紅瞳の秘預言31 出航

 素人ながら音機関に詳しいガイと自身も譜業であるタルロウ、そしてタルタロスの責任者であるジェイドが全面的に協力したため、音機関の取り付けは2日ほどで終了した。残るは試験のみであり、現在彼らはそのために艦橋に詰めている。
 その間にティアはレイラの元を訪れ、『象徴』を手に入れたらしい。新たな譜歌の力を身に着けた、と彼女は喜んでいた。
 ルークは思うところがあったのか、同じ剣の師を持つアッシュに実戦的な剣術の手ほどきを受けていた。今も甲板で、2人は剣を打ち合わせている。音機関の取り付けに関わっていない全員が、その様子を見物していた。わざわざ艦橋の側にいるのは、ジェイドたちの作業の進展が気になるからだろう。

「おら、脇が甘い!」
「おわっ!」

 ルークの脇腹に、アッシュの剣の腹が入る。途端、青いチーグルが甲高い声で悲鳴を上げた。

「ご主人様〜!」
「ミュウ落ち着いて、これは訓練だから!」

 慌ててふわふわと撫で上げるティアの腕の中で、ミュウがじたばたと小さな手足をばたつかせる。彼にとっては主であるルークが、ころころと面白いように転ばされるのが我慢ならないのだろう。
 だが、どうしてもその声にルークの気が散ってしまう。訓練であろうと、それを見過ごすアッシュでは無い。

「気を抜くな、足元!」
「あでっ!」

 実戦的、と言うだけあってアッシュは剣だけで無く、拳や蹴りもナチュラルに使って来る。足元を軽く払われてあっさり甲板に顔を打ち付け、そのすぐ目の前に剣を突き立てられてルークは「おわわギブギブ!」と慌てて降参した。訓練だから、降参すればそれで終わりと言う取り決めになっている。

「アッシュ、さすがですわ!」

 勝負の付いたところで、初めてナタリアが声を上げた。2人の気が散らないように、ここまで声を抑えていたのはさすがと言うべきか。だが、終わったと見るや即座にアッシュの元に駆け寄って行く彼女の足は、ほんの少し床から浮いているようにも見える。

「……ナタリアってば、結構浮かれてるー」
「アッシュも、ナタリアと一緒だと、笑ってる」
「大変微笑ましいカップルですね。ふふ、先が楽しみです」

 口の端を引きつらせているアニスと、にこにこ笑っているアリエッタに挟まれてイオンは、ふわりと柔らかな笑みを浮かべていた。その視線がふと、甲板に倒れたままのルークに移る。彼には、ティアの腕の中から飛び出していたミュウが真っ先に辿り着いていた。

「みゅみゅ! ご主人様、大丈夫ですのー!?」
「んぁー。痛いけどなー」

 大きな目を潤ませているミュウの頭を寝転んだまま撫でてやりながら、朱赤の髪の少年は無邪気に笑って見せている。その側へ歩み寄って来たティアが、髪を抑えながら顔を覗き込んだ。

「大丈夫? ルーク。はい」
「お、ありがとティア」

 差し伸べられた少女の手を素直に取ってルークが立ち上がる。ぱたぱたと服を払い、少年は肩をすくめた。

「はー、やっぱアッシュにゃかなわねーなー。何か根本が違うっつーか」
「てめえは基礎が大してなっちゃいねえからな。多少なりと実戦踏んでるだけ、まだマシな方だが」
「やっぱりか。今考えると師匠、ほんとに上辺しか教えてくれてなかったし。ガイが稽古付けてくれてたから、それで助かってるのかも」

 剣を引き抜き鞘に収めたアッシュの指摘に、がりがりと髪を掻きながらルークは自分の身体を見下ろした。それなりに筋肉の付いた身体ではあるが、実際には大して役に立っていないことが少年自身、ずっと気がかりなのだ。故に、アッシュに修行の相手を頼んだのだけれど。

「体力だって、年がら年中家の中にいたんじゃろくに付きようがねえよ。これでも頑張ってたつもりなんだけどなあ」
「室内トレーニングだってあるだろうが。まあ、変に身体鍛えてたりしたら母上が心労で倒れそうだが」

 アッシュ自身はもう、7年も会っていない実の母親シュザンヌ。彼女のことを微かな記憶を頼りに思い出しながら呟くと、ルークは「だよなー」と頷いた。

「ルーク、またどこかに行ってしまったりしないでしょうね、って言いそう。っつーか、アクゼリュスが落っこちたって聞いたら確実に倒れてるな」

 口調を真似たルークの台詞に、アッシュとナタリアが同時に吹き出した。ナタリアは、ルークの真似が自分がよく知るシュザンヌに似ていると思ったから。一方アッシュは、会えなくなって何年経っていようともあの母はずっと変わり無くあるのだ、と言うことが分かったからか。
 だがルークは、ナタリアはともかくいきなりアッシュが吹き出した意味が分からず、目を白黒させていた。不思議そうに首を傾げ、同じ容姿を持つ青年に慌てたように問いかける。

「え、何、アッシュ? 俺、何か変だった?」
「いや。俺の知っている母上と少しもお変わりが無いようだ、と思ってな」
「……あー……」

 表情を緩めながら答えたアッシュに、ルークは思わず口ごもった。ナタリアも口元を押さえ、目を見張る。彼らがアクゼリュスへ向かう前に会っていたシュザンヌと、この青年はもう長く会えていないのだと言うことに気づいたから。
 ほんの少し考え込むような表情になったルークが、アッシュに視線を固定した。真剣な表情で見つめていたかと思うと、不意に碧の目が優しい光を湛える。

「よし。アッシュ、余裕が出来たら一度、一緒に家帰ろう」
「は?」

 笑顔になりながら朱赤の髪の少年が口にした言葉に、真紅の髪の青年は目を見張る。唐突に何を言い出すのか、と訝しげに眉をひそめると、ルークは笑顔のままで言葉を繋いだ。

「だって、結局アッシュが本当の母上の息子じゃん。俺がアッシュだったら、母上に会いたいもん。母上だってきっと、7年前にさらわれた『ルーク』に会いたいよ」
「……それは」

 回りで見ているナタリアたちも、そしてアッシュ自身も言葉を失った。ルークの提案は、ごく当たり前のものとは言え少年にとっては彼自身の居場所を失うかも知れない、と言う危険を伴うものだったから。
 ジェイドの持つ『記憶』の中で、ルークがアッシュを両親に会わせたのはこれよりずっと後になってからのことだった。それも、渋るアッシュを無理矢理ルークがファブレ邸に呼びつけたからこそ実現した話である。ルーク自身は自分の居場所を失う覚悟でやったことだったが、結局のところファブレ夫妻は2人を共に我が子と認めてくれた。
 だから、もしジェイドが今この場にいたならばこの差異に目を見張ったに違いない。彼の知る『記憶』の中のルークと違い、このルークは笑顔でそれをアッシュに提案したのだから。


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