紅瞳の秘預言31 出航

 ここにいない真紅の目を持つ男の『記憶』を知ること無く、「それに」と朱赤の焔は言葉を続けた。

「俺、平気だから。ほら、俺ジェイドいるし。ジェイドが俺の生みの親だって、カンタビレ言ってたし」
「死霊使いが、か」

 黒髪黒衣の詠師の名を出され、一瞬アッシュは首を傾げた。だがディストが彼女に協力を要請していたことを思い出し、なるほどと頷く。ルークがレプリカであることをカンタビレが知っているとすれば、その製造技術を生み出した男が同行していることに彼女は気づいたはずだ。
 だが。

「うん。だから俺、父上や母上のほんとの子どもじゃ無くても……あがっ」

 ルークの言葉が終わる前に、アッシュは握った両の拳でその頭を挟み込んだ。そのままぐりぐりと締め付けてやると、目の前で少年がじたばたもがき出す。

「馬鹿かてめえは!」
「いだだだだだだ! アッシュやめろ〜〜〜あだだだだだ!」
「あ、アッシュ?」
「ごしゅじんさま〜〜〜!?」

 ぽかーんとその光景を見つめる一同の中にあって、イオンだけはアッシュの真意に気づいたのかくすりと肩を揺らした。む、と一瞬だけ緑の髪の少年に視線を向け、アッシュはルークを解放すると腕を組む。へたり込んでしまったルークを見下ろす目は、怒りと言うよりは呆れの色だ。

「てめえは母上をどのような方だと思っている? 母上は、オリジナルだのレプリカだのと言うくだらん理由で7年育てたお前を息子では無いなどとおっしゃる方か」
「え、いや、それはえーと」

 いきなりまくし立ててきたアッシュの言葉に、ルークはただ唖然と目を見開くのみ。だがそんなルークの様子を意に介さず、アッシュは更に言葉を続けた。

「正直、俺にも父上のお考えは分からん。だが母上なら、お前のことを我が子だと胸を張っておっしゃるに決まってるだろうが」
「……そう、そうですわね。アッシュの言う通りだと、私も思いますわ」

 そこまでじっとアッシュの言葉を聞いていたナタリアが両手を合わせ、にこっと微笑んで彼に同意した。一度だけシュザンヌと面会したことのあるティアも、ミュウの毛並みをゆっくりと撫でながら頷く。
 要するにアッシュは、ルークも自分と同じファブレの子なのだからもっと自信を持て、と言いたかったのだろうから。

「そうね。シュザンヌ様はきっとルークを息子だと言ってくださるわ。ルークも自信を持って、ね」
「そっかな……う、うん。ありがとう」

 自分の目の前にしゃがみ込んで微笑むティアに、ルークはほんの少し頬を染めながら視線を逸らした。間近で美しい笑顔を見ることに、照れてしまったのかも知れない。
 一方、第三者的立場で彼らのやり取りを見ていたアニスは、にまにまと悪戯っ子のような笑みを浮かべた。

「……アッシュ、ママのことすっごい自信持って言ってたねぇ」
「アッシュとルークのママ、きっととっても優しい人。だからアッシュ、自慢のママだと思う」
「それもそっか」

 ふわりと無邪気な笑みを浮かべてアリエッタが言った言葉に、納得したのかアニスも頷く。それからイオンに視線を移し、小さく肩をすくめた。

「イオン様、アッシュがああ言うだろうって気がついてましたよね〜?」
「ええ、それはもちろん。お互いに自慢の母親と自慢の息子たち、ですからね」

 穏やかに微笑み頷いたイオン自身は、親の愛情と言うものをその身に受けたことは無い。だが、ルークをあれほど優しい子に育てた母なのだからきっと、2人に増えてしまった我が子をその手の中に受け入れてくれるはずだ……そう、イオンは理由も無く確信していた。

「ルーク様、アッシュ様〜」

 艦橋へ続く扉が開いて、タルロウがスキップするように飛び出して来た。自分に視線を向けた2人の焔の元にすすすと歩み寄り、万歳するように両手を挙げる。

「音機関のセッティングは完了したズラよ〜。試験もバッチリ、ジェイド様のお褒めを戴いたくらい完璧ズラ。これでいつでも、外殻大地に上がれるズラ〜」

 くるくると回転しながらの報告に、一同はほっと胸を撫で下ろした。ルークは満面の笑みを浮かべて、掌に拳を打ち付ける。

「お、ほんとか? やっと上に帰れるんだな」
「やれやれ。問題の1つはやっとクリアか」
「……そっか。上に帰ったら帰ったで問題山積みだぁ」

 小さく溜息をつきながらアッシュが呟いた言葉に、アニスが大げさに頭を抱えて見せた。確かに、外殻大地に戻ってからが本当の苦難の始まりであることを、皆は知っている。
 アクゼリュスの崩落に伴う、キムラスカ親善大使一行の消息不明問題。
 それを引き金にして開戦と言う、キムラスカとダアトの陰謀。
 その裏で画策されているであろう、ヴァンの企み。
 そして、大元であるオールドラント自体の問題。
 1つずつ解決して行くには、恐らく時間は足りない。更に全ての問題は複雑に絡み合っており、最初にどれか1つだけを解決と言う訳にもいかない。とは言え、ここで止まる訳にもいかないのだ。

「何にせよ、モースとヴァンは潰さねえとな。特にモースはローレライ教団を握ってしまっているし」
「だよな。まずは、イオンやナタリアや俺がちゃんと生きてるってみんなに教えないと」

 まず結論を口にしたアッシュに続いて、ルークが考えながら言葉を紡ぐ。イオンたちに視線を向け、確認の問いを放った。

「そうじゃ無いと、キムラスカがマルクトに攻め入るんだよな?」
「うん。モース、そのつもり」

 まず頷いたのはアリエッタ。だが、ナタリアが白い指を顎に当て軽く首を傾げる。

「ですが、そのためにはローレライ教団からの戦闘正当性証明の発布が必要なのでは? 少なくとも、一方的な開戦をイオン様はお認めにならないでしょう?」

 この世界では、ローレライ教団の仲介によりキムラスカとマルクトは休戦状態を維持している。ローレライ教団自体は全世界に信者を持つ強大な宗教集団であり、故にその勢力も絶大なものがある。独自の騎士団である神託の盾騎士団を所持していることからも、それは分かるだろう。
 その教団が発布する『戦闘正当性証明』とは、つまりローレライ教団の名の下にその戦闘に義があることを証明するものである。発布を受けた軍には神託の盾騎士団が同行することもあり、一般市民から見ればその軍が正義の軍であると認識される。つまり、対抗する敵軍はローレライ教団の名において悪と見なされ、故にオールドラントからの排除を余儀なくされるのだと言う認識を受けることになる。
 本来、その証明を発布するのは導師であるイオンなのだが、現在は事情が違う。

「僕の生死が分からない以上、戦争の正当性を証明するのは大詠師であるモースなんです」

 肩を落とし、ナタリアの疑問に答えるイオン。場の雰囲気に合わせてか回転を止め、腕を組む仕草をしながらタルロウが言葉を発した。

「イオン様が無事でも、モースはイオン様の名前を騙って発布するズラ。だから、確実に戦争は始まるズラ。そう、ディスト様が言ってたズラ」
「まあ、そうだろうな」

 アッシュが眉間にしわを寄せつつ頷いた。モースが預言遵守に熱心であることはアッシュも良く知っており、それが元は彼の純粋な信仰心から来るものであることも知っている。
 その純粋さが、今は最大の敵なのだ。

「相手はローレライ教団……いえ、預言そのものと言って良いわよね。手強い相手だわ」
「それでも、私たちはやらなくてはいけないのですわ。戦争が止められるのならば、止めた方がよろしいに決まっていますもの」

 ティアとナタリアは顔を見合わせ、言葉を交わす。ルークは仲間たちの言葉を聞きながら、ぐっと拳を握りしめた。

「そうだよな。だって俺たちは」

 ND2018、ローレライの力を継ぐ若者、人々を引き連れ鉱山の街へと向かう。
 そこで若者は力を災いとし、キムラスカの武器となって街と共に消滅す。

 けれど、街もルークもアッシュも消えてはいない。ジェイドが教え、サフィールが伝え、カンタビレやアスランや、そして何よりもローレライが協力してくれたから。

「頑張れば、例えほんの少しでも預言は変えられる。それを、もう知ってる」

 ルークの力強い言葉に、その場にいた全員が大きく頷いた。


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