紅瞳の秘預言30 魔界

 その後、ルークたちはもう少し話があると言うジェイドを残し、会議室を後にした。何度も振り返りながら扉を閉めるルークの心配そうな目に大丈夫ですよと微笑みかけて、ジェイドはテオドーロに向き直る。

「お話とは何でしょう。未だ、預言に疑問がおありですかな」
「どうなんでしょうね。私は元々、あまり預言を頼らない性分なものですから」

 眼鏡の位置を直しながら、ジェイドはくくっと喉の奥で笑う。預言には頼らなくとも自身の『未来の記憶』にはすっかり頼り切りになってしまっている、愚かな自身への嘲笑だろうか。

「アクゼリュスを崩壊させる『聖なる焔の光』は、新創世暦2000年に生まれた赤毛の男子……そう、預言に詠まれていた。そうですね」
「その通りです。そして、預言はヴァンの手により見事成就しました」

 ジェイドの言葉は、既に起きた事実とそれに関する預言の再確認。誇らしげに頷くテオドーロに、次の言葉をぶつける。

「……実際にアクゼリュスを崩落させるとき、グランツ謡将はレプリカのルークを使いました。あの子は、グランツ謡将……貴方の孫息子によって、7年前に生まれた存在です」
「……?」

 訝しげに眉をひそめる老人。彼はまだ、孫として育てたヴァンが企んでいる陰謀を全く知りはしない。
 いきなりその陰謀をひけらかしたところで、恐らく彼は信じない。テオドーロにとってヴァンは、監視者として完璧に育て上げられた自慢の孫息子。まさかそのヴァンが預言に対し滅ぼしたいほどの憎しみを抱いているなどとは、夢にも思わないだろう。

「新創世暦2000年に生まれた赤毛の男子は、現在『聖なる焔の光』の名を使ってはいません。貴方の孫息子が奪い、今その名を使っている彼に与えましたからね」

 故にジェイドは、事実だけを積み重ねて行く。
 ヴァン・グランツが外殻大地で何をしていたのか、何をしているのか、何をするつもりなのか。

「今までここにいた、黒衣の六神将『鮮血のアッシュ』。彼が、本来の預言に詠まれた『聖なる焔の光』です。ですが、アクゼリュスのパッセージリングを停止させたのは彼では無い。7年前に生まれたレプリカの、白い服のルークです。考えてみてください。この事実が真に預言通りなのか」

 『記憶』の中では、秘預言の内容を知らなかったがためにもう少し先で無いと気づくことが出来なかったこの矛盾。既に全てを『知って』いる現在のジェイドは、その矛盾点を柔らかく、だがはっきりとテオドーロの前に提示して見せた。

「むう……」
「……歴史が預言の通りに進まねばならないのならば、何故ユリアはわざわざ膨大な預言を残したのでしょう。抗おうとする者が登場しても、おかしくはありませんよね」

 そうして、自身が以前から持っていた疑問を言葉にした。ユリアの預言が記録として残されていなければ、ヴァンが『レプリカ計画』を企てることは無かったはずだ。

「それは……我らの行動規範とするためでございましょう」

 そんなジェイドに対し、テオドーロはあくまで預言の存在を肯定する立場として言葉を紡ぐ。それはジェイドも分かっていたことだから、「なるほど」と頷くに留めた。

「現在我々の手には、彼女が残した譜石のうち第六までしか残されていません。行方の知れない第七譜石に、本当にオールドラントの栄華が刻まれていると誰が保証出来ますか? 栄華の未来が詠まれているとするならば、何故ユリアは第七譜石を秘匿したのですか」
「……そのお考えは、貴方が第六譜石の最後において凋落すると刻まれた国の者だからでございましょう」

 ジェイドの言葉には応えず、テオドーロは年老いていながらも力を失わない瞳でジェイドに向き合った。彼にしてみれば預言こそは絶対の存在なのだから、ジェイドの言葉は勢いを失うことが秘預言に詠まれている国の悪あがきにしか思えないのだろう。

「確かに、私はマルクトの人間です。ですが私は、同時にオールドラントの人間でもある」

 左の腕を、右の手で身体に引き寄せる。

「この手を無数の血で染めた私が言うことでは無いのでしょうが……ごく一握りの人間だけが享受することの出来る栄華ならば、それは惑星全体の栄華と言えるんですか?」
「マルクトは、ユリアの預言を違えるおつもりか」

 その言葉に対し、ジェイドは思わず言葉を吐き出しそうになった。

 ユリアの預言に従えば、ほんの2年ほどでマルクトは滅びますからね。

 それは第七譜石に刻まれた、今はまだほとんど知られることの無いユリアの預言。故にジェイドは、すんでの所でその言葉を飲み込んだ。代わりに口にしたのは、敬愛する太陽の思い。

「今の皇帝陛下は、預言を好まれてはいませんからね」

 ピオニーは預言を好まない。もっとはっきり言えば、嫌っている。
 最初の理由は単純なものだった。淡い、そしてずっと心の中で温めてきた初恋を引き裂かれた、ただそれだけのこと。
 けれどジェイドが『記憶』を持ち、その中から抽出した預言を伝えたとき、ピオニーははっきりと預言の破棄を心に誓った。自身の死が刻まれていることはともかく、国が滅び民が滅び星が滅ぶ未来を知ったから。
 そうして、その予言を変えようとして消えた朱赤の焔の存在を知ったから。
 かの皇帝にしてみれば、親友が持っている『未来の記憶』もまた預言の1つでしか無い。故にピオニーは、2つの『預言』を相手に戦を挑もうとしているジェイドへの助力を決めたのだ。

「……いや、それもまた預言の内にあるのでございましょうな。預言を違えようとするからこそマルクトは凋落し、未曾有の栄華からこぼれ落ちる」

 だが恐らく、この時点ではテオドーロにはその思いは伝わるまい。預言が違えられる瞬間を目撃しなければ、きっと彼は思想を変えようとはしないだろう。『記憶』の中でセントビナーが落ちた時のように。

「危険思想と危ぶまれるならば、それも致し方ありません。ですが、魔界の奥に引きこもっていては世界の全てを見通している、などとはとても言えませんよ? テオドーロ市長」
「我らには預言がある。その預言を遵守することが、我らの定めなのです。世界を見通すことなど必要とは思えませんな」

 だから、彼のこの言葉も予想の範疇だった。この言動を変えるには自分たちが動き、世界が預言から離れ始めていることを世界に知らしめなければならない。
 故にジェイドは、この場では自身の素直な思いを吐き出すだけに留めた。

「……正直に言いますよ。私は預言の遵守にも、未曾有の栄華なんぞにも興味はありません。ただ、皆が笑って暮らせる世界にしたいだけなんです」

 朱赤の焔が、真紅の焔が。
 ただ幸せに暮らせる世界が、欲しいだけなのだ。

 どうか、未来の人々が絶望に堕ちないように。
 どうか、私の見た未来を覆してくれますように。
 どうか……人々が、立ち上がってくれますように。

 ジェイドは知らない。
 かつて2000年の昔に膨大な預言を詠んだ彼女が、自身と同じ思いを抱いていたことを。

 ねえ、ローレライ。
 その時が来て、私の詠んだ預言に立ち向かおうとする人がいてくれたら。
 そうしたら、少しでも良いからその人を手伝ってあげて。
 フランシスみたいな悲しい人が、もう出ないように。
 私は、それまで生きていることは出来ないから。
 わがままばかり言って、ごめんね?

 誰も知らない。
 今は地核に眠る存在が、彼女の哀しい思いをずっと記憶の中に留め置いていることに。

 流動する地核の中で、7つめの譜石がきらりと輝いた。


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