるこの自律型音機関の全てに関心を持ち、暇さえあればすぐ側にくっついて観察を続けていた。この調子では、サフィール本人と顔を合わせた時に弟子志願でもしかねない。
 一方、譜業である故に24時間不眠不休でタルタロスの操縦を続けている彼のことを、ナタリアはすっかり信頼し切っているようだ。彼女にしてみればタルロウは、サフィールとジェイドを主として良く仕えている侍従のようなものなのだろう。
 そんな姫君の隣を定位置にして、アッシュは額を抑えつつ大きく溜息をついた。長く同僚としてあった彼だからこそ、死神の二つ名を持つ六神将の人となりは幼馴染みたるジェイドの次によく知っていると自負している。
 キムラスカの姫君が眼をきらきらさせて、自身の製作した譜業人形に全幅の信頼を置いているなどと知れば。

「……調子に乗って量産しかねんぞ。奴のことだからな……」
「そりゃ、いくら何でもうぜぇよな……」

 思わず明後日の方向を向きながら、ルークがうんざりした顔で言葉を落とす。1体でも大概なのに、これが大量にうごうごと蠢く光景を脳裏に描いてしまったのだから。もっとも、その大軍の中心にいるのは自分でもナタリアでもはたまた大喜びするであろうガイでも無く、ジェイドだと言うことは確実に言えるのだが。

「ディスト、お調子者だから。お兄ちゃん、フレス、グリフ、お留守番お願い……です」

 アッシュに同意して小さく溜息をついた後、アリエッタは魔物たちの顔を見渡してにこっと微笑んだ。いくら初めての街とは言え、魔物たちを連れ歩く訳には行かない。タルロウと共に、この巨艦で留守を守って貰うことになっている。

「ぐる」

 代表して『兄』ライガが小さく唸り、『妹』の掌に自分の額をぐいぐいと押し当てた。フレスベルグとグリフィンは、ばさりと翼を広げて意思表示をしてみせる。これで、陸艦はしばらく安全だろう。

 くるりと全員の顔を見渡して、ジェイドはぱんと手を打った。いつまでこうやっていても、話が進む訳では無いのだから。

「では参りましょうか。ティア、案内をお願いします」
「分かりました」

 ジェイドの言葉に頷き、ティアは一行の先頭に立った。タルロウが出してくれたタラップを降りて行くと、住民たちが眉をひそめながら彼らを迎えるように集まっている。じろじろと不躾な視線が突きつけられる感覚が、一行の背筋をぞくりと震わせた。

「……何か気持ちわりー」

 思わず自分の身体を抱え込みながら、肩の上にミュウを乗せたままルークが呟く。彼のすぐ後ろに着いているアッシュが周囲にぎらりと睨みを利かせると、人々はこそこそと移動を始めた。それでもちらちらと、自分たちを伺う目が離れることは無いのだが。

「は、同じ顔が2つ並んでるから珍しいんじゃねえか?」
「いや、海から来るお客さん自体珍しいだろう……だいぶ違うと思うけどなあ、お前さんたちの顔」

 息を吐きながら眉をしかめたアッシュの言葉に、ガイが首を捻る。もっとも彼の言葉は、仲間内にしか通用しないのでは無かろうか。
 ガイを初めとする仲間たちは、すっかり2人の顔を見慣れていた。2人が並べば髪の色も異なり、その顔に浮かばせる表情も違う。服装の影響もあるのだろうが同行者たちは既に、彼らの区別が何とは無しに付くようにはなっていた。
 しかし第三者からしてみれば、例え違う服と髪型をしてはいてもアッシュとルークは同じ顔を持つ存在。この2人がオリジナルとレプリカと言う関係であることを知りはしなくても、奇妙な感覚に陥るものなのだろう。
 『記憶』の中では、アッシュがルークの振りをしてファブレ邸に赴き、援軍を要請したことがある。また、ルークが神託の盾兵士にアッシュと間違われることもあった。その頃にはルークが既に髪を短くしていたにも関わらず、他人からでは簡単には見分けの付かない容姿なのだと言うことを『思い出し』、ジェイドは軽く肩をすくめた。

「ごめんなさい。土地柄もあって、みんな閉鎖的だから……」
「いきなり上から大地と陸艦と人が降って来たんです。仕方がありませんよ」

 どこか居心地が悪いようにもじもじするティア。彼女の言葉を受け取って、イオンはふわりと微笑んだ。が、少年の言葉にアッシュがほんの少し眉をしかめる。

「いきなり、じゃねえだろう。アクゼリュスの崩落は預言通りなんだからな。それに、突然の事態に慌てているようには見えん」

 くるりと周囲を見渡す。確かにアクゼリュスからここまではそれなりに距離は離れていたが、それでも街1つの崩落なのだからもう少し街が騒がしくてもおかしくは無いだろう。

「あ、そっか。いつ落っこちるかははっきり分からなくても、今年中に落っこちて来ることは分かってたんだよねえ。ユリアがそう詠んじゃってるんだもん」

 ぽんと手を叩いて、アニスが言葉を繋いだ。このユリア・ジュエの名を冠する街がその名の通りユリアの預言と共に生きてきたのならば、アクゼリュスが崩落することはあらかじめ分かっていたはずだ。だからこそ、アッシュの指摘通りに住民たちが慌てもしない。
 アニスに指摘されてやっと、ティアはそのことに気づいた。

「……言われてみれば、そうね」
「それもそうですね……考えてみると、ユリアシティの市長殿であれば秘預言でも閲覧は出来るはずです。知らない、訳が無い……?」

 イオンも難しい顔をして、顎に手を当てる。だがそれはつまり、市長が義理の孫娘であるティアにそのことを秘匿していた、と言うこと。そうで無ければティアは、ジェイドがアクゼリュス崩落の預言を公開する前にそのことを知っていたはずだから。

「ティア、知らなかった?」
「一度も、聞いたこと無いわ」

 アリエッタの単純な言葉で紡がれた問いに、ティアはぎゅっと杖を握りしめながら答えを吐き捨てた。

「ティア!」

 考え込んでしまった少女の名を呼ぶ声がした。はっと顔を上げたティアが、僅かに顔を綻ばせる。

「あ、レイラ様!」

 ジェイドが視線を移すと、女性が1人歩み寄って来るのが視界に入った。彼女の顔も、ティアが彼女を指して呼んだ名もうっすらとだが『記憶』に存在している。確か……テオドーロ市長の部下でユリアの譜歌を研究していた、ティアの味方になってくれている女性の名だったはずだ。
 そんなジェイドの思考と、仲間たちの視線を他所にティアは「ご無沙汰しています」と頭を下げた。レイラはまっすぐにティアの前まで進んで来ると、ずっと彼女を案じていたと言う表情で語りかける。

「本当、久しぶりね。外殻大地での任務は終わったの?」
「え、ええと……その途中なんですけど、事情でこちらの方々を祖父に会わせることになりまして」

 少し困ったような笑みを浮かべ、ティアは自分の同行者たちに手を差し伸べた。
 ティアが外殻大地へ出ることが出来たのは、神託の盾情報部の所属となり第七譜石の探索任務を帯びたため。その任務は未だ終了しておらず……もっとも、第七譜石自体は既に泥の海の下へと沈んでしまっており任務の遂行は不可能なのだが、今この世界でそれを知る者はほとんど存在しない。無論レイラも、例えティアの任務内容を知っていたとしてもその完了が不可能であることは知らないだろう。


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