紅瞳の秘預言30 魔界

 レイラの言った通り、ティアの祖父であるユリアシティ市長テオドーロは会議室にいた。ティアからの紹介とガイによる状況説明、そしてジェイドからの依頼を全て聞き届けると彼は、ゆったりと頷いた。

「ふむ、なるほど……分かりました。音素活性化装置であれば、すぐにでも取り付けることが出来ましょう」
「ありがとうございます。こちらにはあの艦が必要ですので、持ち帰ることが出来るのは助かります」

 感情の伴わない笑みを浮かべ、ジェイドは礼の言葉を口にする。
 『記憶』のこの頃には、既にルークは壊れていた。肉体はティアの家で深い眠りに就き、精神はアッシュの中でずっと彼の経験を共有していたはずだ。
 それが今は、2人並んで自分たちの話を聞いている。テオドーロも2人の焔には驚いたものの、ティアの簡単な説明に納得してくれた。フォミクリー技術とレプリカの存在については、ここユリアシティでも上層部には知られていたらしい。その割に、今目の前にいるイオンがレプリカであることには気づいていないようなのだが。

「しかし、我々を止めなくてよろしいのですか? テオドーロ市長。このまま放置しておけば、我々は預言を違えるかも知れませんよ?」

 ジェイドの意地悪い質問に、テオドーロは平然とテーブルの上で指を組み替えた。それはまるで、自身が信じるものを絶対と信じて疑わない傲慢さを形にしたような。

「無駄なことです。人が如何に足掻こうとも、世界はユリアが詠まれた預言のままに歴史を刻むのですから」
「でも、それで大規模な戦争を起こすなんて、納得出来ませんわ」

 ナタリアが僅かに頬を膨らませ、涼やかな瞳に熱を籠めてテオドーロを睨み付ける。さすがにキムラスカの王女の発言とあってか、老人は僅かに目を見開いた。キムラスカとマルクト、2つの国のどちらがより預言に沿って動いているかも彼は知り抜いているから。

「キムラスカの王女殿下ともあろうお方が、異な事をおっしゃいますな。オールドラントの民にとって預言は遵守されるべきもの。預言を守り心健やかに過ごすことで、この星は繁栄が約束されるのです」
「戦争を意図的に起こすような神経が健やかとは、とても言えないが」

 ガイの吐き捨てるような言葉は、表情を変えないままのテオドーロの耳に届いたはずだ。もしこの青年がヴァンやティアと同じくホドの生き残りであると知れば、彼はどう反応したのだろうか。

「……あんたたちは、何故魔界に残っている? 星の繁栄を享受するなら、ここじゃなく外殻大地に出た方が良いんじゃないのか」
「我らは監視者の任についております故、この地を離れることはありません」
「何の監視者なんですかぁ?」
「我らはユリアの預言を元に、外殻大地を繁栄に導くための監視者。ローレライ教団は、そのための道具なのですよ」

 アッシュ、そしてアニスの問いに、淡々と老人は答えて行く。アッシュは世界の構造程度は知らされていたようだが、それ以上の知識を持たされることは無かった。アニスはそこまで知ることは無いままイオンの側仕えに任じられ、働いている。預言の遵守を目指すモース、それを利用して世界を破壊せんとするヴァンの情報統制は功を奏したと見るべきだろう。

「それで、アクゼリュスが落ちるのも黙って見ていたってのか?」

 ガイの温度の無い声で綴られた問いに、一瞬場の空気が凍り付いた。ジェイドはガイとテオドーロ、2人の顔を見比べながらうっすらと眼を細める。
 レイラは、テオドーロ市長がアクゼリュスの『探索』について会議があると言う旨の発言をしていた、と言っていた。鉱山の街の落着からほんの数日しか経っておらず、現在外殻大地側では情報の錯綜が極まっている頃だろう。それにもかかわらず、ユリアシティ側では当たり前のように街の探索を行う予定だったようだ。
 つまり、ユリアシティがアクゼリュスの崩落を知っていたと言うアッシュの推測は的を射ていたことになる。それでありながら鉱山の街に警告が出されなかったのは……預言には住民の脱出が詠まれていなかったから。

「かの街が消えることは秘預言に詠まれておりました。ヴァンは監視者として、見事その預言を遂行せしめた」
「俺のレプリカを捨て駒にして、か」
「さよう」

 アッシュの低い声にもゆったりと頷いたテオドーロの言葉に、ルークが僅かに目を伏せた。握りしめられた拳が、小刻みに震えている。
 捨て駒。
 自分は預言を成立させるために生み出された存在。道具。

「如何なる手段を用いてでも、ユリアが遺された預言の通りに星の歴史は刻まれなければなりません。外殻大地の方々ならば、それは良くご存じのはず」

 テオドーロが紡ぐ言葉は、更にルークの心を切り裂こうとする。だがそれは、ジェイドの本意では無い。
 少年の拳を包み込むように、青い手が添えられた。はっと顔を上げると、いつものように穏やかな笑みがルークの視界を支配する。
 ジェイドは視線を移し、テオドーロを見つめた。真紅の瞳からはルークに見せていた暖かみは消え失せ、『死霊使い』の名に相応しい冷酷な光が宿っている。

「だからと言って、街に住まう人々の救出にも動かれなかったのですか? 預言には、住民が消えるとは刻まれていませんでした」

 この点で、預言と言うものは曖昧である。アクゼリュス崩落を詠んだ預言には、その街の民に関しては記述が存在しない。つまり、民を見捨てようが救出するために動こうが、預言の本質を違えることは無いのだ。
 それならば、1人でも多くの生命を救った方が良いとは思わないのだろうか。

「先ほども申したように、我らはこの地を動けぬ身。民の救出には同じ外殻大地の民が当たるべきですのでな」

 だが、テオドーロの答えはまるで他人事とでも言わんばかりの口調で紡がれる。さすがに呆れたのか、アッシュは自身の前髪をぐしゃぐしゃと掻きむしった。髪を乱した青年の姿はよりルークと近く見えるけれど、落ちた前髪の下から覗く両の瞳はずっと鋭く冷たい。

「預言の公開もせず、危険が分かっていながら見て見ぬふり、か。監視者と言うよりは傍観者、だな」
「返す言葉もありませぬな」

 あくまでも口調を変えることの無い義祖父にしびれを切らしたのか、ティアがだんと足音を立てて踏み出した。席に座ったままのテオドーロを見下ろし、両手で杖を握りしめながら震える声をゆっくりと絞り出す。

「お祖父様……ホドの崩落は、キムラスカもマルクトも、聞く耳を持たなかった……って言ってたわよね。もしかして、あれも嘘なの? 同じように、見て見ぬふりをしていたの?」
「済まぬの、ティアよ。幼いお前には真実を告げられなかったのだ」

 その言葉は、孫娘の疑問を肯定するもの。ぐっと歯を噛みしめたティアに代わり、恐る恐るアリエッタが声を上げた。

「それじゃ、ヴァン総長には、言ったの?」
「はい。秘預言は見事成就したのだと、私はあの子に伝えました」
「見事……ですか」

 どこか誇らしげに頷いたテオドーロの言葉を止めるように、ジェイドの冷たい声が響いた。一瞬だけ老人を睨み付けた真紅の瞳は、すぐに閉じられた瞼の中に消える。

「確かこうでしたね。『ND2002。栄光を掴む者、自らの生まれた島を滅ぼす。名をホドと称す』」
「……!」

 そうして、青を纏う軍人の口から預言が流れ出た。その言葉にテオドーロだけで無くイオン、そしてティアとガイまでもが顔色を変える。

「『この後、季節が一巡りするまでキムラスカとマルクトの間に戦乱が続くであろう』……確かに、見事成就しました」

 さほど長くは無いホド崩落の預言。『記憶』に刻まれたそれを言の葉に乗せ、瞼を開いたジェイドは感情の無い顔で呟いた。
 『栄光を掴む者』。
 古代イスパニア語でそれを意味する言葉は『ヴァンデスデルカ』。
 この真名を知る2人……ティアとガイには、ジェイドが紡いだ預言の意味が分かったはずだ。
 ヴァンは自らの手で、秘預言を成就『させられた』のだと。
 16年の後にルークを使い、アクゼリュスを崩落させたのと同じように。


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