紅瞳の秘預言30 魔界

 知らないままにレイラは、ティアの同行者たちを見渡すとゆったりした笑みを浮かべた。

「まあ、外殻大地の方々ね。ようこそ、ユリアシティへ」
「あ、ども」
「みゅっ」

 ついぺこっと頭を下げたルークと彼の真似をしたミュウに、くすりと肩を揺するレイラ。他の一同が軽く目礼を交わし終わると、ティアはレイラに向き直った。

「それで、レイラ様。祖父は今どちらに?」
「市長なら集会所の会議室におられるはずよ。アクゼリュスの探索についての会議がある、っておっしゃってたから」

 少し考えつつも、ティアの問いにレイラは素直に答えた。彼女の言葉を聞き、アッシュが僅かに眉を動かす。だが、ナタリアが不思議そうにその顔を覗き込んだのに気づいて彼は、ふっと表情を和らげた。

「ありがとうございます。それでは、急ぎますのでこれで失礼いたします」
「ええ。あ、後で私のところに寄ってくれる? 『象徴』のことなんだけど」
「分かりました。後で伺います」

 久方ぶりであろうレイラとティアの会話はそこで終わり、レイラはもう一度一行に軽く頭を下げると足早に去っていった。恐らくはティアのために、譜歌に関する資料をまとめておいてくれるのだろう。ユリアの譜歌を操ることが出来るのは彼女と、実兄であるヴァンだけなのだから。

 レイラの後ろ姿を見送っていたルークが、腕を組みつつ首を傾げた。うーん、と唸っているところからすると、何やら考え事をしているようである。

「どうしたんです? ルーク」
「え? いや、何か象徴ってさ、どっかで聞いたことがあるような気がするんだけど」

 ジェイドが声を張りながら尋ねると、ルークは首を捻りながら端正な顔に視線を向けた。一瞬思い出そうとしたジェイドの思考を断ち切るように、ティアが言葉を紡ぐ。

「……ああ。レイラ様がおっしゃっていたのは、譜歌の『象徴』のことよ」
「あ、それだ」

 はっと気がついて、少年の顔が綻ぶ。それから眉をひそめて、少しだけアッシュと近い表情になりつつルークは記憶の中を探り出した。

「ええと、確か……譜に込められた意味と象徴を正しく理解し……あれ、あと何だっけ」
「旋律に乗せるときに隠された英知の地図を作る。一回言っただけなのに良く半分も覚えてたな、ルーク」

 その言葉をルークに教えた本人である金の髪の青年が、少年が思い出せなかった後半部分を補完するように言葉を繋いだ。その場に居合わせていなかったアッシュとナタリア、そしてアリエッタがきょとんと彼らのやり取りを見ている中、ルークはぽんと手を打つ。その表情が、先ほどのようにぱっと明るく戻った。一度教わったことを、本当にこの子どもはしっかりと覚えているものだ。

「そーそーそれだ、ありがとガイ。その象徴ってのがちゃんと分からないと、ユリアの譜歌は譜歌としての能力を発揮しないんだったよな」
「ええ、そうよ。だから私は、まだ初歩的な譜歌しか使えないの」
「それじゃもしかしたらティア、さっきのレイラって人のところに行ったら新しい譜歌、使えるようになるかも知れないんだな」

 苦笑を浮かべるティアにルークは、まるで自分のことのように嬉しそうな声を上げる。くすりと微笑んで、「そう言うことでしたのね」とナタリアが頷いた。

「そうだと良いですわね、ティア。もっとも、能力は別にして私は貴方の歌、好きでしてよ」
「……ティア、お歌、綺麗、です。アリエッタも、好きです」
「そーそ。アニスちゃんもティアの歌聞いたらこう、胸の中がすーっとするって言うかー」

 同行している女性たちから口々に自分の歌を褒められて、ティアの頬がぽっと染まった。譜歌の能力を賞賛されたことはあっても、彼女が奏でる歌自体を褒められた経験は少ないのだろう。

「あ、ありがとう、ナタリア、アリエッタ、アニス。ほ、ほらお祖父様は集会所だそうよ、行きましょう」

 そそくさと視線を逸らし、道案内を再開するティアの肌は耳や首筋まで真っ赤に染まっている。「ティアさん、リンゴみたいに真っ赤っかですのー」と耳を揺らすミュウに全員が吹き出しながら、慌てて彼女の後を追った。
 そんな中、アッシュは軽く肩をすくめながら自身のレプリカに視線を向けた。僅かながら足早に進むルークを追うように、ほんの少しだけ足を速める。

「お前ら、そんな話していたのか」
「あ、うん」

 何気なくアッシュの問いに頷いて、ふとルークの表情が沈んだ。それには気づかない様子のイオンが、思い出しながらアッシュに説明する。

「以前に、ティアが譜歌で障気を中和したことがあったんです。その時に歌われた譜歌がユリアの譜歌だったので、僕が気になって尋ねてみたんですよ」
「なるほど」

 納得したように返事をして視線を戻したアッシュが、「おい、どうした」と僅かに声を張り上げた。ルークが自分の額を抑え、一瞬ふらりと足をふらつかせたのを見とがめたのだ。

「みゅ? ご主人様、しんどいですの? 大丈夫ですの?」

 ぐらついたのは一瞬だけで、次の瞬間にはルークは自分の足でしっかりと地面を踏みしめている。それでもミュウは主の顔を覗き込み、心配そうに声を上げた。

「え、いや、大丈夫。気にすんな、ブタザル」

 上げられたルークの顔はそれでも少し青いように見える。ティアが慌てて駆け寄り、長い前髪を掻き上げて額に手を当てた。

「熱は無いようね……障気に当てられたのかしら。無理しないでね?」
「大丈夫。街の中、空気綺麗だし」

 力無く微笑んで、ルークは「よしっ」と自分に気合いを入れた。その姿をじっと観察するように見ていたアッシュの肩を、ガイが軽くつつく。

「ガイ?」

 上げられた声は、『アッシュ』と言うよりは『ルーク』に近い。これが彼の地声かと奇妙な感覚を覚えながら、青年は第三者には聞かれないよう声量を落とし、アッシュの耳元で囁いた。

「障気中和の直前に、神託の盾とやり合ってな。旦那がルークを庇って左肩斬られた」
「……思い出したってことか」

 ちらり、と最後尾をゆったり歩くジェイドに肩越しの視線を送ると一瞬不思議そうな顔をされたが、すぐにふわりと柔らかな笑みが帰って来た。その右手は、左腕を抱え込むように掴んでいる。
 あれは単なる癖だとアッシュは思っていたのだが、そう言った背景があるとは知らなかった。恐らく、第三者には分からない不具合が出ているのだろう。故に、僅かながら不具合のある左腕を庇う形をジェイドは取っているのだ。
 疑似超振動でタタル渓谷に放り出されるまで、ルークはバチカルの屋敷以外の世界を知ることは無かった。
 それはつまり、戦いや人の生死とも切り離されていた、と言うこと。
 その彼が突然広い世界に放り出されて間も無く、自分を守ってくれていた人物が目の前で血を流した。血なまぐさい現実とは隔離されて育ったあの幼子には、衝撃的すぎる光景だろう。そのくらい、今のアッシュにも理解は出来る。

「尾を引いてるんだな」

 つまらなそうに髪を背中に流しながらアッシュが呟くと、ガイは意外そうに目を見張った。

「甘ちゃんとか言わないんだな、アッシュ?」
「そう育てたのはてめえらだろうが。箱庭育ちの7つのガキに、んな台詞吐けるか」
「いや、確かに。面目無い」

 じろ、と横目に睨み付けられてガイは短い髪を指先で掻いた。そうして記憶を失う……否、すり替えられる前の『ルーク』はこういう面白みの無い子どもだったことを思い出す。

 意外と成長してないのかな、こいつ。

 さすがに、その言葉を口に出して言うのははばかられた。うっかりアッシュに剣でも抜かれては、たまったものでは無い。

「あ、ここよ」

 1つの建物の前に辿り着き、先頭に立っているティアが振り返った。全員の顔を見渡して、小さく頷く。

「どうぞ、入って」

 ティアの手招きに応じ、一行は開かれた扉から屋内へと踏み込んだ。


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